永遠の魔女②
サイラス教会領とエストヘブン領に挟まれたマランセル公爵領は、かつては数多くあった公爵領のひとつでしかなかった。
今から遡ること五十年ほど前、ジギアス帝の祖父であるマイオストロ帝の御世にトリンビー・マランセル公爵という名物男がいた。
あえて名物男と記したのは、歴史に残るような事績を残したわけでもないのに、永く人々の記憶の中にその名を留めているという点にあった。
政治的にも軍事的にも才能があったわけではない。ただ貴族らしからぬ豪放磊落な性格と歯に衣着せぬ言動が当代の人々に強烈な印象を与えた。それだけではなく、芸術と美女と酒をこよなく愛し、生涯抱えた寵姫は五十名とも百名以上とも言われていた。
いくつか逸話が残されている。
マイオストロ帝の命により山賊討伐へ出征した時、マランセル公爵はお気に入りの寵姫を数名連れていった。どうにも戦下手であった公爵は、山に篭る山賊を攻めあぐねながらも、夜な夜な寵姫を抱くことを忘れなかった。しかしある日、山賊の逆襲に遭って寵姫を浚われてしまったのである。それからというもの公爵は人が変わったように山賊を攻め立て、瞬く間に山賊を討伐してしまったのである。
そのことを聞いたマイオストロ帝は、
『これからも公爵の寵姫が山賊どもに浚われれば、山賊討伐は唯一公爵の手柄になるな』
と冗談で言うと公爵は、
『それでは私の寵姫達の半分で帝国の山賊は一掃できますな』
と返したので、マイオストロ帝も苦笑するだけだったという。
もうひとつの逸話。
ある日、宮廷で皇帝主催の晩餐会を催すことになり、会場に何か美術品を置こうと思い、マイオストロ帝はマランセル公爵に意見を求めた。公爵は、
『それならば私の寵姫達をお貸しいたしましょうか?この会場を埋めることはできましょう』
と言った。これにもマイオストロ帝は返す言葉がなかったという。
また同じ場面で、今度は賓客をもてなすための酒について、マイオストロ帝がどのような酒を振舞えばいいか公爵に下問すると、公爵は帝国各地の酒の種類を次々と上げ、そのひとつひとつに製造過程や味の寸評を加えていったのである。あまりの知識量にマイオストロ帝が呆れながらも、参考になった旨の謝辞を述べると、
『陛下、酒と美女に関してはやはり実際に数多く嗜まなければお分かりにはなりませんぬ』
と公爵は応じたのであった。これはマイオストロ帝が恐妻家で、生涯のうち側室を持たず、唯一正妻しか女を知らなかったといわれていることに対する痛烈な皮肉であった。マイオストロ帝は苦虫を噛み潰したような顔をしながらも、皇帝として鷹揚に笑うしかなかったという。
マランセル公爵にはこういう逸話が尽きなかった。それらの逸話がまるで物語のように語り継がれ、ある意味で名君といわれたマイオストロ帝と対極にある人気者となった。
さしたる功績のなかったマランセル公爵であったが、その人柄は皇帝以下貴族、延臣達に愛され、ひと時の権勢を誇った。マランセル公爵は本拠となる領地以外にも多くの飛び地を所有することになり、そのひとつひとつをお気に入りの寵姫に与えていった。
しかし、トリンビー・マランセルの死後、マランセル家の家運は急速に傾いた。彼には三十名近くの子がいたが、いずれも凡庸かそれ以下であり、トリンビーほど洒脱に宮廷の政界を遊泳することができず、その莫大な遺産はトリンビーの遺児達と残された寵姫達に食い潰されていった。いつしか膨大なあった領地のほとんどがなくなり、ついにはマランセル家自体が断絶となった。
しかし、サイラス教会領とエストヘブン領の間にある公爵領のみは、そこにトリンビーの御陵があるために永代マランセル公爵領として残ることになったのである。帝国ではこのような領地を『御陵領地』とか『墓領地』などと呼んでいた。
