必勝と必敗
必勝と必敗①
バスクチというのは地域の名前で、村や街が存在しているわけではなかった。
位置的にはメトス地方、カランブルよりも北にあり、旧コーラルヘブン領とは目と鼻の先であった。
地形的には山岳地帯の旧コーラルヘブン領に近いせいか丘陵や森林が多く、平原での生活に慣れ親しんできたエストヘブン領の人々が居を構えるような場所ではなかった。その分、アズナブール達が身を潜めるには適した場所であるといえた。
「エストヘブンにもこんな場所があったとはな。確かにこれは隠れ家には最適だ」
コーメルが操る馬車に乗り込んだサラサは、バスクチの地形的な豊かさに感嘆した。
『いや、身を潜めるだけじゃない。この地形ならば少数でも十分戦える』
左右には山系が連なり、その山系に挟まれた低地には河川が流れている。この地形を知悉し、しっかりと活かしていけばアズナブールが決起したとしても、マグルーン派の軍を翻弄することは可能だろう。
サラサは脳裏に今しがた見てきた地形を思い描き、敵がどこから攻めてくるか、味方はどのように陣取ればいいか、あらゆる状況を夢想していた。
「これはなかなかの要害。攻めるに難し、守るに易い、といったところですかな」
ジロンがサラサの夢想を妨げてきた。どうやらサラサと同様のことを考えていたらしい。
「おいおい、ジロン。少女にそんな物騒な話をするもんじゃないぞ」
「ふふ。はたしてそうですかな。サラサ様」
ジロンが不敵な笑みを浮かべた。
今ではサラサはジロンのことを呼び捨てにしてしまい、ジロンもそれを素直に受けれているようだ。傍から見れば完全に主従のようであるが、サラサはそのような関係を望んではいなかった。
確かにジロンの存在は心強い。言うまでもなく神託戦争の英雄であるし、盗賊三人を瞬く間に倒した手腕は、これからのサラサには間違いなく必要となるはずであった。
しかし、それほどの人物であるジロンがどうして自分に従ってきているのか、サラサにはまるで理解できなかった。
女の二人旅では心細いだろう、とジロンは当初言っていた。アズナブール派と合流できた今となってはジロンはお役御免のはずである。だがジロンは、サラサの元から去ろうともせず、相変わらず付いてきていた。
『何を考えているんだ……』
害意を加えるつもりはないだろう。『雷神』と勇名を馳せた男がするはずもなかった。あるいはミラと同様にサラサに何事か大それたことを期待しているのだろか。問いただしてやりたかったが、ジロンはおそらく本心を話さずはぐらかすであろう。サラサはむすっとして黙り込んだ。
馬車は隘路を進んでいたが、やがて大きく開けた空間に出た。相変わらず山々に囲まれているものの、河川の川底も非常に浅く、両軍がぶつかり合うならここしかないだろう。
「あそこの山腹に急ごしらえですが砦を築いています。そこにアズナブール都督がいらっしゃいます」
テナルが山の中腹辺りを指差したが、木に覆われていて砦らしきものは見当たらなかった。上手く隠せているようだ。
『アズナブール殿の陣営にも軍事が分かる者が出てきたか……』
これでミラも自分を神輿に乗せるような真似をしないだろうと安堵していると、正面の山陰から騎馬兵の隊列が姿を見せた。サラサ達の場所などまるで見えていないかのごとく、粛々とすれ違っていく。
『アズナブール殿の軍か?』
出迎えかと思ったが隊列は長く、騎馬だけではなく、歩兵や兵糧を積んだ荷馬車も見られた。
「これはまるで戦場へ向う行軍ですな」
ジロンが口にするまでもなく、誰が見ても戦場へと向う軍隊の姿であった。
「テナル。何か聞いているか?」
「さて……。存じておりませんが」
テナルが不安そうな顔で通過する軍を見送っていく。
「サラサ様。呼び止めて聞いてみましょうか?」
「いい、ミラ。そこまでする必要はない。兎も角、アズナブール殿の所へ急ごう」
とは言ってみたものの、無性に気になり、黒々としたものを払拭できないサラサであった。
