獅子達の時代⑥

 カランブルに到着した頃には日はすっかりと落ちていた。それでも深夜にならなかったのは、コーメルの卓越した手綱さばきのおかげであった。


 流石にアズナブール側は心配していたらしく、市街地に入る門前には騎兵が待機していた。


 「遅れて申し訳ありません。途中でサラサ様が寄り道したいと申しませて……」


 ミラが窓を開け、騎兵に耳打ちをした。賊に襲撃されたことをアズナブール側に隠すために、そう言うようにミラと打ち合わせてしておいたのだ。


 「はぁ。なるほど」


 騎兵の一人は納得したようだった。きっとサラサの普段の行いはカランブルにも伝わっているのだろう。噂に聞く我儘姫を見てみようと、その騎兵は物珍しそうに馬車の中を覗き込んできたが、サラサはすまし顔で無視をした。


 「アズナブール都督が迎賓館でお待ちです。ご案内します」


 騎兵が馬車の前に出て先導し始めた。馬車がゆるゆると進み始めたので、ミラが窓を閉めた。


 「よろしいのですか、サラサ様」


 「何が?」


 「襲われたことを申し上げなくてもよろしいのですか?少なくとも都督にはサラサ様の身柄をお守りします義務があります」


 「私にそれほどの価値があるとも思えないな」


 「サラサ様」


 「冗談だ。でも、ミラが言うようにあれが盗賊だとすれば、西部鎮守都督のお膝元にわざわざ乗り込んでくるようなことはしない。それともミラはあれが単なる賊ではないと言いたいのか?」


 我ながら意地悪な言い方だと思ったが、ミラの腹を探るには丁度いい機会であった。


 「我がエストハウス家が微妙な問題を抱えていることはご承知かと思います。サラサ様とアズナブール都督が接触することを面白く思っていない者もおります」


 意外にもミラは率直であった。ならばサラサも単刀直入に言うまでだ。


 「それはマグルーン派のことを言っているのか?」


 ミラは黙って頷いた。


 「しかし、私がマグルーン派に対して警戒感を持つように、アズナブール派がやった自作自演かも知れんぞ」


 「そのようなことはありません!都督はそのような方ではありません」


 驚くほど大きな声であった。しかし、それでサラサは確信した。ミラはアズナブール派なのだと。


 ミラは、サラサに自分がアズナブール派だと悟られたことに気がついたらしく、急に気まずそうに俯いてしまった。


 「ミラはエストハウス家の者だ。お前がどちらの派閥についていようが、私には関係のない。ただ、警護役である以上は、私の身を守ってくれよ」


 「はい……」


 ミラは消えそうな声で言った。


 馬車が迎賓館とやらに着くまでの間、サラサは必死になって考えた。ミラがあの賊のことについて知らなかったとなると、やはりマグルーン派の差し金だったのだろうか。


 『いや、アズナブール派だって一枚岩であるまい。急進的に事を進めようとする連中もいれば、単にアズナブールを支持しているというだけのものもいるだろう』


 ミラは、おそらくは後者なのだろう。遠く隔絶された地にいるミラが領都やカランブルと連絡を取りながら権謀術数を巡らしているとは到底考えられなかった。


 『そんなことをせずとも、私をさらってアズナブールに所に駆け込めばいいだけのことだしな』


 それに、サラサの背後に旧コーラルヘブン領の勢力がいたとしても、それほど後継争いの重大な要因となり得るとは思えないのだ。


 『おそらくアズナブール派も、大して期待は込めていないだろう。一戦力になればそれでいい程度のはずだ』


 西部鎮守都督が管理下に置く兵力を思えば、旧コーラルヘブン領で動員できる兵力など胡麻粒のようなものである。


 『胡麻粒のことなど放っておいて欲しいものだが、どうにも無用な渦中に巻き込まれようとしているな……』


 しかし、この時のサラサは、まだまだ楽観的であった。




 馬車は騎馬に導かれるまま進み市街地を抜け、官庁街が並ぶ区画に入った。迎賓館はそのほぼ真ん中に位置している。車窓から篝火に照らされたその姿が見えてきた。


 「ああ、あの建物だったな」


 サラサは一年前の記憶を蘇らせた。


 カランブルの迎賓館は、その語感からはほど遠いほど貧相であった。外観は隣接している都督府の建物と大差ないほど装飾がなく、内装もとって付けたように飾り立てただけであった。


