抗争の勃発
「セラフィーナ・ボールドウィンの名において、あなたがたに問います。わたしの家臣たちに何をしているのですか?」
伯爵令嬢に相応しい凛とした声。ボールドウィンの名を聞いて、酔った水兵たちも一瞬で素面に戻る。
「ボールドウィン伯爵のお嬢様!」
「トリートーンに乗っていたのか?」
「俺は家臣扱いかい」
水兵たちの驚く声とランドールのぼやき声が重なる中「それで」とあからさまに反発する声。
「伯爵の令嬢が乗っていたのは意外だったが、だからどうしたって?」
短刀を手にした水兵が、ゆらりとセラフィーナの前に立ちはだかる。
ボールドウィンの名を歯牙にもかけず、後ろ侮蔑でもするような不遜な態度。これでセラフィーナが冷静でいられる筈もない。
「誰なの、あなた?」
「名乗らせるのか? この俺に」
言外に「後悔するぞ」と匂わせているが、白昼堂々と刃物を見せる水兵に謂われる筋合いはない。
「仰いなさい。早く」
怯むことなく促すと、お約束通り「後悔するぞ」の警告が。つくづくテンプレートなヤツだ。
「俺は侯爵家でスリックランド軍務卿でもあるウォルフォード家の者がひとりニール・ウォルフォードだぞ。伯爵風情とは身分が違うのだ!」
口から泡を立てて啖呵を切ると、顎を突き出しふんぞり返る。
よくよく見れば服装が他の水兵に比べ心なしか上等なあつらえ品、どうやら士官学校を出たての新米士官が混じっていたようだ。
「よりによってウォルフォードの身内だと?」
大物貴族の名にさすがのランドールも眉を顰める。
年嵩からして漕艇あたりの艇長で、強気に出たのは部下になめられないための虚勢だろう。
問題は、家柄を振り回す思慮のなさ。この手の輩は往々にしてトラブルメーカーと相場が決まっている。
困ったことにウォルフォードは、爵位は言うに及ばず家格でもボールドウィン家よりもはるか上。ケンカをすればタダで済む相手ではない。
だが、セラフィーナにしてみれば「それで?」のひと言で収まる。
あまりの向う見ずにマージェリーが「お嬢様」と叫ぶが、セラフィーナはそしらぬ顔。
「侯爵ご本人や嫡男ならともかく、単に血筋だってだけで敬う必要があるの?」
如何な侯爵家とはいえ身分継承は嫡男ただ1人、家の者と口にした時点で相続できないのはモロ分かり。というか軍隊の幹部候補の半分は貴族の次男坊や三男坊と相場が決まっている。
「貴族っていうならウチのマージェも立派な貴族よ。わたしの聞いた話だと軍隊では爵位は関係ないそうだし、そうすると先にちょっかいをかけた貴方のほうが立場は悪くなると思うけど?」
両手を腰に当てながら正論をぶつけると「うるさい!」と激昂。
体ほどお頭に栄養が回っていない御仁のようで、顔を茹蛸のように真っ赤にしながらヒステリーをまき散らす。
「女風情が俺を侮辱しやがって」
言うやポケットに仕舞っていたいた手袋を、セラフィーナに向けて投げつける。
「決闘だ!」
「受けて立つわ!」
ニールが布告した決闘にふたつ返事で了承するも、
「なりません!」
「勝手をするな、バカ者!」
売り言葉に買い言葉の決闘騒ぎは、マージェリーと騒動を聞いて駆けつけたビスマルク艦長の2人に、大目玉を喰らったうえで「そんなことをさせられるか!」と反故にされた。
「お嬢様、もう少し冷静になってください」
「マージェ。あなたがそれを言う?」
その場は艦長のとりなしで乱闘に至らず収まったが、不穏の火は双方の心の中で燻ったまま、もちろんタダで済むはずもない。事態は水面下でキッチリ進行していた。
事件から数日たった夕方。
本来であれば、夕食前の和やかな黄昏時であったはず、なのだが。
「あなたっっ! 一体全体、これは、どういうことですか!」
穏やか空気を打ち消すように、アメリアの金切り声が屋敷全体に響き渡る。
「まあまあ、落ち着きなさい」
興奮するアメリアをエドワードが宥めようとするが逆効果。
「これが落ち着いてなどいられますか!」
火に油を注ぐ結果となり、ますますヒートアップ。
気が付けばリビングの床に直接座らされ、お白洲さながらに詰問を受ける始末。どう考えてもボールドウィン家当主がする行為ではない。
だが、そんなことなどお構いなしに、アメリアは般若の形相で仁王立ちすると、エドワードに「教えてもらいましょうか?」とアメリア自らが先頭に立って、まるで殺人事件の容疑者のように責めたてる。
「どこをどう繋いだら、ウチのセラが海軍の筋肉猛者の連中と、勝負をするバカな羽目になるのですか?」
「いや、セラが勝負を受けるのではない。トリートーンの乗組員と海軍との勝負で、メンバーの中にセラも含まれるのであって、その点は混同しないようにだな……」
そこは違うからと訂正を付け足すが、アメリアは「関係ありません!」と一蹴。
「他の者が参加しようがしまいが、どうでもいいことです。問題なのは何故セラが、そのような野蛮な催しに参加する必要があるのか? です!」
「だから、それを説明にだな」
ことに至った経緯を順を追って説明しようとするが、頭に血が上ったアメリアに冷静ななれというのが無理な話。
問答無用でエドワードの頬を鷲掴みにするや否や、これでもかというくらい力いっぱい引っ張った。
「痛い! 痛い! 痛い! 痛い!」
苦痛に悲鳴をあげるのも、何のその、アメリアの追及の手が緩むことはない。むしろ悲鳴に比例するがごとく、さらに力が込められていく。
「言いなさい! 喋りなさい! 今すぐ白状しなさい!」
エドワードの頬を引っ張り倒し、拷問を続けること約3分。
今わの際のような夫の断末魔の呻き声に、さすがにやり過ぎたとばかりに「あらら」と呟き、やっとのこと冷静さを取り戻す。
「殺されるかと思った」
誇張ではなく本気で命の危険を感じた。
「少々興奮しすぎましたが、あなたの反応も大げさですわ」
「興奮というレベルではないと思うが」
オーバーリアクションだとアメリアは言うが、もしあの力で首を絞められていたら、あっさり天国に召されていただろう。
明らかにヒステリー。理性のタガが外れた暴発としか言いようがない。
が、口は禍の元。言葉尻を見事なまでにアメリアが反応する。
「何か、仰いました?」
普段のダンディさは何処へやら。目を三角にして睨みつけるアメリアに「何でもございません」と卑屈なほどに首をブンブンと横に振る。
「ならば、さっさと理由を説明なさってくださいませ」
「は、はい」
とばっちりを受けたエドワードは、赤く腫れあがった頬をさすりながら「実はだな」と事の顛末を語り出した。
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