陰謀の発火

陰謀の発火①

 この時期、天使シェランドンは苦境に立たされていた。


 すでに人間でいえば老人の域に達する年齢ながら、執政官になった日数でいえばガルサノに次いで二番目に浅い。現在、そのガルサノに出し抜かれようとしていた。


 シェランドンは、人間界における治安を担当している。その治安面で失態が相次ぎ、執政官の中での評判を落としつつあった。代わりに株をあげつつあるのがガルサノであった。ついこの間までガルサノを若造と誹っていた執政官達も、手のひらを返したようにガルサノのことを誉めそやすようになっていた。それに引き替え、シャランドンのことを失態続きと陰口を言う者が増えていた。


 失態、と言っても自分が無能だからではない。シェランドンはそう思っていた。人間どもが勝手に治安を乱しているだけであり、自分の無為無策のためではないと声高に主張したかった。


 だが、天使の世界において評価されるのは、百の正論よりも一つの結果であった。そのため、シャランドンとしてはこの事案を解決し、執政官達の鼻を明かしてやる必要があった。


 『ガルサノめ……』


 同時にシェランドンとしては、ガルサノを追い落としてやる必要もあった。あの自分の才覚に揺るぎない自信を持っている若造の鼻っ柱をへし折ってやらねば気が済まないし、今後のシャランドンの地位も安泰とはいえなかった。


 逆転の目はまだある。シェランドンは、腹心であるソフィスアースを私邸に呼びつけた。




 「お呼びでございますか、シャランドン様」


 シェランドンは恭しくシェランドンに拝跪した。天界における下層にあったソフィスアースを上流へと引き上げたのは他ならぬシェランドンであった。美貌と明晰な頭脳を持つ彼女を一目で気に入ったシェランドンは、密かにガルサノの下に送り込み、その動静を探るための諜報活動をさせていたのだ。


 「よい、頭をあげよ。こういう場だ。気にすることはない」


 はい、と言ってソフィスアースは顔をあげた。若々しく整った顔である。ここまで美貌溢れる女天使をこれまでシェランドンは見たこともなかった。


 「スロルゼン様より人間界の治安が悪いとうるさく言われておる。どうしたものかと思案に暮れていたのだ」


 良い案はないか、と問うと、ソフィスアースは、その美しい唇を動かした。


 「そのことについてご報告があります。ガルサノがアレクセーエフなる天使を使って人間界を攪乱しているというのは、ご報告申し上げたかと思いますが」


 それについては以前よりソフィスアースから報告されていた。間違いなくガルサノが自分を追い落とすための策略として行っていることであった。


 それを知ったシェランドンは、すぐさま告発しようとした。しかし、ソフィスアースに止められたのだ。


 『ガルサノのやり方は巧妙です。仮に告発しても証拠がないと言ってに反駁してくるでしょう。寧ろ乱れた治安を回復させて、シェランドン様の名声をあげられた方が得策でしょう』


 シェランドンは、ソフィスアースの策を尤もだと思い、採用した。これまで人間界の治安回復に決定的な手を打ってこなかったのも、人間界の治安がもっと乱れるのを待っていたという面もあった。


 「私はお前の勧めに従い、積極的に手を打たないできた。しかし、そろそろ限界ではないか?」


 「仰るとおりです。私も時が来たのではないかと進言しようと考えておりました。実は、ガルサノの子飼いであるアレクセーエフがどうやら死んだようです」


 「ほう……」


 興味深い話であった。ソフィスアースも明確な話は聞かされていないようだが、要するに任務中にしくじり、命を落としたようなのである。


 「ははは。それは愉快な話だな」


 「はい。私もあの男は不愉快なだけでございました」


 ソフィスアースは心底嫌そうな顔をした。


 「アレクセーエフの死でガルサノの人間界への工作は一時頓挫するでしょう。その隙にシェランドン様が前面に出られ、人間界の治安を回復するのです」


 「なるほど。今が好機というわけか。しかし、具体的にはどうする?あの猪皇帝は自ら進んで治安を乱す傾向にあるぞ」


 本来、人間界の治安維持を担っているのは帝国政府である。しかし、その帝国政府の代表者たる皇帝は部類の戦争好きで、火種のないところに火事を起こさせるきらいがあった。


 「それにあの猪はコーラルヘブンを自らの直轄地にしよった。これについて天帝様が大層お怒りの御様子」


 「それについて疑問があります。どうして天帝様はそこまでコーラルヘブンに拘られるのでしょう?」


 「ふむ。そればかりは私も知らんのだ」


 そうでございますか、とソフィスアースは声を沈ませた。


 「ともかく、あの猪では治安回復はできるのであろう」


 「シェランドン様。何も人間において治安を回復できる組織が帝国政府だけとは限りません」


 「うむ?」


 「人間達の衆望を集め、尚且つ僧兵という武力集団を持っている。そして我々天使にもっとも従順な組織があるではありませんか」


 「教会か……」


 思いもよらぬことであった。帝室に代わって教会を人間達の統治機構とする。大胆ながら実に有効性を秘めた案であるように思えた。


 「しかし、皇帝による人間界の政治的統治は聖戦以来、天帝様によって保障されたもの。我らができるのは要請をする程度のこと。それを覆すなどと……」


 「約千年前。天帝様は混沌とした秩序をまとめあげ、現在の世界をお作りになられた。またその秩序が乱れようとしています。そして誰かによって新しい秩序を築く必要がある。そういうことではありませんか?」


 ソフィスアースが澄んだ目をじっとシェランドンに向けた。自分に第二の天帝になれと言わんばかりに。


 大それたことになる。シェランドンはそう思いながらも、新世界の王になれるかもしれないという欲望が、冷静な思考を奪っていった。


 『そうなればガルサノどころかスロルゼンも屈服させることができる』


 シェランドンは、その未来図を想像し、興奮した。


 「私にそれができると思うか?」


 「今シェランドン様が成さねば、他のどなたも成すことができないしょう」


 「なるほど、よく分かった。当然私についてきてくれるな、ソフィスアース」


 「私をここまで引き上げて下さったのはシェランドン様です。私の未来を託せるのもシェランドン様しかおりません」


 「よい言葉だ」


 シェランドンはソフィスアースの手を掴み、立ち上がらせた。ソフィスアースが息を漏らす間もなく、シェランドンは彼女の唇に自分の唇を押し付けた。


 ソフィスアースは最初は苦しそうにもがきながらも、シェランドンを受け入れるようにして舌を絡ませてきた。


 『よい女だ』


 シェランドンは満足しながらも、ソフィスアースの為にも第二の天帝にならねばと思った。

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