獅子達の時代⑦

 「いい方だったな、アズナブール都督は」


 アズナブールとの夕食を終え寝室に通されたサラサは、一風呂浴びてから寝台の上で大の字になって寝転がった。


 「はしたないですよ、サラサ様」


 「都督の前でいい子ちゃんしていたからな、疲れたよ。今晩ばかりは勘弁してくれ」


 今晩って毎晩じゃないですか、と呆れて言うミラ。そのミラも大きな欠伸をした。


 「都督は見識があり、歴史にも精通している。政治を行うには申し分ない人物のように見受けられる。まったくもったいない話だ」


 サラサの見る限り、病弱という点を除けばアズナブールは領主に相応しい人物であるには間違いなかった。そんな人物が領主になれないというのは才能の無駄遣いであり、領民にとっても不幸でしかなかった。


 「ご本人がその道を望まれないのです」


 「それがもったいないのだ。一般の民衆ならまだしも、為政者につくべき身分の者が自分の好む好まざるで全うすべき責務から逃げ出してよいものかと思うのだ」


 「別に逃げ出しておられるわけではありません」


 ミラがきつい口調で言った。支持しているアズナブールを批判されたのを怒っているのだろうか。


 「怒るなよ、ミラ。でも、事実だろう?都督がはっきりと自分が領主を継ぐと宣言していれば、今日のような事態は回避できたかもしれないだろう?」


 「それはそうですが……」


 「私も面と向って都督を非難するつもりはない。政治なんてものは単純な力学で成り立っているわけじゃないからな。寧ろ複雑怪奇だ。それは歴史を勉強すれば理解できることだ。都督はその複雑怪奇な政治力学を解きほぐすほどの強靭な精神を持ち合わせておられないだろう」


 「それがお分かりなら、都督を責めるのはおやめください」


 「私は単に歯がゆいんだ。成すことができる才能を持ちながら、成すことができる立場にいながら何も成さずにいるということが」


 サラサとて別に領主になりたいとかそんなことを考えているわけではない。ただ、己の才能を自由に発揮できる身分というものがひどく羨ましいのだ。


 「サラサ様……」


 ミラもサラサの傍にいて、その鬱屈が痛いほど分かるのだろう。語気を改め、急に申し訳なさそうに顔を歪ませた。


 「私は将来というものを考えていると、時々恐ろしくなることがある。自分がどんな将来を迎えるのだろうかと。以前なら……神託戦争なぞ起こらなければ、私はコーラルヘブンでお姫様として育てられ、他の領主の所にでも輿入れして、領地経営に多少の口を挟みながらも平凡に人生を終えていただろう。でも、今の私にはそんな将来像がまるで見えてこないんだ」


 「サラサ様。もうおやめください」


 「私はあの屋敷で一生過ごすんだなと思うと堪らなく辛くて怖い。何も成さず、あの屋敷で物を食べ、寝て起きて、また食べてを繰り返すだけの生活を後何十年も繰り返すだけかと思うと恐怖でしかない。だから都督のことが羨ましいし憎い。あるいは都督にしてみれば、私の身分の方を羨ましく思っているかもしれないがな」


 結局人生なんて無いものねだりなんだな、と言い終えると、急に睡魔が襲ってきた。はしたないかもしれないが、そのまま大の字で寝てしまうことにした。




 「サラサ様、起きてください」


 まどろんだ意識に緊迫感に満ちたミラの声が滑り込んできた。激しく体を揺すられているのも感じた。


 「うん……何だ?」


 まだ完全に目覚めきっていないサラサは目を擦りながらも、何かよからぬ事態が発生していることだけは理解できた。


 「何やら騒がしいのですが……」


 サラサは耳を澄ました。確かに深夜にも関わらず騒がしい物音や人の声がかすかに聞こえてきた。


 「火事か何かが発生したのではないか?」


 サラサはストールを羽織り、バルコニーに出た。夜の闇に沈む街並みの一角から炎があがっていた。


 「やはり火事ですね」


 ミラが手を翳して遠方を眺めた。火の手は意外に激しく燃え上がっている。


 「ミラ。あの火の手があがっている区画には何があるんだ?」


 「確か兵舎のはずです。ちょうど兵糧庫のあたりでしょうか……」


 「そりゃ一番火の手に気をつかっている場所じゃないか。そんな所で火事だなんて……まさか……」


 サラサがその続きを言うとした時であった。別の場所からも火の手があがった。しかも、ひとつふたつではなく、無数に火柱が夜の闇に浮かび上がった。


 「延焼しているのでしょうか?」


 「違う。これは放火だ。しかも、単なる放火じゃない」


 攻撃を受けているんだ、とサラサが言うのと同時に、遠方から鬨の声があがった。はっきりとは見えないが、放たれた炎が兵士らしき姿を無数に映し出していた。


 「一体何が……」


 ミラは呆然としているが、語るまでもなかった。マグルーン派が攻め込んできたのだ。


 「逃げるぞ、ミラ」


 「サラサ様。しかし……」


 「やはり昼間に襲ってきたのはマグルーン派の連中だったんだ。私をカランブルに近づけないための警告で、この攻撃は事前に計画されていたものだったんだ」


 確証はないが、間違いないだろう。サラサは部屋の中に戻って着替え始めた。


 「ミラも早く着替えろ。厩舎に行く」


 「は、はい」


 ミラもようやく事態の重大性を把握したのだろう。慌てて部屋の中に戻ってきていた。


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