獅子達の時代⑨

 「勝手に都督の部下に命令し、あまつさえ兵を動かしてしまいました。その罪、いかようにも受ける所存です」


 敵兵が引いた後、アズナブールの容態が回復してきたので、サラサは彼の前に跪いた。自分がとんでもないことをしたという自覚はあったが、悔いてはいなかった。あの場はああするより他なかったのだ。


 「どうぞお立ちください。寧ろ感謝の言葉を述べなければならないほどです。あなたがいなければ、私共は皆、戦火の中で焼かれていたでしょう」


 アズナブールが手を取ってサラサを立たせた。


 「左様でございますとも。ビーロス様は我らが救世主でございます」


 レジューナが実に調子のいいおべっかを言った。こやつがしっかりしていれば、とサラサは思わないでもなかった。


 「ところで攻めてきた賊の正体は分かったのですか?」


 言わずもがな、という感じであったが、サラサは一応訊いてみた。


 「それについてですが、このような書状を戦場で拾いました」


 とアズナブールに紙片を差し出したのは、前線に出ていた男であった。


 アズナブールはその書状を広げて一読した。みるみるうちに顔色が蒼白になり、倒れるようにしてソファーに座り込んだ。


 「都督!」


 「大丈夫です。それよりもサラサ殿もぜひご一読ください」


 「私が読んでもよろしいのですか?」


 アズナブールが頷いたので、サラサは書状を開いた。


 内容は兵士や市民に配られた檄文のようであった。アズナブールが西部鎮守都督になったのをいいことに軍を私物化し、領主であるベストパールに対して謀反を企てている、それ故に正規軍が討伐しにきた、というものであった。


 「なんと愚かな……」


 サラサはあやうく書状を握りつぶしそうになってしまった。しかし寸前のところで堪え、レジューナに渡した。


 「馬鹿な!アズナブール様が謀反とな!事実無根にもほどがある!」


 レジューナが怒り心頭とばかりに喚き散らしたが、その分サラサは幾分か冷静になれた。


 「その末文のベストパール様の署名と印璽は本物ですか?」


 「本物……かと思います」


 アズナブールが弱々しく答えた。


 「まさかベストパール様がこの書状を!実の子に対して謀反の嫌疑をかけるなど、親子の情というものがおありなのか?」


 「そうとも限らないでしょう。署名は似せられますし、印璽も持ち出せればどうにでもなります。ただベストパール様はすでにご自身の意思で動くことができない状況下にあると考えていいのではないでしょうか?」


 「それはどういう……」


 「すでにベストパール様は病で意識がはっきりとされていないか、あるいは亡くなられているということです。レジューナ殿」


 サラサが言い切ると、重苦しい空気が場に垂れ込めた。ううっ、とミラが嗚咽を漏らした。


 「それでマグルーン派の連中が、このような暴虐の振る舞いに出たというわけか!」


 レジューナが怒気を露わにするほど、サラサはさらに冷静になっていく。


 「レジューナ殿。領都にはあなた方の仲間はいらっしゃるのですか?」


 「勿論です。領地にもアズナブール様を次期領主にと考えておる同志は数多くおります。はて、その同志達からは何の連絡もなかったが……」


 「おそらくそのお仲間達も領都で誅殺されているか、寝返ったのかもしれません」


 「そんな馬鹿な!お、おい。今すぐ領都の様子を探ってまいれ!」


 レジューナが近くにいた兵士に命じた。


 「今はやめた方がいいです。包囲されている状況下では捕まってしまうのがおちです」


 サラサがそう言うと、命じられた兵士は安堵の顔を浮かべた。


 「それよりも今は時間を稼ぐべきです。敵は体勢を立て直し次第、再度攻撃を仕掛けてくるでしょう」


 「でも、どうやって……」


 先ほどまで怒りに満ちていたレジューナが急に動揺の色を浮かべた。アズナブールの不幸は、この無能な家臣達に囲まれたことかもしれない。


 「敵に返書しましょう。紙とペンは?」


 そこの卓上にあります、とレジューナが言ったので、サラサはそちらに向かった。アズナブールの執務机なのだろう。机の高さの割に椅子が低く、サラサが座ると机の上に手が届かないだろう。サラサは紙とペンだけを取って壁で書き始めた。


 『私アズナブールが謀反を企てているということであるが、これは全くもって事実無根の話である。一部の佞臣による妄言でしかない。それに現在カランブルにはサラサ・ビーロス嬢がいる。ビーロス嬢は罪人の一族ではあるが、皇帝陛下の勅命によりエストハウス家が預かっている身である。万が一、ビーロス嬢の身に何かあった場合は、皇帝陛下の勅命に逆らうことになるのだから、覚悟されよ』


 サラサが一気に書き上げると、アズナブールに見せた。アズナブールは一読すると顔をこわばらせた。


 「私達にサラサ殿を盾にしろと仰るのですか?」


 サラサは頷いた。サラサの身に価値があるとすれば、今はそれしかなかった。


 「これに書いたことは事実です。私は皇帝の命令でエストハウス家に預けられています。まぁ、問答無用で攻めてくるかもしれませんが、皇帝の名前を出せば少なくとも前線の兵は逡巡するでしょう。あるいは領都に問い合わせるかもしれません。時間稼ぎにはなります」


