永遠の魔女⑤

 どうもきな臭くなってきたものだ。


 総本山エメランスに行くつもりをしていたサラサであったが、エメランスなどに行っている場合ではないかもしれないと思いなおしていた。


 マランセル公爵領の宿場町―トリンビー村というらしい。トリンビー・マランセルから取ったのだろう―で宿を取り、宿の食堂で夕食を取っていると、宿の主が頼みもしていないのにぺらぺらと喋り始めたのだ。


 「ほほう、魔女ですと?」


 主の話を聞き終えたジロンがそう問い返した。


 「そうでございますよ。公爵様の御陵の近くにお屋敷があるのですが、そこに魔女が住んでおるんですよ」


 主はさも嬉しそうに話す。きっとここ最近では客が珍しく、そのような話をしたくてうずうずしていたのだろう。


 「本当に魔女なのですか?」


 ジロンが問うと、噂でございますよ、と主は返した。


 「そのお屋敷は、公爵様の第四十八番のご夫人であるメイビア様のもので、公爵様が晩年に愛されたご夫人のおひとりでした。今は無人となっているはずなのですが、どうも魔女が住み着いていて、暫し若い男を浚っているというのです」


 ほほう、とさも感心したかのようにジロンは相槌を打つが、サラサは胡散臭く思っていた。


 『魔女などいるものか。馬鹿馬鹿しい』


 さほど美味くもないスープを飲みながら、心中で毒づいていた。所詮そのような話は伝承民話の領域から出ないというのがサラサの持論であった。


 魔女の伝承については帝国各地に残されている。基本的に魔女は天使達によって封印された悪魔とは異なる。その多くが人間の女性が魔に魅入られ悪しき存在になった、というものである。


 帝国で最も有名な魔女の伝承といえばワシャーレンの魔女であろう。今から五百年以上も前のことで、領主に迫害されたある部族の女性がワシャーレンの泉に入水したことから始まる。それからというもの、その近辺では記録的な旱魃が毎年発生し領主を苦しめた。これはワシャーレンの泉に入水した女性が魔女となって復讐のために起こしたとされた。それから領主は自らの非を詫び、入水した女性を鎮魂する祭礼を行うことで旱魃は止んだといわれている。ちなみにその祭礼は現在でも行われていた。


 『所詮その程度のことだ』


 サラサが知りえる限りの魔女の伝承話は、概ねワシャーレンの魔女と似たり寄ったりであった。それは物語としては面白いが、実在するなどとは到底思えなかった。


 そもそもサラサは、悪魔の存在すら疑っている。こういう考え方をする者は決して少なくなかった。今から百年程前には教会の高位の司祭が悪魔の存在を全否定したことがあった。


 『私は天使の存在を認めている。実際にその姿を見ているから。しかし、悪魔の存在は認めない。何故ならその姿を見たことがないからだ』


 その司祭はそのように主張し、結果として教会から破門されることになったが、彼が主張した実証主義的な考え方は、現在では広く人々の間に浸透していった。サラサもその一人であった。


 「しかも、若い男だけではなく、畏れ多くも天使様も浚っているという専らの噂でございますよ」


 畏れ多いなどと言いながらも、宿の主はやはり嬉しそうだった。


 『また天使か……』


 サラサはうんざりしながらも、こうも連続して天使に関わりを持つことになろうとは思っていなかった。単なる偶然か、それともやはり天使という存在の裏に何事あるのではないか。どうにもきな臭くなってきた。


 「本当に今は誰も住んでいないのか?」


 サラサは初めて主に対して口を開いた。主はサラサが関心を示したことが嬉しいのか、表情を一層明るくさせた。


 「勿論でございますよ。そのお屋敷は寂れてしまい廃屋同然です」


 「実際に中に人がいないと確認したのか?」


 「いえいえ。そこまでのことは致しません。基本的に御陵は立ち入り禁止でございますし、賑やかな頃は我々も近くまで行ったことがありますが、今ではほとんど近づきません」


 「実際に見ていないのにどうしていないって分かるんだ?」


 サラサは執拗だった。主はそんなサラサを不思議そうに見つめながらも、話を続けた。


 「お屋敷に人がいるとして、食料などの日用品を調達しようと思いますと、この村に来るしかございません。しかし、そのような人物はここ数十年見かけておりません」


 「ということは、以前はいたということですな?」


 ジロンが口を挟んだ。


 「ええ。私は存じておりませんが、父などはよくお屋敷の執事さんとよくお話したそうですよ」


 「その執事とやらが来なくなってどのぐらい経つんだ?」


 質問したのはサラサである。主は分からないのか、首をひねるだけであった。


 「その屋敷に住んでいたという夫人はどうなったんだ?公爵が亡くなったのが五十年ほど前だから、その頃若かったのなら夫人は生存していてもおかしくないだろう」


 「メイビア様は大変ご不幸な方でした……」


 主は急に表情を暗くした。これも話を盛り上げるための演出なのだろう。サラサは話の内容よりも、この主そのものの方が面白くなってきた。


 「メイビア様は公爵様が晩年に得られたご夫人でございましたから、大変な寵愛をお受けになられました。確かその頃は二十歳前後だったそうです。女ざかりでございますから、メイビア様も公爵様のことを深く愛されました。しかし、公爵様もお年を召されためでしょうか、移り気が激しくなりまして、次第にここから遠ざかっていったのでございます」


 サラサには理解できない話であった。どうして二十歳そこそこの女性が老境の男を愛することができるだろうか。どうせ地位と金目当てだったのではないか。サラサはそんなことを思ってしまった。


 「失意の淵にあったメイビア様は、ある日を境にお屋敷からいなくなられてしまったのです。お屋敷に勤められていた方々は自裁されたのではないかと周囲を捜したのですが見つからず、メイビア様がお戻りになられることはついにありませんでした。メイビア様の失踪を深く嘆かれ、自分の行いを悔いた公爵様は、自分の死後、メイビア様との想い出に浸りたいから遺体はこの地に葬って欲しいとご遺言されたそうです。」


 世間ではこれが悲恋としてお涙頂戴とばかりに人の涙を誘うのだろうが、サラサは何の感慨も抱かなかった。それよりも、メイビアの死が確認されていないことが気になった。当時二十歳前後だとすれば、現在は七十歳を越えたぐらいだろう。かなりの長寿となるが、あり得ないことではなかった。


 「するとその魔女とやらがメイビアである可能性はあるわけだ」


 サラサがそう言うと、主は首を激しく振って否定した。


 「そんな滅相もないことを。メイビア様が生きておられるなど、考えられません」


 「そうですな。食料などを調達している様子がないようでしたら、生きて住んでいるとは考えられませんな」


 ジロンも同調したので、サラサはそれもそうだと思い直した。ただ、そうだとしても、若い男や天使の失踪は事実として残るのだ。


 『どうにもきな臭いな……』


 自分の故郷であるコーラルヘブン領の近くである以上、看過できなかった。ましてや天使にまつわるごたごたに巻き込まれたばかりである。いろいろと調べてみる必要がありそうだった。


 『総本山など後回しだ』


 サラサはそう決意した。

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