陰謀の発火③

 帝歴一二二四年という年は、大動乱の始まりの年だと言われている。


 しかし、その発火点はまことに小さく、誰もが神託戦争以上の動乱へと発展するとは思っていなかった。


 火種は総本山エメランスと帝都ガイラス・ジンの中間ほどの位置するダルファシル領にあった。


 ダルファシル領の領主はザギーニ・アントワットという若者であった。年は皇帝ジギアスより二つほど上で、幼少の頃はジギアスの近習を務めており、その縁からジギアスと親しい関係にあった。


 性格もジギアスに近いものがあった。非常に戦闘的であり、神託戦争においては皇帝軍の先方を常に任されており、数々の武勲をあげてジギアスを喜ばしていた。そのためジギアスは


 『俺とザギーニは君臣の間だが、同時に兄弟のようなものだ』


 と周囲に語っていた。


 だが、ジギアスが猪皇帝と評されるように、ザギーニは決して領民から慕われておらず、『皇帝が猪なら我が領主はうりぼうだな』と揶揄されるような存在であった。


 新年、ザギーニは自分の領地にいた。多くの他の領主がそうであるように、新年というのは教会に行き、司祭の説教に耳を傾けるというのが慣例になっていた。


 ザギーニも途中になって現れたのだが、ひどく泥酔していた。実は前日よりお気に入りの家来達と夜通しで飲み明かしており、同じく泥酔した家来達に抱えられながら教会にやって来たのだった。


 当の司祭はうんざりしながらも、丁寧にザギーニを窘めた。しかし、ザギーニはそれに逆上し、その場で司祭を刺殺し、八つ裂きにしてしまったのだ。文字通り八つ裂きであり、最終的には人間の遺体だったのかどうなのか分からぬほどの状態になっており、傍にいた老婦人が衝撃のあまり亡くなってしまうほどであった。


 この異常事態に当然ながらダルファシル領の教会関係者は激怒し、集団でザギーニに抗議した。酔いの冷めたザギーニは、事の重大さに青ざめたものの、教会ごときに頭を下げるのも腹立たしかったので、逆に司祭が無礼を働いたと主張し、抗議に来た教会関係者を逮捕しようと軍隊を繰り出した。


 当然、そんな馬鹿げたことで逮捕されてはかなわんとばかりに、教会関係者は領都にある教会に籠城、武器を持って徹底抗戦することになった。


 当初、ザギーニは楽観していた。一日程度で鎮圧できると思っていた。しかし、教会側の抵抗は激しく、なかなか教会を落とすことができなかった。教会関係者としては負ければ拘束され、殺されるかもしれないからその士気はすさまじいものであった。それに引き換え、ザギーニ側の士気は極めて低かった。兵の中にも熱心な教会の信者が多く、彼らにしてみれば敵となっている教会関係者は常日頃の同胞であり、それを攻めることに抵抗を感じるのも無理のない話であった。


 そして戦闘開始から三日目、事態が急転した。戦闘中に当のザギーニが戦死したのである。陣頭に立って兵を叱咤していたザギーニの眉間を教会から放たれた矢が貫いたのである。


 領主の突然の死に、ザギーニ側は大混乱した。ひとまず兵は引いたが、若いザギーニには嫡子などおらず、家臣達は大いに動揺した。ここで教会関係者が英雄的な行動に出た。


 『どうだろう、諸君。一層のこと封建的な領主を追い、我らが自治によってダルファシルを治めるというのは』


 ある司祭がそう提言すると、他の司祭達も同意した。これは恐るべき提言であった。騒動の発端が領主ザギーニにあるとはいえ、帝国の支配から独立するに等しい行為であった。


 その危険性を教会関係者が考慮していたかは定かではない。兎も角も教会関係者達は、すぐさま領主の館を包囲し、瞬く間に占拠してしまったのだった。


 皇帝ジギアスが親友ザギーニにまつわる事変の顛末を知り得たのは、ダルファシル領を脱出したザギーニの家臣達によってであった。




 その知らせを受けた時、ジギアスは帝国の三大閣僚を前に雑談とも会議とも判断のつかない取り止めのない話をしていた。しかし、その凶報に接するや否や目をかっと見開き、徐に剣を抜いて机に叩きつけたのであった。


 「おのれ!腐れ教会め!よくも俺の兄貴をぶっ殺してくれたな!」


 机の刺さった剣を抜いたジギアスは、それを後方に投げ捨てた。


 「今すぐ近衛騎士団に招集をかけろ!俺直々に乗り込んで、皆殺しにしてやる!」


 「お待ちください、陛下!」


 激昂するジギアスを最初になだめようとしたのは大将軍バーンズ・ドワイトであった。


 「バーンズ!貴様、教会に味方するか!」


 「そうではありません、陛下。私も今回の件については、教会の無道ぶりに非があると思います。しかし、冷静に対処いただきますようお願い申し上げます」


 「これが冷静でいられるか!ザギーニは俺の兄に等しい男だったんだぞ!」


 「陛下のお気持ちは重々承知しております。なれど、ここはご自重していただきたいのです。私が申し上げたいのは、教会に非があるのならば、まずは総本山に対処させるべきということです」


 「……ふむ……」


 ジギアスはやや冷静になった。怒りが収まったわけではないが、決して愚鈍ではない皇帝は、人の意見を聴く理性をかろうじて持ち合わせていた。


 「陛下。私も大将軍の意見に賛成でございます」


 国務卿レスナン・バルトボーンがバーンズの意見に賛意を示した。


 「理由を聞こう」


 「大将軍の申すとおり、これは教会の失態でございます。やはり総本山に事態の収拾を求めるのがよろしかろうと思います。総本山が見事騒動を鎮められればそれでよし。それでいて末端信者と総本山の間に少なからず蟠りが生じるでしょう。逆に騒動を鎮められなければ、その非を主張してダルファシル領の賊徒どもを討伐できますし、総本山に対しても強く出ることができます」


 「なるほど……。それはおもしろいな」


 ジギアスの怒りはすっかりと静まっていた。寧ろレスナンの提案した謀略に面白みを感じていた。


 「マトワイト!」


 「は、はい」


 それまで縮こまっていた教会伝奏方長官のホルス・マトワイトがびくんと反応した。


 「すぐに総本山に向けて、今回のダルファシル領での一件について善処するように要請せよ。なんなら卿自身が赴いて、教会の非を徹底的に訴えるのだ」


 「りょ、了解いたしました」


 ホルスがおたおたとした足取りで退出していった。ジギアスに怒気に押され、早速に行動に出たようだ。


 「それと近衛騎士団はいつでも出陣できるようにしておけ。どちらにしろ、ザギーニの敵を討つことになるだろうからな」


 ザギーニの死は許せぬことであるし、今でもザギーニを殺した連中を八つ裂きにしてやりたい気持ちには変わりなかった。しかし、その死を無駄にしないためにも最大限に利用させてもらおう。それがザギーニへの弔いになるとジギアスは思った。

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