獅子達の時代④

 サラサを預かっているエストハウス家には厄介な問題があった。


 現在のエストハウス家の当主はベストパール・エストハウス。若い頃は聡明であったということは先述した。しかし、老境に差し掛かった頃からその聡明さは失われ、凡庸な、あるいはそれ以下の領主に成り下がっていた。


 ベストパールには二人の息子がいた。長兄はアズナブール・エストハウス。博学で温厚篤実な性格ながら生まれつき体が弱く、領主に相応しくないとばかりに父ベストパールから遠ざけられていた。


 次男はマグルーン・エストハウス。兄アズナブールとは二十歳近く年の離れた異母弟で、今年で十六歳になる少年であった。すべてにおいて兄とは正反対で体つきは丈夫で頭脳明晰と言われていた。


 ベストパールは痩身のアズナブールよりも溌剌としたマグルーンを愛し、明言こそしていないが、次期領主がマグルーンになるであろうことは領民の誰しもが知るところであった。


 アズナブールは、そのような領内の潮流についてまるで意に介していなかった。痩身の自分が領主に相応しくないことは百も承知だったし、領主になって政治的な仕事をするよりも、好きな歴史の研究をしていたいと思っていた。


 ここまでの話であれば、何事もなくマグルーンが次期領主となって終わっていただろう。だが、そうはいかない事情があった。アズナブール、マグルーン、双方を取り巻く家臣達が派閥を形成し、対立しているのであった。


 アズナブールに取り巻いているのは、古くからエストハウス家に仕える門閥家臣団で、習慣として長兄が跡目を継ぐべきだと主張していた。


 一方のマグルーンに取り巻いている家臣達は、新しくエストハウス家に仕えた者や下級役人が多かった。彼らはエストハウス家に新風を起こすのは若く元気溌剌としたマグルーンであると信じていた。


 双方は互いに牽制し暗闘しながらも、表立った対立にまで至らなかったのだが、一ヶ月前に事態が急転した。アズナブールが西部鎮守都督に命じられたのである。


 西部鎮守都督とは、エストヘブン領西部一帯の軍権を握る重職である。しかし、見ようによってはアズナブールが領都であるエストブルクから遠ざけられたとも受け取れる処置であった。


 肝心のベストパールは、未だ後継については口をつぐんだままであり、そのことが憶測ばかりを生み、事態をますます混乱させていた。




 遠乗りから帰ってきて午後の喫茶を楽しんでいたサラサは、ふとアズナブールの西部鎮守都督就任のことを思い出し、ミラに聞いた。


 「我らが都督殿はカランブルに到着されたのか?」


 西部鎮守都督となったアズナブールが赴任したのは、ここからそれほど遠くないカランブルという街であった。サラサの身も西部鎮守都督であるアズナブールの管理下に置かれるので、決して無関係ではなかった。


 「はい。無事にカランブルに入られたようです」


 「それは祝着。何か祝いの品でも送った方がいいかな?なにしろ私の殺生与奪を握っているのだから」


 「サラサ様、またそのようなことを……」


 「戯言だ。ミラも飲め。テナルが入れたにしては今日の茶はなかなか美味い」


 サラサはよくミラを喫茶に付き合わせていた。茶を飲みながら話し相手になってくれるのは、この屋敷ではミラしかいなかった。ミラもその辺のことを察してか、それとも相手になるようにテナルに言い含められているのか、いつも素直に応じていた。


 「では、ご相伴にあずかります」


 「物堅い言い方をするな」


 サラサは自らミラのカップに茶を注いだ。恐縮です、と言ってからミラは一口飲んだ。


 「祝いの品は兎も角として、手紙ぐらいは書いた方がいいかな。世話になるのは間違いないのだからな」


 「サラサ様がそのようにお考えでしたら、構わないのではないでしょうか?」


 「ふむ、そうだな。どうせ今晩も暇だ。都督殿が感涙するほどの名文を考えるとするかな」


 冗談ではなく本当にサラサは書くつもりでいた。感涙するほどの名文となるかどうか別として、挨拶ぐらいはしておくべきだろうと気軽な気持ちで手紙を出そうとサラサは思った。


 しかし、手紙を書く必要がない事態が発生した。当のアズナブールからサラサの無聊を慰めるための宴を催したいという誘いがきたのである。当然、着任の挨拶を兼ねてのことだろう。


 「それで私にカランブルに来いと言っている」


 アズナブールからの招待状を一読したサラサは、傍に控えていたミラにそれを渡した。読んでみろ、というサラサの意図を理解していたミラは、失礼しますと断ってから読み始めた。


 「私のために宴席を設けてくれるのが嬉しいが、呼びつけているみたいで嫌だな」


 家格としてはエストハウス家よりもビーロス家の方が上である。しかし、ビーロス家が断絶した以上はそのような意識は無用の産物である。


 尤も、サラサ自身に名家意識があるわけではなく、単に呼びつけられているという状態自体が不快でなのであった。呼びつけた相手が皇帝であっても、サラサは不快感を露にしただろう。


 「如何致します?お断りしますか?」


 ミラがそのように言ったので、サラサはおやっと思った。今までミラは、エストハウス家が絡んでくる問題で否定的な意見を言ったことはなかったのだ。


 『ミラはマグルーン派なのか……』


 マグルーン派ならば、旧コーラルヘブン領を治めていたビーロス家の遺児とアズナブールが接触するのは面白くないだろう。これまでミラは中立派と思っていたが、違うのだろうか。


 「折角のお誘いだ。断るわけにもいかないだろう」


 サラサはいかにも面倒くさそうに言った。しかし、変化のない日常に退屈していたので、内心ではとても楽しみであった。それにミラがどちら派なのか見極めようとも思った。

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