逃避行②
サラサ・ビーロスをエストブルクから脱出させる。事情はどうあれ、ジロンが心動かされたのは確かだった。
サラサは罪人の家族としてエストハウス家に預けられている。それを脱出させるのだから、ジロンとしても犯罪の片棒を担ぐことになる。エストヘブンでの領地を没収させれるどころか、犯罪者として帝国全土を逃げ回ることになるかもしれない。
そういうことを理性的に判断できないジロンではなかった。しかし、その理性を吹き飛ばすだけの魅力をジロンはサラサに感じていた。単なる同情だけでサラサの脱出に手を貸そうとは思っていなかった。
『わずか十四歳の少女なのに、あの威厳。一生を軟禁生活で終えるような人ではあるまい』
只者ではない雰囲気を持っている。永年、臣下として主君に仕えてきたジロンには分かる。人の上に立つ者には生まれもっての風格や威厳というものを備えているものなのであろう。
『まさにビーロス家。ゼナルド殿の血を引いているといったところか』
ジロンは目を瞑り思い返した。戦場で合間見えたゼナルド・ビーロス。剣を振るう武闘派のジロンに対し、ゼナルドは軍の作戦を考える頭脳派の参謀であった。通常参謀は後方にあって作戦を考えるのが役目であったが、ゼナルドは常に前線にあって作戦指揮をしていた。お互いの顔を肉眼で拝むこともしばしばであった。
前線に立つゼナルドは、沈着冷静に恐れることなく大胆な作戦を立て、ジロンは幾度となく苦杯を飲まされてきた。その表情は精悍で、兵士達を死地に飛び込ませるだけの威厳に満ちていた。
いや、威厳だけではない。サラサには父にも劣らぬ知能を持ち合わせていた。彼女から聞いた脱出計画は、大胆なようでなかなか細かく練られていた。
『色々と調べさせてもらった。『雷神』は本日エスティナ湖の領地に帰る。しかも馬車を一台雇っている。ということはたくさんの土産を買って帰るつもりだ。その荷物の中に紛れて脱出すればいい。『雷神』の馬車となると検閲も緩いだろう』
しかもサラサは時間帯や各門における兵士の数や交通量なども調べ上げていて、一番脱出が容易い経路を選定していたのだ。彼女が事前にエストブルクから脱出することを想定したのは間違いなかった。
協力しようと決意した以上、何としても成功させねばならなかった。ジロンは遺跡群の観光を取りやめ、街中に戻って土産や生活品を買い集めた。そしてサラサが脱出に最も適した時間と判断した日没を迎えた。
「うまくいくのでしょうか……」
巻き込まれる形になってしまったモートンが不安そうな顔をして馬を寄せてきた。ジロンとモートンが馬に乗って先頭を行き、その後方を沢山の荷物とサラサ達を乗せた馬車が付いてきている。
「そんな顔をするな。普通にしていれば怪しまれることはない」
はぁ、と気の抜けた返事をしてなおも不安そうなモートンから前方へとジロンは目をやった。
日没近くになり、街へと入ってくる人や馬車は多いが、出ていくのは少ない。自然と出ていく方の検閲が緩くなるというのがサラサの読みであった。その読みとおり、街へ入ってくる側の検問所には長蛇の列ができていて、兵士も多く集まっていた。
『素晴らしい読みだ。これは上手くいくか……』
検問所が近くになり、ジロンも緊張してきた。
「止まれ!」
検問所のひとりの兵士がジロンの前に立ち塞がった。兵士の動作は面倒臭げでふてぶてしかった。
「お勤めご苦労様です」
「これから街の外へ」
「左様。新しき領主様にお招きいただき、その帰りです」
ジロンがそう言うと、兵士の表情が急に強張った。こちらが領主の客人と知って緊張したのだろう。急に背筋を伸ばし、きびきびとした態度でジロンに近づいてきた。
「これは失礼致しました。これも役目でございます。積荷を検めさせていただきます」
「それは勿論。しかし、土産物と食料品ばかりですぞ」
「すぐに終わらせていただきます。普段なら素通りしていただいても結構なのですが、中央からお触れが回っておりまして」
「お触れ?」
「はい。当家にとって重要な預かり人が逃げ出したとの報告を受けておりまして」
失礼します、と兵士が荷馬車に向った。ジロンはさらに緊張の度合いを強めた。
『ビーロス殿達が逃げ出したことがばれたか……』