 「しかし、私達の内紛にサラサ殿を巻き込んでしまうことになります」


 「もう十分巻き込まれていますよ、アズナブール殿」


 嫌味ではなかったので、微笑を交えてサラサは言った。観念したように目を閉じたアズナブールは、サラサの書いた書状の末文に自ら署名し、印璽を押した。


 「これを敵方に渡してきてくれ」


 アズナブールはそのまま綺麗に書状を折り畳むと兵士に渡した。


 「さて、これで時間が稼げるとして、どうしましょうかね」


 サラサは一同を見渡した。しかし、積極的に意見する者はなく、俯いてサラサから視線を逸らす者もいた。


 『これでは駄目だ……』


 つくづくアズナブールが哀れであった。才覚云々の話ではなく、アズナブールを何としても守ろうという意気すら持ち合わせていない連中ばかりである。


 「サラサ様には妙案がおありなのでしょうか?」


 沈黙を破ったのはミラであった。


 「なくもない……」


 自分がアズナブールの立場ならこうする、という案がサラサの胸のうちにはあった。


 『私なら早々にカランブルを捨て、旧コーラルヘブン領に逃げ込む。あそこは天然の要害だから、寡兵でも大多数の敵を相手できる』


 その後、近隣領主にマグルーン派の非を訴えるのもよし、あるいは皇帝に直訴してもよし。取り得る選択肢は格段に増えるのだ。


 しかし、サラサはその策のすべてを開示するつもりはなかった。なにしろコーラルヘブン領は本来ビーロス家のものである。アズナブールには同情するが、それだけは譲るわけにはいかなかった。


 「ひとまずカランブルから脱出すべきでしょう。この街は広大ですから守るにはあまり適していません。それに非武装の市民も多い。どこか適当な場所に砦を築き、各諸侯や皇帝に敵方の非を訴えるべきでしょう」


 「カランブルを捨てるですと……」


 レジューナが驚愕の声をあげた。


 「それよりも都督は領内西部の軍権を握られておられる。各部隊に檄を飛ばし、カランブルに集結して抗戦するのです。そうすればいずれ領都にいる同志も蜂起してくれましょう」


 ここぞとばかりにレジューナが自らの考えを主張した。サラサもその手を考えないでもなかった。しかし、すでにマグルーン派に先手を打たれている以上、レジューナの言う各部隊にもマグルーン派の手が何らかの形で回っていると考える方が無難である。アズナブール配下だと思って集まってきた部隊の中に裏切り者がいる可能性も否定できないのだ。


 『だからといって、私の案も万全ではない……』


 カランブルを捨てて拠り所となる場所があるのか、ということである。サラサとしては旧コラールヘブン領以外にないと思っているのだが、それについては先述したとおりアズナブール達に教えるつもりはない。仮に教えたとしても旧コーラルヘブン領にいる部隊がアズナブールに味方するとも限りないのだ。


 一同の目がアズナブールに注がれた。ここはアズナブールが決断すべき場面であった。


 「私は……」


 アズナブールは明らかに逡巡していた。今までの人生でこれほど大きな決断を迫られたことはないから無理のないことだとサラサは思った。レジューナ、そしてサラサの順で視線を運んだアズナブールは、一息ついてから口を開いた。


 「私はカランブルを捨てられない。私が都督として赴任した時、カランブルの市民達は大いに歓迎してくれた。私はそんな彼らを捨てて一人逃げることなんてできない……」


 要するにレジューナの案を採用するということだろう。選択した理由がいかにもアズナブールらしいと思った。


 『それもひとつの選択か……』


 もはやサラサは異を唱えるつもりはなかった。どちらが賢明な選択であるかは結果論でしか分からない以上、アズナブールの決断もまた最良の選択であるとしか言いようがなかった。


 「サラサ殿はいかがなさるのです?メトスに戻られるのなら、そのように取り計らいましょう。敵も危害を加えることはしないでしょうから」


 「その方が良さそうですね」


 今でこそサラサはアズナブールにとって盾となっているが、その効力がいつまで続くかは不明である。盾から枷に変わる前に身を引くのがアズナブールのためでもあった。


 「でも、もう少し様子を見ましょう。さっきの書状に対して敵がどう反応してくるかを見てからでも遅くはありません」


 サラサ殿がそう仰るなら、とアズナブールは言ってくれた。




 敵方から反応があったのは四日後であった。通常早馬を飛ばしても領都まで片道二日掛かるのだから、マグルーン派の首脳部が領都を離れているらしいことが窺い知れた。


 しかし、この四日間はアズナブールにとっては貴重で十分な時間稼ぎになった。レジューナの提言どおり、西部鎮守都督配下の部隊をカランブル近郊に集めることができたのだ。


 一方、肝心のマグルーン派からの返書は、大方サラサの予想通りであった。


 アズナブールの謀反が事実無根ではないことを、およそ理性的ではない過激な文章で書き連ねたうえ、サラサの身は領都エストブルグで預かるというものであった。


 「まぁ、従うほかないですね。私は俘虜の身だから」


 アズナブール達にはいかにも仕方なさそうに言いながらも、サラサは内心ではこうなることを半ば望んでいた。内紛に首を突っ込むつもりは毛頭ないが、エストハウス家に身を任せている以上、もう一方の実情を知っておく必要があると思ったからだ。


 「そうですか……私としてはもっとサラサ殿と色々と語り合いたかったのですが……」


 「それは私も同様です。アズナブール殿。でも、それはまたいずれの機会に」


 と言いながらも、そんな機会は訪れないのではないか、とサラサは予感していた。アズナブールの体調のこともあるが、サラサがカランブルを出ると間違いなく戦端が開かれる。戦争状態になれば、果たしてアズナブール達が生き残れるかどうか疑わしかった。


 「ミラ。君はサラサ殿の共をなさい」


 「都督……。畏まりました」


 サラサはほっとした。ミラと引き離されるのではないかと心配していたので、アズナブールの配慮に感謝した。


 「お元気で、アズナブール殿」


 「お元気で、サラサ殿」


 サラサはアズナブールと握手を交わした。以前握手した時よりもさらに温もりを感じられない手であった。

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