逃避行

逃避行①

 ジロンにとって領都エスルブルクを訪ねるのは二度目だった。一度目は領地を拝領しその礼を言うため。そして今回が二度目である。


 隠居を決め込んでいて、世間の俗事に関わるつもりなど毛頭なかった。だからジロンは当初は断るつもりでいた。しかも、主催者がネクレアとベンニルとなれば、またマグルーン派に組しろとか色々言われるはずである。考えるだけで気が重くなった。


 だが、ジロンの心を動かしたのは、サラサ・ビーロスという少女の存在であった。今回の宴席の目的は彼女の無聊を慰めるというものらしい。


 『サラサ・ビーロスか……』


 彼女が戦争犯罪の一族としてエストハウス家に預けられていることはジロンも承知していた。いずれ会ってみたいものだと思っていたが、お互いの立場を考えればまず無理であろうと諦めていたのだ。だから、今回の宴席はまさに好機であった。


 ジロンがサラサに固執するのは、彼女がゼナルド・ビーロスのひとり娘であったからに他ならない。ジロンはゼナルドと度々戦場で合間見え、幾度となく苦渋を飲まされた相手だ。その娘というものを見てみたかったのだ。


 それに憐れみを感じてもいる。彼女自身の罪科ではないことで囚われているというのは不憫でならなかった。


 『せめて生前の父上の勇姿を語り聞かせてあげたいものだ』


 ジロンはその一点だけを胸に秘め、宴席に参加することにした。


 結果から言えば、サラサに会うことはできた。喋ることもできたのだが、ゼナルドの勇姿を語り聞かせるという目的を果たすことはできなかった。しかし、サラサ・ビーロスという人となりが多少なりとも分かることができた。


 ゼナルドに似て整った顔立ちは年相応の美しさを持ちえていたし、何よりもジロンを驚かしたのはその言動であった。目上のジロンに対しても礼を尽くしながらも毅然としていたし、ものの言い方もやや皮肉がかっていたが、年齢以上の知性を感じさせられた。


 『ゼナルド殿はよき子を残された。今度はじっくりと話し合ってみたいものだ』


 ジロンは後一日、領都に滞在するつもりでいる。短い期間であるが、どういうわけかまた彼女と会えるのではないかという予感がしていた。




 宴席の翌日、ジロンは領都観光をしようと計画を立てていた。エストブルクには三百年前に建造された教会の遺跡群があり、また帝都にも名が聞こえた歌劇団が拠点を構えている。それらを巡っていれば夕方になり、そのまま領都を去るつもりでいた。


 しかし、その計画は早々に頓挫してしまった。ジロンと縁故を持とうと思う者達がどこでどう聞き得たのか早朝から宿に押し寄せてきたのだ。観光へ行こうとしていたジロンとしては今更仮病を使うこともできず、いちいち相手をするしかなかった。全ての来客が去った時には昼を過ぎていた。


 「やれやれ……。『雷神』なんて肩書きを勝手につけられて、こんな苦労をするとはな。いっそうのこと返上したいものだ」


 「何を仰います。それが男爵様のご人徳じゃありませんか」


 「なら、今からモートンが『雷神』を名乗ってみるか」


 「ははは。その異名はうちの女房のほうが似合ってますよ」


 モートンが豪快に笑ったので、ジロンのつられて笑った。


 今回の旅にモートンを連れてきていた。本当はキャロンも連れてくるつもりだったのだが、


 『私は結構でございますよ。こんな婆さんが領都に行っても疲れるだけですから』


 と断り、留守をしてくれていた。


 「さて、そろそろ出かけるとするか。新しい『雷神』に土産でも買ってやらんとな」


 そう言うとモートンがもう一度大きく笑った。


 時間的には教会の遺跡群を巡って歌劇を見ている余裕はなかった。どちらへ行くか迷った挙句、遺跡群を見に行くことにした。


 エストブルクにある教会の遺跡群は、およそ三百年前に建てられた礼拝堂とその付近に並ぶ天帝、天使達の石像のことを指している。三百年間、災害や戦災に遭わなかったことからほぼ当時の状態で残されており、教会の歴史を知るうえで貴重な資料となっている。


 もともとエストヘブンとコーラルヘブン一帯は、教会への信仰が厚い土地として知られていて、教会に関する古い遺跡が多いことでも知られていた。特にコーラルヘブンは、初めて天使達が舞い降りた地ではないかという研究結果もあり、山岳地帯の至る所に原始的な洞窟型の礼拝堂が無数に点在していた。


