元聖職者は理不尽な世を嘆く④

 北へ向えば何があるのか。


 細々とした街道を歩きながらサイラス領の地図を思い浮かべる。司祭の教化活動に帯同するため、サイラス領は隅から隅まで歩き回ったのでよく覚えている。


 サイラス領の北部には山岳に隠されたような村々が点在している。非常に信心深く、ガレッド達が訪れると村を挙げて歓待してくれた。


 その記憶があるから北へ向っているのか。そうだとすれば虫のいい話だろう。今のガレッドは聖職者ではない。信心深い村人達だから、破門されたガレッドなど相手にしないに違いない。それでも歩みをとめるわけには行かなかった。


 日は完全に沈んでしまった。月と星の光だけが今のガレッドの行く道を照らしていた。


 「ん?何だ、この物音……」


 先に見える森の中からだろうか、何かしらの物音が聞こえてきた。いや、物音だけではない。微かではあるが、悲鳴にも似た声も聞こえる。


 無視すればいい。今のガレッドに何事かの騒動に首を突っ込んでいる余裕などない。しかし、元聖職者としての矜持がガレッドを突き動かした。


 「失礼」


 ガレッドは近くにあった樹木の太めの枝をへし折り、森に近づいた。


 何が起こっているのか、森に入ってみてすぐに分かった。一台の馬車に盗賊らしき風体の男達が襲いかかっていたのだ。地面には複数のたいまつが転がっていて、その情景をよく映し出していた。盗賊は三人のようだ。


 すでに馬車の周りには数体の血まみれの死体が倒れていた。盗賊らしき男達以外で生き残っているのは、なめし革の鎧を着た男と、その背後に隠れている少女だけのようだった。


 「いかん」


 なめし革の男は一人で三人の盗賊を相手にしていて満身創痍だった。躊躇している場合ではなかった。


 「だぁぁぁっ!おのれ、外道!」


 ガレッドは盗賊達の注意を引くため声を上げて飛び出した。


 「ちいっ。邪魔すんな」


 盗賊の一人がこちらを向いた。しかし、すでに遅い。ガレッドが振り回した木棒がその盗賊の頭を打った。盗賊はうめき声をあげる間もなくふっ飛び、地面に倒れたまま起き上がってこなかった。


 「野郎!」


 傍にいた盗賊がガレッド目がけて剣を振り上げた。ガレッドにしてみれば、緩慢な動作に見えた。隙だらけの腹部に思い切って木棒を突き入れた。盗賊は白目をむいて、口から泡を出しながら倒れた。


 「きゃあああ!」


 ガレッドが二人の盗賊を倒している間に、残った盗賊がなめし革の鎧を着た男の喉に短剣を突き刺していた。それを見ていた少女が目を覆いながら悲鳴を上げた。


 「そのまま目を閉じていろ」


 ガレッドは容赦しなかった。残った盗賊の後頭部に木棒を叩きつけた。盗賊は振り向くこともなく、なめし革の鎧の男共に崩れ倒れた。


 『殺してしまったか……』


 僧兵になって破門されるまでのこの方、人への殺生などまるでやってこなかった。武力を司る僧兵ではあるが、教会の内規で殺生を原則禁止していた。それだけに人を殺めてしまったことへの後悔がわずかながらもあった。


 『仕方あるまい。非常時だ。それに某はもう僧兵ではない』


 そう思い直したガレッドは、手で目を覆いながらしゃがみ込んでいる少女に歩み寄った。


 「その……もう大丈夫でござるよ」


 少女は目から手をのけ、ゆっくりと立ち上がった。背の高さはガレッドの半分ほどしかない。しかし、意外に度胸が据わっているのか、目の前の凄惨の光景を目にしても泣き叫ぶことなく、悲しげな顔をしてわずかに目に涙を溜めるだけであった。


 「助けていただいて、ありがとうございます」


 「いや、もう少し早く気がついておれば……。申し訳ない。しかし、これはあまりにも酷い……」


 神託戦争以後、盗賊の跋扈は著しいと聞く。ガレッドも僧兵として盗賊討伐に駆り出されたこともあった。大抵の場合は、武器をちらつかせて脅し、金品を巻き上げるだけなのだが、こうして皆殺しにしようとする盗賊は前代未聞であった。この少女にも、一緒に旅をしていただろう者達にも何ら落ち度はなかったはず。なのに、こんな目に遭うとは。本当に世の中は理不尽すぎる。


 「ああ、まだ名乗っておらなんだな。某はガレッド・マーカイズと申す。故あって、その……こんな格好で旅をしているが、決して怪しいものではござらん」


 そう言うと、少女はわずかに笑った。


 「私はレレ……、レン・キレイスと言います」


 「キレイス殿か……。この者達は、キレイス殿の縁者なのか?」


 はい、と消えそうな声で応じた。


 「どう致す?頼る宛てはござるのか?目的地がおありかな?」


 ひとまずこの少女を何処かに落着けなけばなるまい。しかし、少女は目を閉じて無言のまま首を横に振るだけであった。


 「色々と事情がおありのようだな。ならば、教会に保護を求めては……」


 「教会は駄目です!」


 少女は即答した。その小さな体から想像できないほど力強い否定であった。


 「そ、そうでござるか……」


 行く宛てもない。教会にも頼れない。自分と同じだな、とガレッドは思った。


 「ひとまず近くの集落を探しましょう。ここでじっとしていても仕方ござらん」


 「しかし……」


 レンは、馬車と無残な姿になった縁者達の亡骸に目をやった。このまま残していけない、と言いたいのだろう。


 「残念でござるが、今はこのままにしておくしか他ござらん。埋葬するにしても、集落を探し、そこの者に頼まなければ……」


 「そうですよね……」


 レン自信、そのことは分かっていたようだ。目を閉じ、深く頭を垂れた。今できるのは祈るだけなのだろう。ガレッドも黙祷した。


 「行きましょう。早く集落を見つけて埋葬してあげないと……」


 「そうでござるな」


 ガレッドは落ちていた松明をひとつ拾い、残りの松明はすべて消した。急に周りが暗くなった。惨劇の痕跡はもう見えなくなっていた。

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