「要するにトリンビー・マランセルというのは色男だったわけだ」
上記の様な知識は、生まれて十四年しか経っていないサラサ・ビーロスでも知り得ているほど、帝国では常識となっていた。それでいてトリンビー・マランセルを色男と呼んだのには、多少の侮蔑が込められていた。
「色男はお嫌いですかな?」
供をするジロン・リンドブルが笑うように言った。
「嫌いも何も単に羽振りのいい男の自慢話など私が好むと思うか?」
「思えませんな」
ジロンははっきりと言った。小説にしてもサラサが好むのは、恋愛小説よりも軍記物だ。
「しかし、この公爵っていうのはそれほど裕福だったのか?五十人だか百人だか知らんが、それだけの寵姫をよく養えたものだな」
「そもそも公爵家は、皇統に連なる家系です。トリンビーの全盛期には相応の資産はあったようですな」
「ふ~ん。羨ましい限りだな。そういえば、ジロンが生まれた頃にはまだ公爵は存命だったのだろう?」
「はい。しかし、あまりにも幼少故、まるで覚えておりません。ただ、華やかな時代であったことはおぼろげながら覚えております」
「華やかな時代ね……」
史書を紐解く限り、確かにマイオストロ帝の時代は華やかなであったろう。帝国の経済は安定し、大乱もない平和な時代であった。それを息子のエルニードが食いつぶし、孫のジギアスが破壊したと言われている。
「そういう時代に生まれておれば、私もお前と二人連れで旅をすることもなかっただろうな」
「私は感謝しておりますよ。こうしてサラサ様と出会えましたからな」
「私は爺さんを張り切らすために生きているわけじゃないんだがな……」
サラサとジロンは、バスクチで軍を解散させた後、エストヘブン領を脱出していた。行く先はサイラス教会領で、そこで天使に関する何事かの情報を得ようと考えていたのだ。ミラの証言により、エストヘブン領内乱の背後に天使の存在があるのではないかという疑惑が浮かび上がってきたからである。その道中に二人はマランセル公爵領を通過することになった。
ちなみに二人の関係は、表面的にはさる商家の娘とその執事ということになっている。ジロンがそのように提案したのだ。
『別に祖父と孫でいいじゃないか?』
『それならサラサ様は私のことをおじいちゃんと呼べますかな?』
と返されれば、サラサとしてはジロンの提案を受け入れるしかなかった。
「どうですかな?急ぐ旅でもありませんから、公爵の墓参りでもして行きませんかな?」
「墓参りとは爺むさい趣味だなぁ。墳墓なのか?」
帝国において丘陵形の墳墓を建てることができるのは皇帝のみである。但し、皇帝の勅令によって許された者も丘陵形の墳墓に埋葬することができた。
「そのはずです。公爵が亡くなった当初は訪れる者も多かったと聞きますが、今ではこの有様ですからな」
サラサとジロンは街道を歩いている。しかし、路面はまるで整備されておらず凸凹で、道標も文字がかすれているうえに朽ちかけていた。
「それよりもここには人が住んでいるのか?さっきからまるで人影を見ないが……」
「御陵領となって免租地となりましたから、人は集まると思うのですが、どうもそんな様子はないようですな」
御陵領となった領地は租税が免除される。そのため商人やらが集まってきてそれなりに繁栄するものだが、どうにも公爵領に関してはそんな様子が微塵もなかった。
「まぁいいか。領地を通過させてもらうんだ。ご挨拶でもしておくか。で、どっちなんだ?」
「はてさて……。この道標では分かりかねますな……」
ジロンが朽ちかけている道標と睨めっこしている。
「頼りないな……。仮にも街道っぽいんだ。適当に行けば、何かあるだろう」
「そうしますか」
ジロンはようやく目を離した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます