必勝と必敗②

 結果から言えば、レジューナ率いる二千の兵は、迎撃に出たマグルーン派の兵四千とカランブル北部の平原で遭遇、散々に打ち破られた。軍隊の態を失い、惨めに敗走したのであった。


 当然、マグルーン派は追撃に出た。この追撃が成功していたら、二千の兵は全滅するところであった。しかし、バスクチの狭隘な地形にジンが指揮する残留部隊が伏せていて、巧みな奇襲によって追撃を阻止し、なんとか全滅は免れることができた。


 「まことに申し訳ございません。折角集まった兵の多くを失い、醜態を晒してしまいました……」


 自らも痛々しいまでの傷を負ったレジューナが這い蹲るように土下座して謝した。


 「顔を上げなさい、レジューナ」


 生気を失ったアズナブールの顔からは、はたして彼が怒っているのか悲しみに潰されそうになっているのか判然としなかった。


 「それで残った兵は?」


 アズナブールがジンに尋ねた。


 「動ける兵は八百程度です」


 「そうか……」


 アズナブールは無念そうに嘆息した。僅かではあるが、目の淵に涙を溜めていた。


 「こうなれば、死んでお詫びを!」


 突如としてレジューナが剣を抜き、自らの腹に当てようとした。しかし、ジロンが素早く動き、レジューナの手を打って剣を落とした。


 「おやめなされ。ここで無用な流血をしても始まりませんぞ」


 ジロンがそう言うと、レジューナは顔を床につけて号泣した。


 『この程度で号泣するようでは……。アズナブール殿の陣営にはまともな将帥がいない』


 サラサは、それがあまりにも致命的に思えた。いくら兵を募っても、それを運用できる将がいなければ、ただ無為に兵の命を戦場に投げ捨てるようなものであった。


 「これからどうすべきか……。敵の追撃は阻止できたが、いずれまた敵は攻めてきますぞ」


 ジロンは集まっているアズナブール陣営の首脳陣を見渡した。ちなみにサラサは、まだジロンのことを紹介していない。単に警護をしてくれている爺さんとしか言っていなかった。


 『その問いに答えられる奴なんているものか。ジロンも人が悪い』


 ジロンはすでにこの陣営にいる連中の才覚をとっくに見抜いているのだろう。それを承知で言ったとなると……。


 『あいつ、私を乗せようとしているのか……』


 サラサがジロンの方を見ようとすると目が合った。涼やかな目でこっちをじっと凝視していた。


 「お前には何か手立てがあるのか、ジロン」


 その手には乗るか、とサラサは先手を打った。


 「ジロン?ジロンですと?」


 「そうだ。ジン殿。彼はジロン・リンドブル。かの神託戦争で恐れられた『雷神』だ」


 おおっ、と歓声が上がった。やはり『雷神』の名前は伊達ではなかった。


 「『雷神』が我らの陣営に?これは心強い」


 「先ほどレジューナ殿の剣を叩き落した時、只者ではないと思っていたが……」


 「これでマグルーン派の連中に一泡吹かせられる」


 効果は覿面であった。この場にいる誰しもが『雷神』の登場によって一筋の光明を見つけたのだ。これでサラサに妙な立場を強いろうとする者もいなくなるだろう。ジロンは明らかに困惑していた。


 「皆さん、お待ちください。私は確かに前線で剣を振るうことはできますが、軍を指揮した経験はございません。今この陣営に必要なのは、全軍を指揮できるだけの才覚と威儀を持ち合わせた人物でありましょう」


 ジロンが反撃に出てきた。アズナブールの首脳陣に訴えかけながらも、視線は絶えずサラサに向けられていた。


 「サラサ殿」


 しばしの沈黙があり、口を開いたのはアズナブールであった。


 「私は将帥としては失格です。その才能もありませんし、任務を全うするだけの体力もありません。しかし、ここにいる者達に対しては最低限の責任を果たしたいと思っています。どうか、私に成り代わってここにいる者達を導いていただけないでしょうか?カランブルでの一件を見る限り、貴女には十分その才能がおありになります」


 まさかアズナブール本人からそのようなことを言われると思っていなかったので、サラサにとっては完全に不意打ちであった。ジロンやミラからそのようなことを言われた時は、舌鋒鋭く反撃してやると思っていたのだが。


 「アズナブール殿……。それは筋が違うような……」


 サラサは、らしくない弱々しい反論しかできなかった。


 「この際、筋などというものは意味ありません。我々が生き残れるかどうかなのです」


 言い切りアズナブールには有無を言わせぬ迫力があった。サラサは、反論の糸口がまるで見つからぬほど困惑していた。


 アズナブールはかなり思い切ったことを言っている。アズナブールに属するこの軍隊の軍権をサラサに委ねると言うのだ。アズナブールと血縁関係にあるわけでもなく、主従の関係でもない。知人程度の間柄なのだ。しかも、サラサは十四歳の少女である。普通であるならば、周囲から反対意見がすぐさま出てもおかしくないのだが、そのような声はいっさい上がらなかった。寧ろ何事かを期待するような視線をサラサに集めていた。ここにいるほとんどの者がカランブルでのことを知っているのだ。


 「サラサ様。何を迷っておられるのです?このために戻られたのではないのですか?」


 「ミラ……。お前」


 「今はこういう時代です。いくらサラサ様が望まなくても、その才覚のために世に出なければならないこともあります。人々がその才覚を望んでおられるのに、むざむざ隠し続けるなんて……」


 「ミラ!もういい!」


 サラサは声を荒げた。怒られたと思ったのか、ミラが消えるような小さな声で、申し訳ありませんと謝罪した。


 「謝ることはない、ミラ。お前の気持ちは十分分かったし、アズナブール殿に頼まれては断れん」


 サラサは覚悟を決めた。こうなっては決めざるを得なかった。


 「但し、二つほど条件があります。ひとつは私が指揮を取ることに不満のある者がここを去ることを許してやって欲しいのです。もうひとつは私自身も前線に出ることです。この二つを了承していただきたい」


 「分かりました。お任せする以上、私がとやかく言うことはありません。全てお任せします」


 「聞いてのとおりだ。ただ今よりアズナブール殿より軍権を一時的にお預かりした。これに不服な者は早々に立ち去るといい。咎めたりしない」


 サラサが宣言すると、おおっという歓声があがった。誰しもがサラサが指揮を取ることを望んでいたようであった。


 『アズナブール殿に踊らされたな。意外にしたたかな御仁かもしれん』


 アズナブールを見てみると、表情を変えずに座っていた。その時ジロンと目が合ったが、にやりと笑っていた。

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