捕らわれの天使⑤
エシリア達一行はマランセル公爵領に入った。道中、話題は自然とサイラス教会領で起こった一連の事件についてであった。詳細は後でしっかりと調べねばなるまいが、ガレッドとレンが語ったことはほぼ間違いではあるまいとエシリアは思った。
その理由は、ガレッドとレンの人柄によるものだった。二人とも性悪猫のエルマとどうして一緒に旅をしていたのか疑問に思うほど慇懃実直であった。特に不正を告発して教会を追い出されたガレッドなどは、世間のどんな汚濁にも嫌悪する性格なのだろう。
「サイラス教会領の不正については天界院に報告し、総本山にも警告いたします。あなたも僧兵に復帰できるように働きかけましょう」
「ありがたい話でござるが、某はもう教会に戻るつもりはござらん」
「そうですか……。あなたのような方が教会にいるべきなのですが……」
エシリアは心底そう思っていた。ガレッドのような人物こそ教会の内部にいて教会の汚濁を正すべきなのだ。
「レンさんはいかがです?」
分からないのはこの少女であった。彼女もまた元教会の関係者らしいが、ガレッドのように教会を離れた理由を語らず、ガレッドにも語っていないようだ。この幼き少女に何があったのか?下世話ながらもエシリアは興味を持っていた。
「私も戻るつもりはありません」
レンは力強く答えながらも、エシリアと視線を合わせようとはしなかった。
「レンさん。私は天使です。嫌な言い方かもしれませんが、私の進言一つで教王を馘首することもできます。もしあなたがガレッドさんのように教会の不正を告発して教会を追い出されたのなら、遠慮なく仰ってください」
「エシリア様。申し訳ないのですが、私はあなた達天使のことをあまり信用していません」
衝撃的な発言であった。人間界には天使に対して否定的な者もいると聞いていた。そういう人間は相当なひねくれ者だと思っていたが、レンのような少女がそういう考えを持っていたとは驚きをとおり越し、胸をえぐられるほどの衝撃であった。
「理由を聞かせていただいてもいいですか?」
エシリアは自分の動揺を悟られないように平静を装った。
「私はご承知のとおり教会にいました。生まれた時から教会にいたので、神託戦争が起こった時も教会にいました」
ひどい戦争でした、とエシリアは自分でも意味のない相槌を打った。一瞬、レンはエシリアを見たが、すぐに目を伏せた。
「ええ。ひどい戦争でした。多くの人が死に、多くの人が飢え、多くの人が何かしらの被害を受けました。二年過ぎた今でもあの戦争は人々に大きな傷となっています」
「そうですね」
としかエシリアは返せなかった。
「その間、あなた達は何をしていたのですか?」
「え?」
「神託戦争が起き、人々が傷ついていた時、天使の皆さんは何をなさっていました?人々の安寧を願うあなた方は何をしましたか?」
ずしりとエシリアの心に重石を乗せるような質問であった。
「天界は……教会と協力して和平を取りまとめました。その後も傷ついて人々が少しでも早く平穏な生活に戻れるように教化を……」
そういうことではないのです、とレンは言った。
「私は神託戦争が起こった時に思いました。どうして天使様がこの世にいるのに、このような悲劇が起こるのだろう。どうして天使様がこの悲劇を事前に防いでくださらなかったのか」
「それは……天使は帝国の政治に不干渉というのが原則ですから……」
きっとレンが言っているのはそういう建前論ではないのだろう。エシリアはそのことを痛感しながらも、模範的な天使の回答しかできなかった。
「その建前のために多くの悲劇が生まれたのです。天使としてそれが正しいことだとエシリア様は思われますか?」
「レン。そのぐらいでやめなされ……」
ガレッドは制止したが、レンはやめる様子はなかった。
「私の言っていることが滅茶苦茶なことだとは理解しています。でも、私が教会と天使様にそのような疑念を持ってしまったのは事実です。だから私は教会を去ったのであり、戻るつもりもありません」
エシリアはついに返す言葉を見つけられなかった。この多感な、それでいて真っ直ぐな心を持った少女を納得させられるだけの言葉をエシリアは持ち合わせていなかった。
「申し訳ありません、エシリア様。あなたにこのようなことを言っても仕方ないことですね」
そうではあるまい、とエシリアは思った。天使の一人としてレンの告白を重く受け止めるべきなのだ。
「いえ……レン、あなたの言う疑念は尤もです。天使も教会も無力なのかもしれませんね」
「エシリア様……」
「神託戦争もそうですが、サイラス教会領で起こったことも、この近辺でろくに教化も行われていなかったのも全て私達と教会の怠慢です。天界も教会も長い歴史の中でその本質を忘れ、ただ体制を維持するという意思だけが残り腐敗したのかもしれませんね」
エシリアは自分でも随分と大胆なことを言っていると思った。この発言が天界に知られれば、エシリアは間違いなく審問にかけられ、最悪の場合牢に閉じ込められるかもしれない。それほど危ないことを言っている。現にガレッドとレンは唖然としていた。
「忘れてください。こんなことを言うなんて天使失格ですね」
「そうは思いませんよ、エシリア様。あなたのような天使がいれば、天界も大丈夫ですよ」
レンはようやく笑顔に戻っていた。
そんな会話をしているうちにエシリア達は古ぼけた屋敷の前に立っていた。マ・ジュドーの話ではここにエルマがいるらしい。
「何の屋敷でござろうか……」
「ガレッド。あれ……」
レンが指差した先には魔獣が倒れていた。二匹とも首が胴から離れていて、その近くには何かが燃えた跡があった。
「こっちの二匹は別として、この炭は性悪猫の仕業でしょうね」
燃え尽きて炭になっていたそれも魔獣であっただろう。エシリアはわずかながらもエルマの魔力を感じることができた。
「この屋敷に入ったことは間違いなさそうですね」
「おい!天使のねーちゃん」
急にマ・ジュドーが声を上げた。レンに抱きしめられているエルマの使い魔は、苦しそうにもがいていた。
「何ですか、球体さん」
「俺にはマ・ジュドーってかっこいい名前があるんだ。それよりも上を見ろよ!」
「上?」
エシリアが上空を仰ぎ見ると、何かが飛来してきた。そしてそれは屋敷の向こう側にある丘陵へと降下していった。
『あれは……』
僅かな時間であったが、天使を天使が見間違えることはなかった。しかも、それはエシリアが見知った存在であった。
『アレクセーエフ……』
間違いない。あの天使はアレクセーエフだ。エシリアは不快感が込み上がってくると同時に嫌な予感がふつふつと湧いてきた。
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