記憶のない少年と旅をする少女②

 シードがカーブ村に帰って来たその頃……。


 バルフェスト郡の穀倉地帯を北から南へと歩く旅人がいた。


 旅人に連れはなく、しかも少女だった。


 ただ少女ではあったが、容姿、雰囲気ともに大人びたところがあり、それに適する美貌もあった。それでも少女とするのは、人間の年齢的に言えばぎりぎり『少女』に属するからであり、彼女が強く主張する部分でもあった。


 「暑い……暑いぞ、こらぁぁ……」


 もし彼女が帝都におれば、上級貴族の姫君か国営劇団の看板女優に間違われたであろう。しかし残念ながら彼女から発せられる言葉は、そのような上品さとはかなりかけ離れていた。


 「かあぁぁぁ。暑いのも無理ないぜ。そんな格好をしていたらな」


 少女とは違う男の声がした。姿は見えず、常人であれば声すら聞こえないだろう。しかし、少女にはその姿は見えていたし、声も聞こえていた。


 「うるせえよ。厚着しろって言ったのはお前だろう」


 少女はフードつきのコートを着ていた。夏が過ぎ、随分と涼しくなってきた季節ではあったものの、流石にまだコートを着る必要はなかった。


 「それはお嬢。山脈を抜ける時だけだって。こっちでは季節はまだ秋なんだぜ」


 「それを先に言えよ、ポンコツ!」


 少女は声の主を殴りつけた。普通の人が見れば、単に拳を突き出しているだけに見えるが、少女は間違いなく彼女の目に映る黒色の球体を殴っていた。


 「おー痛い痛い!流石はエルマ・ジェスダークのパンチは身に沁みりますなぁ」


 「もう一度殴られたいか!表六玉!」


 少女―エルマ・ジェスダークは、もう一度不気味な笑顔を浮かべる黒色の球体を殴りつけた。




 茶番劇を終えたエルマは、気を取り直して南へと歩く。あてのない旅であったが、暗くなる前には人里にたどり着きたかった。すると前方より幌のついた荷馬車がやって来るのが見えた。


 「お~い、じいさん!」


 エルマは手を振って幌馬車を止めさせた。馬の手綱を握っていたのは初老の男で、最初はコート姿のエルマを訝しげに見ていたが、フードを脱いで少女だと分かった途端、優しげな表情に変わった。