 馬車が大きく揺れて曲がり、迎賓館の敷地内に入った。迎賓館の周囲には無数の篝火が焚かれ、玄関先には出迎えが待ち受けていた。


 「ミラ。あの真ん中にいるのが都督殿か?」


 出迎えの人々の真ん中に背の高い若い男がいた。


 「はい。アズナブール都督です」


 そうか、とサラサが言うと、馬車が止まった。コーメルが扉を開け、先にミラが降り、サラサが続いた。


 「これはビーロス様。本日は遠路遥々お越しいただきありがとうございます。私がアズナブール・エストハウスです」


 その長身の男がすっと一歩前に出て、丁寧に頭を下げた。


 「こちらこそお招きいただきありがとうございます。サラサ・ビーロスです。都督にお目にかかれて光栄です」


 サラサもアズナブールに負けじと丁寧に余所行きの口調で挨拶をした。


 サラサはアズナブールの全身を観察した。長身のためか、体躯の線は普通の男性よりも細く見えた。確かに病弱そうである。しかし、年齢の割には童顔で若々しい感じがした。


 『都督は三十五歳だったな……。年齢的には私の父であってもおかしくないはずだ』


 サラサの父ゼナルドが亡くなった年齢が確か三十五歳であったはずだ。おぼろげながらも覚えている父の顔はもっと老けていたような気がした。


 『見た目だけで判断すれば、とても後継争いで策を弄するような男には見えんな……』


 そうなるとやはり裏で何かと糸を引いているのはアズナブールの周辺ということなのだろうか。この居並ぶ出迎えの中にその首魁がいるのだろうか。サラサは注意深く彼らを見渡した。


 「ビーロス様。久しぶりにお目にかかります」


 その中の一人がアズナブールに続き挨拶をしてきた。小柄な初老の男でアズナブールに続いて偉い奴、ということになるのだろう。親しげに話しかけてきたが、いったい誰なのかサラサはまるで覚えていなかった。


 「一年ぶりでございます。お元気そうで何よりです」


 サラサは当たり障りのない言葉で適当に応じた。


 「おお!覚えてくださっていたとは恐悦至極に存じます。前にお会いした時は私も病気で臥せっておりまして、前都督と同様に見舞っていただき、感激いたしました」


 サラサが自分のことを覚えていると思ったらしく、初老の男は嬉しそうに話を続けた。具体的なことを言われたが、サラサはまるで思い出せなかった。


 「レジューナ。ビーロス様は長旅で疲れておられる。早々に部屋にご案内しなさい」


 アズナブールがそう言ったので、この男が誰なのかようやくサラサにも分かった。レイモンド・レジューナ。代々エストハウス家に仕えているレジューナ家の者だ。しかし、彼を見舞ったという記憶はサラサにはまったくなかった。


 「左様でございますな。これは失礼しました」


 「如何致しましょう?夕食の準備はできておりますが、お疲れのようでしたら、今日は簡単なものを召し上がって、明日にでも……」


 アズナブールの心遣いは細やかであった。サラサはアズナブールが己の地位の優位に物を言わせて高飛車に出てくるようなどうしようもない男であったなら、我儘放題言って困らせてやろうと思っていたのだが、なかなかの好青年である。そんな気持ちはすっかりと失せてしまった。


 「折角準備していただいたのに無下にできません。ぜひ食事を共にさせてください。ただその前に着替えさせていただきませんか?」


 「無論です。案内させます」


 アズナブールは笑顔で答え、侍女達にサラサ達を案内するように命じた。




 着替えを終えたサラサ達は迎賓館の広間に通された。ここがカランブルで最も賓客をもてなすのに相応しい場所なのかもしれないが、外観同様飾り気に乏しく、普通の集会場か何かを急ごしらえで改造したような感じであった。


 それでも出された料理はどれも美味しく、美食家を自負するサラサの舌を満足させるに十分であった。また、アズナブールとの会話もサラサを満足させるものであった。


 アズナブールの言葉の片々には知性がにじみ出ていて、サラサの知的好奇心を充足させるにはあまりあるほであった。特にアズナブールは歴史に通じていて、とりわけ地方領主達の事跡について詳しかった。


 「するとアズナブール殿は、獅子王レオンナルドよりも同時代のケーツハイム伯を評価されるのですか?」


 サラサはデザートに出された苺のタルトに舌鼓を打ちながら、アズナブールとの会話を楽しんでいた。


 「そうではありません、サラサ殿。レオンナルド帝は確かに帝国史上最大の偉人ですが、経済的側面ではケーツハイム伯の方が見識があったと思うのです」


 アズナブールもサラサに対して親しみを感じ始めたのだろう。いつしか名前で呼ばれるようになっていた。


 「当時、帝国の経済は制度しては農作物を本位としたものでしたが、すでに実態は貨幣経済に移行していました。その矛盾にいち早く気づき、領内で貨幣経済を導入したのだがケーツハイム伯でした。その成功を知ってレオンナルド帝が帝国全体に貨幣経済を実施したのです」


 「そういえばケーツハイム伯は晩年に帝国の経済顧問を務められていましたね」


 「そうです。今の帝国経済があるのもケーツハイム伯のおかげなのです」


 なるほど、とサラサは呟いた。アズナブールの見識の豊かさはサラサに新たな知識の棚を増やしてくれた。ケーツハイム伯のことは知っていたが、それほどの偉人であるとは思っていなかったのだ。


 「都督。お話が弾んでいるところ恐縮ですが、もう夜も更けて参りましたので、そろそろ……」


 レジューナがアズナブールの傍により耳打ちした。


 「そうか。これは失礼しました。ついつい夢中で話をしてしまった」


 「私もです、都督。実に有意義な時間でした」


 サラサは手を差し出した。アズナブールは躊躇うことなくサラサの手を握り返してきた。ひどく冷たい手であった。

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