サラサ達は教会への参拝という理由をつけて特別に外出を許可してもらったという。サラサ曰く、日頃の行いがよかったので監視は付けられなかったらしい。だから今日を決行日に選んだようだが、流石にこの時間になって戻らないとなると、逃げたと判断させれても無理ないだろう。
『こうなれば天に祈るしかないか……』
もしばれたらどうするか?ジロンも罪に問われることになるならば、いっそうのこと剣をもって切り抜けるしかない……。
「おお、一杯ですな」
兵士が荷馬車の中を覗いて声を上げた。ジロンも馬を降りて、荷馬車に向った。
「いくつか中を検めさせてもらってもよろしいですか?」
ジロンが頷くと、兵士が近くにあった木箱を開けた。
「ほお、芋ですな」
「ええ。連れが好きなものでな」
「ははぁ。そうでありますか」
兵士は蓋を閉め、いくつかと言いながら他の木箱や樽や袋を片っ端から開けていった。きっとこの兵士は真面目に職務を遂行しているわけではあるまい。領主の招待客である貴人がどういうものを買い漁ったか気になるだけであろう。
「お、これは……」
兵士が最後に目をつけたのは、荷台の奥にあった大きな酒樽だった。
「それはワインですよ。こればかりは私も目がなくてね」
ジロンは自ら荷台に乗り込み、傍にあった柄杓を手に取り、酒樽の上部あった栓を開けた。中から赤い液体が流れ出し、ジロンはそれを柄杓で受けた。
「いかがかな?」
栓を閉めたジロンは柄杓を兵士に差し出した。
「いや、これは……。職務中ですし……」
などと言いながら、兵士の喉はワインを欲するように激しく上下していた。
「硬いことを申されるな。荷物を全部調べて喉も渇いておられよう」
「では、ちょっとだけ……」
兵士は柄杓を受け取り、美味そうにワインを飲み干した。
「もうひとついかがかな?」
「いや~結構です。これ以上飲むと、上役にばれて叱られます」
「それもそうだな」
「ご馳走様でございました。それとご協力ありがとうございました。お通りください」
敬礼する兵士。しかし、その足元はやや覚束なかった。わざと度数の強いワインを入れておいたのだから、当然である。
「役目、ご苦労様でした」
ジロンは自分の馬に戻った。サラサ達のことがばれず、ジロンはひとまず安堵のため息を漏らした。
エストブルクを出てしばらく経つと、ジロンは荷馬車を止めさせた。
「ここまで来れば一安心か……」
馬を降り、荷馬車に向ったジロンは、芋の入っていた木箱を叩いた。
「もうよろしかろう」
ジロンが声をかけると、木箱の横が外側に向って開いた。
「ぷはぁ。こんな暗くて狭いところ、長い間入っているものではないな」
木箱の中から姿を見せたのはサラサであった。箱の上部を二重蓋にして芋を並べ、中を空洞を作ってサラサが隠れていたのだ。この仕掛けはサラサが考案したものだった。
「おい、ミラ。もういいってよ」
今度はサラサが声をかけると、一番奥の酒樽の蓋が開いた。中に入っていたのはサラサの身辺警護をしているミラであった。
「サラサ様の発想には感心しますが、これは少々辛いですね」
ミラはやや顔を赤らめていた。エストブルクでの検問の際、兵士にワインを馳走した酒樽だが、実は中身は空で中にミラが入っていたのだ。ジロンが酒樽の栓を開けると同時にミラがその穴から瓶に入ったワインを注ぎ出し、あたかも樽の中にワインが入っているように見せかけていたのだ。
「ミラは下戸だったか。それはすまないことをした」
「この中にサラサ様を入れさせるわけにはいきませんから」
酒樽の中は空といえワインが入っていたのだ。その残り香は相当なものだったはずだ。
「お二人とも休んでいる暇はないぞ。今日中には我が屋敷までたどり着きませんと」
「そうだな。やってくれ」
サラサは荷物を寄せて座る場所を空けると、そのままどかっと座り込んだ。逃避行をしているのに緊張や不安といったものを微塵にも表にしなかった。
「おたくの姫様は大した度胸をしておられるな」
「ええ。頼もしいですけど、何を仕出かすか分かりません」
「二人で何を話している。早く出してくれ」
サラサが手を叩いて促した。ジロンとミラは互いに苦笑をしたのを確かめながら、ジロンは馬に、ミラは荷馬車に乗り込んだ。
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