少年は激昂し覚醒する②
シードとケーツを抱えたまま半時ほど飛行したエルマは、小さな宿場町を見つけたので、ちょっと離れたところで着陸した。
シードが使い物にならないぐらい憔悴していたので、エルマがケーツを負ぶさって宿場町に入った。そのまま医者のいる所へ行き、ケーツを診せた。
「命には別状ないが随分と憔悴している。ま、精のあるものを食べて二三日安静にしていれば大丈夫だろう」
太鼓腹の医者が腹を揺らしながら言った。
「そうか。回復まで預かってくれるか?」
エルマは金貨の入った袋を医者に渡した。嫌そうに顔をしかめていた医者であったが、袋の中身を確認すると表情が改まった。ケーツを預かることを快諾してくれた。
『まったく、医者のくせに結局金次第かよ』
呆れながら医者の家を出ると、道端に座り込んでいるシードを見つけた。ケーツよりもこいつの方が問題なような気がした。
「ケーツは医者に預けてきた。命には別状ないらしい」
エルマもシードの隣に座る。シードは僅かながら顔をこっちに向け、ありがとうございます、と言った。
「どうするよ、と言っても村に行ってみるしかないよな」
そうですね、とシードは小さな声を震わせていた。
「なぁ、行くのが怖いのか?」
エルマがそう聞くと、シードの体がびくっと揺れた。図星らしい。
「ま、そうだろうな。あの様子の小僧が嘘をついているとも思えんからな。村は大変なことになっているのは間違いないだろう。でも、ちゃんと確認しておかないといけないんじゃないのか?」
シードは何事か言ったようだが、まるで聞き取れなかった。
「ああ!じれったい!行くのか、行きたくないのか、はっきりしやがれ!」
エルマはシードの両頬を押さえ、顔をこっちに向かせた。涙こそ溜めていなかったが、目は完全に怯えの色を見せていた。
「そんな目をするなよ。まるで私のことを怖がっているみたいじゃないか」
「怖いですよ……」
ようやく喋ったと思ったら、自分のことが怖いと言う。かちんときたエルマは、両頬を押さえたままシードを突き飛ばした。
「てめぇ、人のことをここまで頼っておいて怖いだと?」
「だって、そうじゃないですか?エルマさんが村に来てから怖いことばかりじゃないですか。僕は見ず知らずの土地に連れ去られ、村は焼かれて」
なるほどそういう解釈もできるのか、とエルマは感心してしまった。しかし、シードの拉致以外に身に覚えがないエルマとしては黙ってはいられなかった。
「確かにお前を拉致したのは私だ。でも、村を襲ったのは私じゃない。それはお前が一番分かっているだろう」
「でも、エルマさんがよくない運気を村に運んできたんだ。エルマさん、悪魔なんでしょう!」
「てめぇ……。都合のいい時だけそのことを持ち出してくるんじゃないよ」
エルマは胸倉を掴んでシードを無理やり立たした。
「何でも人のせいにするんじゃねえよ。世の中のことを自分の都合勝手に解釈するんじゃねえよ。認められない現実を受け入れろよ。もうお前に逃げる場所なんてないんだよ」
シードは抵抗しなかった。抵抗する気力すらない様子だった。
「ちっ……。仕方ねえな」
エルマは人目がないことを確認し、宙に舞った。こうなったら強引にでも村に連れて行くしかない。
日がどっぷりと落ちた頃、カーブ村に到着できた。人家から漏れる灯りもなく月光も乏しかったので、エルマが魔法で炎を出した。
まさに惨劇の後だった。教会を除く建物は悉く消失していて、焼け跡からはまだ煙が立ち上っていた。さらにひどいのは、惨殺された村人の遺骸だ。無造作にあちこちに転がっていて、やった者の躊躇いや後悔の念などまるで感じさせなかった。
「こいつはひでえ」
エルマでさえ眉をひそめるほどだった。数歩離れた道端に赤ん坊を抱いた若い母親が倒れていた。下半身は焼け爛れ、背中には剣による傷が無数にあった。
「こいつ、天使から祝福を受けた赤ん坊の母親じゃないのか……」
だとすれば母親の腕で事切れている赤ん坊は天使に抱擁されたあの赤ん坊だろうか。
「天使の加護なんてあてにならんってことだな」
天使がいかに無能な存在であるか。エルマはこの惨劇だけで十分に証明されたような気がした。
「シード、見ろよ。これが現実なんだ。カーブ村は何者かによって焼き尽くされた」
シードは両膝を突いたまま呆然と村の光景を眺めていた。やがて滝のような涙を流し、嗚咽を漏らした。
『しばらくそっとしてやるか……』
この光景を見てしまっては、シードも現実を受け入れざるを得ないはずだ。そこから立ち直るまでどのくらい時間がかかるか知れないが、今は涙が涸れるまで泣かせるしかないだろう。エルマは魔法で出した炎を玉をシードの近くに置いて村を探索することにした。
「それにしても本当にひでえな」
生存者がいないかと思ったがこの様子では絶望的だろう。仮に息がある者がいたとしてもエルマには医術の心得はないし、悪魔なので治癒を目的とした魔法は使えない。助けることもできないのだ。
「教会は全焼を免れたか……」
エルマの足は教会に向いていた。この村で唯一レンガ造りのためか全焼はしていなかった。但し、二階三階部分はほとんど崩れていて原型は留めていなかった。
「あ、こいつは」
エルマは教会の前で足を止めた。折り重なる三つの遺体。一番下がマリンダ、そして一番上がブラシスだった。