 「どうしたんだい?」


 「この近くで宿はあるかい?」


 「ふうむ。宿はないが、カーブ村っていう集落ならある。そこの教会の司祭を訪ねればいい。一泊ぐらいなら泊めてくれるよ」


 『教会か……』


 エルマは内心舌打ちをした。できれば教会には関わりたくなかった。


 「安くてもいい、宿はないのか?」


 「カーブ村の先へ行けばないこともないが、歩けば二日はかかるぞ」


 「いいじゃねえか。馬車をぶんどっちまえよ」


 例の黒色球体の声が囁く。当然、幌馬車の老人には聞こえていない。エルマはその囁きを完全に無視した。


 「悪かったな、足を止めてしまって。ありがとよ」


 「いいってことよ」


 幌馬車がゆっくりと動き出した。しばらくその様子を見送ったエルマは、頭を数度掻き毟ってから歩き出した。


 「どうしたんでい?お嬢らしくねえな。何ならこのマ・ジュドー様が今からでもあの馬車を華麗にかっぱらってきますぜ」


 「黙ってろ!クソ野郎!そんなことで目立つわけにはいかないだろう」


 「かぁぁぁぁっ!嘆かわしい話だぜ。『地獄最凶の皇女』と恐れられたお嬢が馬車の一台もぶんどれないなんて……。情けなくて涙が出てくるぜ」


 「黙れ!今度、その二つ名を言ったら、ぶち殺すぞ」


 と言いながらエルマは、彼女にしか見えない黒い球体マ・ジュドーを力を込めて鷲掴みにしていた。




 エルマがカーブ村とかいう集落にたどり着いたのは、夜の帳が今にも下りんとしていた頃だった。


 どうせ辺境の寒村だろうと思っていたのだが、建築物は殊の外立派で、それなりに裕福な村なのだろうと察せられた。


 加えて村の目抜き通りには提灯が連なり、闇に沈むはずの村を煌々と照らしていた。屋台も出ていて、賑やかな雰囲気であった。


 「祭か何かかね?」


 マ・ジュドーの言うとおり、今日はこの村の祭らしい。往来を人々が忙しそうに、それでいて楽しいそうに行き来している。


 「いい時に来たんだが、どうなんだか」


 騒がしいのは好きではなかった。やはり多少無理してでも隣の村とやらに行こうかと思った矢先、村人のひとりがエルマを見つけた。


 「お嬢さん、旅の人かい?」


 「あ?ああ、まぁ。そうだな」


 「なら、いい時に来なさった。今日はこの村の収穫前夜の夜祭だ。楽しんでいきなさい」


 と言うと、村人自体も楽しみたいのか、さっさと往来の中に消えていった。


 「どうすんでい?お嬢。祭を楽しんでいくんかい?」


 「腹は減ったしな。飯ぐらいは食っていこう。泊まるかどうか後で考えるよ」


 腹をさすりながら村に入ったエルマは、屋台を冷やかしながら、牛の串焼きや山菜の汁物を食しながら通をそぞろ歩いた。


 「ふ~ん、人間の食い物もそこそこ美味いじゃないか。視察に来た甲斐があったってもんだな」


 「なぁ、お嬢。俺にも食わせてくれよ」


 「うるせえよ。お前は霞でも食ってろ」


 肉饅頭を購入したエルマは、ふと足を止め顔を上げた。ちょうど教会の目の前だった。


 「おえっ……忌々しい。食っちまったもん、吐き出しそうだ」


 「俺も気分悪くなっちまったぜ。さっさと宿を決めちまおうぜ」


 「そうだな」


 教会から離れようとしたエルマだったが、その視界の端にある少年の姿を捉えた。


 「へぇ……」


 人間年齢でいえばエルマよりひとつやふたつ年下だろうか。あどけない童顔の美少年だった。エルマの知る限りでは、最上級の部類に入るだろう。


 「お嬢。さっさと行こうぜ……って何を見ているんでい?あ、ああ……」


 「虐め甲斐がありそうじゃないか……」


 「悪い病気が出たよ。あのな、お嬢。あんまり人間と関わらないほうがいいぜ」


 「いいじゃねえか、ちょっとぐらい」


 「お嬢、涎が垂れているぜ」


 マ・ジュドーの忠告を無視してエルマはその少年へと歩み寄った。少年も近づいてくるエルマの存在に気がついたのか、自然と目が合った。


 「よ、よお。楽しんでいるかい?」


 「あ、はい。旅の人ですか?」


 見知らぬ人に話しかけられ、やや戸惑い気味の少年だったが、元来人懐っこいところがあるのだろう。邪気のない笑顔をエルマに向けた。


 『いいじゃないか、いいじゃないか』


 心の中で涎が止まらないエルマは、自制心を保ちながら少年との会話を続けた。


 「ああ、祭なんだな、今日は」


 「そうですよ。収穫前の前夜祭です」


 「は~ん」


 前夜祭なんて興味なかったから適当に答えた。それよりもこれからどうしようか。エルマは必死に頭を回転させた。


 「それよりもこの村に宿はないのか?泊まるところを捜しているんだが」


 「それなら司祭に相談してみましょう。うちの教会ではよく旅人の面倒をみていますから」


 「あ、ああ。頼むよ」


 少年が教会の中に入っていった。教会というのが忌々しいが、この少年と一夜同じ屋根の下にいられるのなら多少の苦痛は我慢しよう。


 「一層のこと、浚っちまおうか」


 「おいおいお嬢。馬車をかっぱらわないで、少年をかっぱらうのかね。そりゃないぜ」


 「黙ってろ。旅のお供はくそ気味悪い使い魔よりは、可愛い少年だろう。なぁ」


 知らねえぜ俺は、と呆れ口調のマ・ジュドーをしばいていると、少年が帰ってきた。


 「司祭がぜひ泊まっていってくださいって」


 「そうか。それはありがたい」


 「あーあ、呆れちまうなぁ」


 嘆息するマ・ジュドー。当然少年には聞こえていないのだが、鬱陶しかったので口を拳骨で塞いでやった。


 「うん?」


 少年がふと視線を下げた。まさか、マ・ジュドーが見えているのか?


 「ど、どうした?」


 「いや、何でもないです。案内しますのでどうぞ」


 「お、おう」


 見えてはいないらしい。当然といえば当然だ。無用な緊張したエルマは、ほっと胸をなでおろした。


 「そういえば、少年。名前は?」


 「シードです。シード・ミコラス」


 「私はエルマだ。よろしくな」


 エルマはそっと手を差し出した。シードは躊躇う様子もなくシードの手を握り返してきた。想像どおり柔らかく、エルマをぞくぞくさせた。

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