 ジロンもいずれその洞窟型の礼拝堂を見てみたいと思っている。しかしそれは単なる知的好奇心の為であり、決して教会への信仰心からではなかった。


 不思議なことであるが、ジロンには教会の信仰心が極めて薄かった。勿論、天帝や天使のことを否定しているわけではなく、時として祈りを捧げることもある。強いて言えば、熱心になれないということであろう。自らの剣技で生きてきたジロンにとって、何者かにすがって生きるということがどうにも馴染めないのだった。


 「はぁ……。大きな建物でございますな」


 モートンが礼拝堂を前にして感嘆の声をあげた。モートンにしてもこの礼拝堂を信仰の対象物としては見ていない様子である。エステイナ湖近隣の町や村しか知らぬ彼にとって、これは驚くべき巨大な建築物でしかないらしい。確かにモートンやキャロンの暮らしぶりを見ていても、敬虔深いとは言えなかった。


 「モートンにしてもキャロンにしても、それほど厚く教会を信仰しているようには見えんな」


 「そりゃ、天帝様は偉いと知っていますし、司祭様のお話はありがたいと思います。でも、それでは食ってはいけません」


 なるほどと思った。モートンのような考え方をする人が多ければ、神託戦争などというものは起きえなかったであろう。


 そのような、教会からしてみれば罰当たりこの上ないことを考えながらジロンは礼拝堂の中に踏み入れた。


 巨大な円錐状に近い形をした建物の中は大きな空洞になっていて、奥まったところに天帝の石像が安置されている。机や椅子などなく、ただ地面に絨毯が敷き詰められていた。


 「はぁ。結構な人でございますな」


 礼拝堂の中は人で溢れかえっていた。多くはジロン達同様観光客で立ったまま見学しているのだが、中には熱心な信徒がいて、その場に跪いて熱心に祈りを始める者も少なくなかった。


 ジロンは人の群れを掻き分け、一目天帝のご尊顔を拝見しようと思った。それで油断していたわけではないが、ジロンの背中に先端が鋭利なものを突きつけられた。


 「後を向かずそのままゆっくりと進め」


 女の声だった。しかも殺気がまるで感じられなかった。道理で『雷神』と恐れられた自分があっさりと背後を取られるわけだとジロンは納得した。


 「どういうつもりか知らんが、木の短刀では人を脅すことはできんぞ」


 ジロンはゆっくりと歩きながら言った。相手がはっと息を飲むが聞こえた。


 背中に突きつけられているのが本物の短刀ではないことがとっくに見抜いていた。それでも脅迫に従ったのは、この茶番に何やら面白みを感じていたからだった。


 「だ、男爵様……」


 隣にいるモートンは蒼白になっていた。


 「いいんだ、モートン。お前も素直にしておけ。下手に動くと後の奴が飛び掛ってくるぞ」


 モートンの後にはフードを被った人物が立っていた。殺気こそ感じないが、相当できる人物であることは雰囲気で察せられた。


 「どういうつもりなんだ?」


 「これでも『雷神』として人に恐れられてきたという自負がある。その『雷神』を脅そうとしているのだ。どのようになるか、興味があるだけだ」


 「意地の悪い奴だ。だったら、素直に付き合ってもらおう」


 背後の人物が指示に従い連れてこられたのは、教会遺跡群のはずれであった。目立った建造物などなく、人影はまるでなかった。


 「さて、人目もなくなったことだし、そろそろ姿を見せてくれてもいいのではないか?」


 「そうだな……。振り向いていいぞ」


 ジロンが振り向くと、フードを深く被り、全身をマントで身を隠した二人の人物が立っていた。そのうち一人は身長が低く、子供ではないかと思った。しかし、木の短刀を握っていることから、主導的な立場にあるのは身長の低い方であろう。


 「これも取らねば非礼に値するか。相手はあの『雷神』なのだからな……」


 身長の低い方がフードに手をかけた。


 「しかし……」


 「構わんだろう。どのみち姿は晒さなければならないんだからな」


 フードを取った。現われた顔に今度はジロンが息を飲む番であった。


 「サラサ・ビーロス様……」


 見紛うことなく、あの宴席で出会ったサラサ・ビーロスであった。あの時よりも威厳に満ち、目に力強い光が宿っていた。


 「手荒なことをしてすまなかった。こうでもしないと貴方に接触できないと思ってな」 


 サラサが不要とばかりに木の短刀を投げ捨てた。隣の女もフードを取った。宴席の時にサラサの傍にいたあの女騎士であった。


 「私に接触?どういうおつもりか?」


 「頼みがある。私達はエストブルクを脱出する。手助けして欲しい。でき得る限りのことはしてくれるのであろう」


 サラサは頼みだと言ったが、ジロンには有無を言わせない命令のように聞こえた。

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