アズナブールがいるという砦は、山腹の茂みの中に隠されるように建てられていた。馬車で乗り付けることができず、山道から歩く羽目になった。
「大丈夫ですか、サラサ様」
サラサより四倍以上の年齢であるジロンは、その老いを感じさせないようにすいすいと登山道を進んでいく。
「コーラルヘブン生まれを舐めないでもらう。山道は庭のようなものだ」
サラサも負けてはいない。山岳地帯のコーラルヘブンで生まれたもののにとって、山を歩くことは生活の一部であった。それは領主の娘でも変わりないことであった。
山道をある程度登ると、木で作られた柵が見え、その奥に砦があった。
「あれが砦か……」
砦というにはあまりにもか細い感じの、小屋と言った方が正しいような建物であった。平屋建てで、付随している物見櫓がかろうじて砦と呼べる装飾となっていた。
「こういう砦が近辺に点在しております」
「そうだろうな」
先頭を歩くテナルの説明に、サラサとしてはそう言うしかなかった。
ぎこちない敬礼をする門番達の横を通り過ぎたサラサ達は、砦の中に足を踏み入れた。
砦の中は薄暗く、いくつかの部屋に仕切られているようだが、アズナブールはすぐに見つかった。地図を広げた机を前にし、青白い顔で椅子に座っていた。彼の周りには鎧を着た男達と、アズナブールの世話をしているのだろう看護服姿の女性もいた。
「ああ、これはサラサ殿……」
アズナブールはサラサの姿を認めると立ち上がろうとした。机を支えにし、いかにも辛そうであった。
「アズナブール殿、そのままで」
サラサはアズナブールを制止し、自分も空いていた椅子に座った。
「こうしてまた会えるとは思っておりませんでした」
「私もです、アズナブール殿。色々と再会の言葉は尽きませんが、それよりもここに来る途中、軍隊とすれ違いましたが、あれは?」
以前よりも青白く、さらにやつれたアズナブールの顔が覿面に曇った。
「私から説明しましょう」
と言ったのは、アズナブールの傍に控えていた男であった。サラサは見覚えがあった。カランブルでの時に、サラサが前線に行けと命じた男であった。
「そなたは確か……」
「ジン・ジョワンと申します。ジンとお呼びください」
「分かった、ジン殿。聞かせてくれ」
ジンの説明によると、先のカランブルの陥落は敗北というよりも放棄であったらしい。戦火が激しくなるのを見て、カランブル市民にこれ以上迷惑をかけられないと判断したアズナブールが放棄を決意したのだという。
その後、バスクチ地方に砦を築き、息を潜めながらも兵を募っているうちに二千人ほど集まってきたのだった。
「二千人か……」
決して多くない数字だが、今のアズナブールの現状を考えると、精一杯の数であろう。
「はい。それで気をよくしたレジューナ殿をはじめてとする一部の者達がカランブルを奪還するために出陣したのです。都督はお止めしたのですが、血気盛んな連中には焼き石に水でして……」
『こんな馬鹿な話があるか!』
サラサはそう叫び散らしたかった。カランブルに常駐している兵力は、先にカランブルに行ってきたジロンの見立てでは四千から五千。まともにぶつかって打ち勝つことのできる兵力差ではない。
『こういう場合、敵を複雑な地形に誘引し、地の利の頼みにして敵を分断、あるいは奇襲奇策を持って挑むのが常套手段であろうに!』
このバスクチの地形こそそれに相応しいのに、わざわざ平野部に出て行くとは。よしんば平原での会戦に勝利したとしても、カランブルを奪還するとなると敵よりも数倍の兵力がいる。それは兵法の常識である。そんな常識すら知らないとは無能にもほどがある、とサラサは憤った。
「サラサ様。ひとまず軍の帰還を待ちましょう。必ずしも悪い結果になると決まったわけではないのですから」
「そうだな……」
ジロンの言うとおりなのでサラサは頷くしかなかった。しかし、サラサの見立てではどう考えても勝ちようのない、必敗の征旅であった。
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