挑発された 1
そもそも不幸の発端は、ビスマルクの半舷休息時間とトリートーンの訓練時間が重なった。ただそれだけのことだった。
年単位で港から動こうとしない、引き籠り交易船のトリートーンから、楽師の奏でる軽快な音楽が聞こえれば否が応でも気にかかるというもの。
何事かと甲板を覗き見れば、武骨な水夫たちが曲や手拍子に合わせてダンスを踊っているのだ。手の空いた水兵たちが挙って押しかけるのは必然だろう。
しかも。正直、ヘタクソ。
踊りとは名ばかりの、手足を揺すっているだけの代物でしかない。
「何、やってるんだ。あいつら?」
「野郎ばかりで、お遊戯なんか踊って。バカじゃないのか?」
航海中は朝から晩まで訓練に明け暮れていて、娯楽に飢えていたのだろう。
格好のからかいネタとばかりに指を示して嘲るヤツや、気持ち悪いものを見たと目を覆ったり仰け反るヤツが続出する。
もっとも、所詮はゴツイ男どもが、手足をバタつかせているだけのダンスである。
イロモノとしては面白いが、興味の対象もせいぜいがその程度。
延々と見続けて楽しいか? と問われたら疑問が残る。
それが証拠に野次馬も入れ代わり立ち代わりで、見飽きれば本来の娯楽とばかりに「一杯ひっかけててくるわ」と船を降りてパブへと繰り出していく。
「待て待て、俺も行く」
「コラ。俺を置いていくな」
1人2人とビスマルクの甲板から人影が消えていき、お昼前にはビスマルクの甲板は数名の見張りを残して殆どもぬけの空。比例するようにヤジも沈静化していった。
ダンスメニューがそのままだったならば、問題も起こらず大過なく日が暮れていただろう。
だが折り悪くイーストン夫人がダンスメニューを変更すると、ランドールのパートナーにマージェリーを引っ張り出したのだった。
パブで飲んで帰ってきても、未だ隣の船から軽快な音楽が流れていたら、ついつい見上げて覗き込むのが人情というもの。
見たら見たで、相変わらずむさい男のダンスで「見なけりゃよかった」と後悔するのもお約束だが、その中に異質な存在が紛れ込んでいたとなると話は別だ。
「あれ? こいつ、女とお遊戯を踊ってるぞ!」
まるで新大陸でも発見したかのように、水兵のひとりがランドールと踊るマージェリーを目ざとく見つけた。
野郎ばかりのダンスは笑えても、結局はそれだけのものだが、女が混じっているとなれば話は別。
王宮に詰める近衛兵や陛下に謁見できるようなエリート士官ならいざ知らず、末端の下級兵士など子供ならともかく若い女にモテるなどまずあり得ないし、接触する機会すらロクにない。
ましてや年中船に乗りこむ水兵ともなれば、物理的にも距離的にも異性とは隔離されており、欲求不満は陸の兵士と比べるまでもない。
その結果やたら嗅覚だけは発達し、女性に対して異様なまでに索敵能力が身についてのこの惨状。
「なんだと?」
「俺にも見せろ!」
「おおっ、本当だ!」
たちまちランドールとマージェリーは見世物の珍獣と化した。
しかも具合が悪いことに、見物人の大半はパブからの帰り客で、早い話が酔っ払い。
赤ら顔や呂律が回らないのは言うに及ばず、傍迷惑なことに自制が欠片もなく、ヤジに卑猥さが上乗せされる有様。
元々品があるとは言い難いビスマルクの水兵たちだったが、マージェリーが視界に入ったことで、ますます下品さに磨きがかかる。
「おネーチャーん」
「こっち向いてくれよ」
この程度の茶々は当たり前で、酔いに任せてだんだんヒートアップしてくる。
「ボクちゃんも彼女といちど、踊ってみたいな」
「だ~れが「ボクちゃん」だって?」
「は。自分であります」
「だったらアタシが踊ってあげるわん」
マージェリーの真似のつもりなのか、隣にいた水兵が気持ち悪い裏声をだして、腰をくねくねと揺らしながら「ボクちゃん」と言った水兵とステップを踏んで、その場で「ギャハハ」と大笑いする。
今でも十分に傍迷惑だが、酔っ払いゆえにフリーダムで際限というものを知らない。
単なるヤジなら眉を顰める程度だが、八つ当たりともなるとさすがに無視もしていられない。
最初に矛先が向いたのはランドールだった。
「オラオラ。女と踊っているからって、気取っているんじゃねえぞ!」
半分は嫉妬も混じっているのだろう。
からかうというより怒気を孕んだ、挑発的で罵声に近いものを立て続けに浴びせかけられた。
さすがにイラッとくる。
「鬱陶しい連中だ」
無遠慮で神経を逆なでする罵声にステップが滞る。
ふざけやがって!
誰が好き好んでダンスなんか踊るものか! しかも、パートナーはマージェリー女史だぞ。そんなに踊りたいのなら、謹んで進呈してやるってものだ。
「末端の水兵の戯言です。聞き流しなさい」
下級水兵の戯言など相手にするなとマージェリーに続きを促される。
当然相手はお冠。無視された腹いせからか「シカトするなオッサン」とか「姉ちゃん。そんなヤツと踊るより、俺たちと踊ろうぜ」と、さらにヤジをヒートアップさせる。
「ぐぬぬ……」
腹に据えかねるが、相手をすれば連中の思う壺。
苛立ちを堪えて踊ったために腰を回す腕に余計な力がかかったのだろう、マージェリーが「ちょっと」と呟き顔を赤らめるほど2人の間が密着していた。傍から見たらまるで恋人同士かのように。
自らが遠因のアクシデントだが、皮肉にもこれが女日照りの水兵たちの神経を更に逆撫でしたようだ。
「年がら年中港に錨を下ろしている陸水夫は、女を引っ張り込むのも上手だな」
「こいつら」
いいかげんにしやがれ!
さすがに腹に据えかねる。
ダンスを中断して睨みつけると、手にした酒をラッパ飲みしていた水兵が戯言を吐いた。
「俺たちが国を守るために命を張っているときに、女とダンスうつつを抜かすとは。陸水夫の分際でイイご身分だな」
「たかが水夫風情が貴族の真似をするんじゃねーよ」
「聞いて呆れるな」
完全な八つ当たり。
バカらしくて相手になどしていられないと思ったところに、マージェリーが「許せない」と、メイドにあるまじき歯切りをする。
「おい」
落ち着けよと言うよりも早く。
疾風が舞ったかと思うと、頭に血が上ったマージェリーが怒涛の勢いでタラップを駆け降りていた。
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