少年は激昂し覚醒する

少年は激昂し覚醒する①

 翌朝、カップフェルトの町を出たエルマとシードは、街道を北上した。順調に行けば二日の行程でカーブ村にたどり着けるはずだ。


 「でーでー、どうだったんだよ、お嬢。昨日、同じ部屋だったんだろう。やったのか?やっちまったのか?」


 昨晩、外に放り出したマ・ジュドーがいつの間にか合流し、鬱陶しいぐらいにエルマに付きまとってきた。その昨日のことで苛々していたエルマは、マ・ジュドーを鷲掴みにして地面に叩きつけ数度踏みにじった。


 『いらんことを思い出させやがって……』


 昨日、シードに散々説教した後、近所の食堂で一緒に夕食を取ることにした。エルマの算段としては、ここでシードに酒を飲ませていい気分にさせておいて、その後ベッドに引きずり込むつもりだった。


 『お酒はいいですよ。僕、飲んだことありませんから』


 そう躊躇うシードだったが、エルマは構わず彼の椀に並々とワインを注いだ。


 『いいじゃねえか。これも世間勉強ってもんだ。酒を知れば世界が変わるぜ』


 『……じゃあ、ちょっとだけ』


 と言って口をつけたシード。意外に美味しいですね、と感想を述べるシードの顔は早くも赤くなっていた。


 これはちょろい、と思ったエルマは、早々にシードはできあがるだろうとほくそ笑んだ。しかし、シードはいくら飲ませても、顔は赤くしても酔っ払う素振りがまるでなかった。


 『こいつ、ひょっとして強いのか……』


 こうなったらもっと飲ますしかない。エルマはシードの椀が空になる度にワインを注ぎ続けた。結局、ボトルが一本空いてしまった。


 『これじゃあ、象に酒飲ませているようなもんだ』


 資金を潤沢に持ってきたとはいえ、これ以上は完全に無駄遣いになってしまう。会計を済ませてしまおうとエルマは席を立った。


 会計は予想していたよりも高かった。しかし、これでシードがいい気分になって、エルマの誘いに乗ってきてくれればいいのだと思って席に戻ってみると、シードは机に突っ伏して寝息を立てていたのだ。


 それからがエルマの受難だった。食堂からシードを担いで宿まで帰らなければならなかったし、部屋にかえるや否や、シードは胃の中のものをぶちまけてしまったのだ。当然、その後始末をエルマがしたのだった。


 『結局、こいつのゲロの始末をして終わったのか……』


 さらに腹立たしいのは、シードがまるでそのことを覚えていないことであった。朝早く起きてけろっとしていたし、エルマが恩着せがましく吐瀉物を始末したことを話しても、まるで信じようとしなかった。今も非常に軽い足取りでエルマの数歩前を歩いている。ははは、僕がお酒を飲むわけないじゃないですか、というシードの笑顔を思い出すたびに腹が立ってきた。


 『このエルマ様がここまでコケにされるなんてな。ま、いい。今夜もあるんだ』


 今夜はどうやってシードをいい感じにさせるか、その算段をしながら歩いていると、街道の正面から騎馬の集団が馬蹄を轟かせて向ってきた。随分と速度が出ていて、エルマ達のことに気がついていないのか速度を緩める様子はなかった。


 「危ないな」


 エルマは嫌々ながら道をあけた。先を歩くシードも脇道に寄る。騎馬は全部で五十騎はあっただろうか。集団の中腹には馬車もあった。


 「何だありゃ?」


 集団は瞬く間に通り過ぎていった。不思議に思ってその集団を見送っていると、集団の中腹、ちょうど馬車の辺りから薄黒い影のようなものが浮かんでいるのが見えた。


 「あれはレンストン領の代官トロンダ様の馬車ですよ。きっと山賊討伐にでも向っているんでしょう」


 シードは教えてくれたが、そんなことはどうでもよかった。気になるのはあの影だ。


 『おい、表六玉』


 エルマはシードの聞こえないようにマ・ジュドーを呼んだ。


 『おうおう。お嬢も感じたかい?』


 『当たり前だ。あの中に悪魔がいたな』


 あの影は悪魔が放つ妖気だ。人間や天使は見えないだろうが、悪魔には見えるのである。


 『ちょっとあれをつけて来い。エルマ様に出会って挨拶もないなんて不逞悪魔だ』


 『へいへい。了解』


 マ・ジュドーが騎馬集団の方へと飛んでいく。使い魔であってもマ・ジュドーであれば気づかれることはあるまい。


 「どうしたんですか、エルマさん」


 「何でもねえよ。先急ごうぜ」


 エルマは振り向いてきたシードの肩を叩いた。




 日が暮れようとしていた。草原が赤々と染まり、太陽が地平線に消えようとしていた。


 「おっかしいな……」


 本来ならば宿場町に着いていてもおかしくないのだが、建物はおろか人の気配もない。


 「どこかで道を間違えたのか?」


 「きっとさっきの道ですよ。僕は右だと言ったのに、エルマさんが左って言うから……」


 「人のせいにするなよな。男らしくない」


 「エルマさんのせいでしょう!それに道間違えるのに男も女も関係ないでしょう!」


 「ちっ、細かい奴だな」


 エルマは来た道を振り返った。確かに間違えたとするならあの分かれ道しかない。戻るにしても相当時間がかかりそうだ。


 「あのまま右に行っていたとしたら、こっちの方向か……。おい、シード、さっきの道に合流しようぜ」


 「駄目ですよ。道を外れたら余計に迷子になってしまいますよ」


 「男のくせに細かい……」


 無理やりにでも連れて行ってやると思っていると、エルマが指し示した方向から人影がこっちに向ってくるのが見えた。


 「ほれ見てみろ。人が歩いてくるぞ。やっぱりこっちの方向には……」


 自分の主張が正しかったとエルマが喜悦していると、その人影がばたりと倒れこんだ。大丈夫ですか、とシードが駆け寄る。


 「おい、シード。死んだのか?折角、道を聞けると思ったのに」


 倒れた人を抱え起こしたシードだったが、双方ともまるで反応がなかった。死んでいたら後生が悪いな、と思いながらもエルマは背後からシードに近づいた。


 シードが抱えているのは、彼よりも年下に見える少年だった。外傷はなさそうだが、妙なことに全身煤だらけだった。


 「ケーツ……」


 シードがようやく搾り出すように言った。


 「あん?シードの知り合いか?」


 シードは応えず、何度もケーツケーツと呼びかけ続けた。


 「う、う……ん。シード?」


 ケーツと呼ばれた少年がようやく目を覚ました。それでも目には精気がなく、自分で起き上がることができなかった。随分と体力を消耗している様子だ。


 「シード……。村が……カーブ村が」


 「村?カーブ村がどうした?」


 「お、襲われた。焼かれて、みんなが……」


 ケーツが事切れたように再び目を閉じた。


 「ケーツ!」


 「安心しろ。脈はある」


 エルマはケーツの手首を掴み脈を確認した。しかし、弱々しい脈だ。


 「村が……村がどうなったんだ」


 慌てふためくシード。明らかに動揺していて抱え起こしていたケーツの体がシードの腕から零れ落ちた。


 「落ち着け、馬鹿!今はそいつを助けるのが先だろう」


 「でも……」


 「ああん。仕方ねえな。今回だけだぜ」


 エルマは右にシードを、左にケーツを抱きかかえ空を飛んだ。空からなら集落を発見しやすいだろう。エルマは自分のお人よしぶりにうんざりしながら、ケーツが来た方向へ飛んでいった。

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