「あの嬢ちゃんと司祭か……」
柄ではないと思ったが、世話になった以上、せめて黙礼でもしなければとエルマは目を閉じた。
「で?この真ん中は誰なんだ?」
しばらくして目を開けたエルマはブラシスの遺骸を丁重に除け、真ん中の遺体を蹴り飛ばし、マリンダの上から排除した。鉄製の鎧を着ている騎士のようだ。
「そういえば……」
カップフェルを出た所ですれ違ったあの騎馬の集団。あいつらもこれと同じ鎧を着ていたような記憶があった。
「確かに領主の代官とか言っていたな……。まさか、あいつらが襲撃したのか」
領民を守るべき領主の代官がそんなことをするだろうか。寧ろ山賊が村を襲ったところを騎士達が助けたとも考えられるが、そうであるならば村をこの状態のままにはしておかないだろう。
「エルマさん……」
背後からシードの声がした。相変わらず幽鬼のような表情だが、声ははっきりとしていた。
「おう、司祭とマリンダだ」
シードは完全に涙を涸らしてしまったのか、泣くことなくブラシスとマリンだの前に跪き、祈りを捧げた。
「エルマさん、こいつは?」
祈りを終えたシードが鎧騎士の前に立った。こいつには祈る気がないらしい。
「マリンダと司祭の間に挟まっていた」
「こいつがマリンダと司祭を?」
エルマは、シードの語気にはっとした。力強さがあり、目には鋭さがあった。悲しみを通り越し、怒りが満ち始めている感じがした。
「状況的見たらそうだろうな」
と言った瞬間、シードが騎士の遺骸に飛びかかろうとした。そうなることを察していたエルマは、シードの腕を掴み動きを止めさせた。
「やめておけ」
「で、でも!」
「憎い相手でも亡骸に危害を加えるのは感心しないな」
シードとしても多少の自覚があったのだろう。力を抜き、その場で項垂れた。
「一体、誰がこんなことを……」
「そのことなんだけどよ、シード。こいつには見覚えないんだよな」
エルマは鎧騎士を指差した。シードはちたっと見ただけで首を振った。
「そうだろうな。こいつはカップフェルトを出たところで行き違った奴らの仲間じゃないのか?同じ鎧を着ているし、奴らが来た方向もこっちのほうだったし」
「まさか……。彼らは領民を守るための騎士ですよ。そんなことするはずがありません」
と言いながらも、シードは自分の発言に確信を持っていないようだった。疑わしげに遺骸となった鎧騎士を見ている。
「ん?」
エルマはふとブラシスに目を転じた。彼の胸元の合わせ部分から紙片が覗いているのに気がついた。
「なんだこりゃ?」
エルマは紙片を抜き取り、開いてみた。内容を読み進めていくうちに、やはりあの騎馬集団が実行犯であるという確信を得た。
「どうしたんですか?何か書いてあったんですか?」
「やっぱりあいつらが犯人の可能性が高いな」
紙片は訴状だった。レンストン領の領主フェルナンデス男爵に宛てたもので、代官のトロンダが七公三民という法外な税率を命じてきたが男爵はご存知かどうか、というものであった。エルマは紙片をシードに渡した。
「ご大層に教会の誓紙に書いているじゃないか。おお、触っちまった……忌々しい」
教会の誓紙とは、教会の印章である『両翼十字』が印刷された誓紙で、契約や訴訟を行う際に使われる。誓紙に書かれたことが全て真実で嘘偽りがないことを宣言するもので、虚偽の内容を書いたり、書かれた内容を守らなかった場合は神罰が下るとされている。
「そんなものに書いたとしたら、よほどの覚悟だったんじゃないか?」
シードは何も答えず一字一字、確認するように読み進めていく。
「これで合点がいくな。トロンダって野郎が勝手に無茶苦茶な租税を村にふっかけたんだ。で、ブラシスはそれが真実かどうか領主に確かめようとしたんだ。でも、それを領主に知られたくないトロンダが先制して村ごと焼いて証拠隠滅を図ったんだ」
決定的証拠とまでは言いがたいが、ほぼ間違いないだろう。
「あいつらか!」
シードが紙片を投げ捨て猛然と立ち上がった。今にもあの集団を追いかけかねない勢いだったので、エルマは襟首を掴んで制止した。
「落ち着けよ。相手は騎馬だ。追いつけるわけないだろう」
「でも、司祭の敵を、村のみんなの敵を討ちたいんです!」
「だから落ち着けよ。お前が走って追いつけないだろう。体力の無駄だ」
「だったら!エルマさんが空を飛んで連れて行ってくださいよ!悪魔なんでしょう!」
それぐらいできるでしょう、とすがり付いてくるエルマ。また都合のいい時だけ人を悪魔呼ばわりしやがって。エルマは今にもシードを突き飛ばしたい衝動に駆られたが、ぐっと我慢した。
「分かったよ。私があの領主のところまで連れて行ってやるよ。但し、交換条件だ」
「条件?」
「私の奴隷になれ。それが交換条件だ」
シードが一瞬たじろいだ。エルマとしては、こんなことでシードを奴隷にするつもりはないのだが、シードの決意の程を試したかったのだ。返答次第ではシードの敵討ちを手伝ってやってもいいと思っていた。
「なります!奴隷でにも何でもなりますから。僕を奴らの所へ連れて行ってください!」
シードは鬼気迫る顔でエルマを見据えた。これまでにないいい面だとエルマは思った。
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