第24話 成果を見せてやりますとも
「マストを登れるように特訓したから見ていて欲しい。ですかい?」
自信満々なセラフィーナの申し出に、ランドールが怪訝そうに訊き返す。
「ええ、そうよ」
「見るのは吝かじゃないですけど、本当に出来るので?」
「もちろん、出来るから見てって言っているのよ」
「ホントかね」
あくまでも強気のセラフィーナに対して、ランドールのテンションはひたすら低い。
無理もない。
訓練を初めて、まだ3日と経っていないのだ。
ずぶの素人がロープ一本でマストを登れるようになるには、腕力を鍛えロープの扱いに長ける努力が必要で早晩モノになるような甘い代物ではない。
それに、ランドールの目から見ても貴族令嬢のセラフィーナに、マストをよじ登れるだけの腕力があるとは到底思えず、登れると豪語するなど甚だ眉唾モノである。
「おい、カイル! オマエお嬢様に、どんな登りかたを教えたんだ?」
どうにも気になり、お守り役を押し付けたカイルを呼び出すと「どんなって? 俺らの訓練と同じ方法っすよ」と手で輪っかを作って答える。
「ロープを八の字に巻いて、マストに括り付けて登る方法っす」
「で、教えてみてどうだった?」
方法に間違いはないが、念のためにできたのかと尋ねると「それを訊きますか?」とでも言いたげにカイルが首を横に振る。
「か弱い女の子が、2日や3日でどうにかなる方法じゃないですから」
「だよな」
そうだろうなと首を縦に振って納得させる。
だとしたら。いつぞやの甲板掃除のように、ランドールの想像の斜め上の奇策で、マストを登る手立てを考えたのだろうか?
あり得る。
というか、僅か数日で達成できたのなら、反則技でしか考えられない。
「言っときますが、シュラウズを伝って登るのは、ダメですからね。そんなのは誰にだって出来るから、訓練になってませんから」
ズルをしないようにと釘を刺すと、あろうことか「当然じゃない」とセラフィーナはカラカラと笑う。
「まんま同じ方法じゃないけど、正々堂々とマストをよじ登るわよ」
それどころか、自信満々な態度は一切揺らぐことがない。
「何か、違いがあると?」
「これよ」
と言って見せたのは、15センチほどの幅のある帯。
「ロープの代わりに、南方産のゴムで出来た帯を使うの。登りかたは同じよ、2本使って交互に張って登るから」
「また、キテレツなものを」
呆れ半分の声だが、残りの半分は好奇心が占めているようで「タネも仕掛けもないわよ」と、セラフィーナから手渡された帯を興味深げにしげしげと見つめる。
両端にボタンと留め穴があり、かけることで輪になるように設えられている。
帯自身は柔軟性のある素材でできているようで、引っ張ると伸びて放すと縮む。触感は鞣した革のようで、織り目のようなものは一切なく、曲げる度に鈍い光沢を放っていた。
「まあ、いつもの方法とはちょっと違うけれど、これでしたらズルにはならないでしょうな」
問題なしと一応のお墨付きを与え、帯をセラフィーナに返す。
「ちょいと工夫はしたみたいですが、これでマストが登れるので?」
「もちろんよ!」
ドンと胸を叩いて請け負う。
「そこまで言うのなら、見せていただきましょう」
「望むところよ。その目を見開いて、じっくりと……」
「なりません!」
見ていなさいと言うよりも早く、マージェリーがずいっと前に出て待ったをかける。
「ちょっと、どういうこと?」
ここぞのところで気勢を削がれて、ストップをかけた理由を尋ねると「どうもこうも、危ないからに決まっています」と当然だと言わんばかり。
「お嬢様が一生懸命練習をしていたのは存じておりますが、あんな高い場所に登るなど危険極まりない。万一落ちたりでもしたら取り返しがつきません」
天高くそびえるマストを指差しながら、万が一の事故を危惧して、マスト登りの反対を表明する。
「大丈夫よ。そんなヘマはしないから」
セラフィーナが「大袈裟だわ」と過保護を主張するが、マージェリーは「いいえ!」と主張を譲らない。
「練習というには、船のマストはあまりにも高すぎます。例え九分九厘大丈夫だとしても、事故というものは起こるときには起こるのです。お嬢様の筆頭メイドとして、安全が確保されていない訓練は了承出来かねます」
頑なに反対を表明するマージェリーに対して「それだと、わたしの努力が見せれないじゃない」と、今度はセラフィーナが苛立つ。
だが、あくまでも安全に懸念があるだけに、マージェリーも首を縦に振ろうとはしない。
「例えお嬢様の希望だろうとも、ダメなものはダメです」
どちらも引かず、どうしようもない堂々巡りに陥ろうとしかかっていたその時。
「いいかげん、不毛な議論は止めてくれ」
ランドールが「おいおい」と2人の間に割って入り、待ったをかけた。
「このままじゃ、他の連中の訓練に支障が出る。要はお嬢のマスト登りが安全にできたら良いんだろう?」
苦虫を噛み潰しながら訊くランドールに「そんなことができるので?」とマージェリーが訝る。
何せ訓練に使っているセンターマストの頂上部は、甲板から20メートル近くもある。建物でいえば5階から6階もの高さに相当し、落ちれば当然ただでは済まない。
そんなとんでもない高さがあるのに、安全が担保できるなどとは、にわかには信じられない。
だがランドールは「任せておけ」とことなげに言ってのけた。
任せろと宣言をしてから1時間余り。
マストの周囲には「これでもかと」いうくらいにマットやクッションが敷き詰められ、密度の濃さに床板が見えないほど。厚みも1メートル近くもあった。
これだけでも十分万全だと思えるが、更にセラフィーナの腰に命綱も巻かれ、万一の際にはマスト上に待機した水夫が支える2重の安全策が施された。
「これなら、少々下手をうっても大丈夫だ」
フンとばかりに、ランドールが鼻を鳴らしてふんぞり返る。
「ええ。全く問題ないとまでは言えませんが、何かあったとしても大ケガの心配はなさそうですし、譲歩はできるでしょう」
少々持って回った言いかただが、マージェリーも概ね合格点を出す。
「えーっ。これでやるの?」
ただひとり。当事者のセラフィーナだけは納得いかず不満顔だったが、マージェリーのひと睨みで「ガマンします」と小さくなる。ここでダメ出しされたら、それこそ中止に追い込まれかねない。
「なら、結構です」
どっちが主人か分からないくらい鷹揚に頷くと、命綱をもった水夫が先にマストに上がり、スタンバイが完了する。
「さあ。特訓の成果を披露なさってください!」
聞くだけで赤面してしまいそうな、マージェリーのこっ恥ずかしいセリフを号令を合図に「格好がつかない」とぼやきながらも、セラフィーナが手にした帯で輪を作りマストにしがみついた。
1本目の帯に体を預け右足をマストにかける。ロープと違い柔軟性を持った帯は、しなりながらセラフィーナの体重を受け止める。分布圧も十分なようで、左足を甲板から離しても、体がずり落ちることもない。
いける!
手応えを感じると、もう1本の帯を少し上方にずらして、小振りながら右足を1歩、上に向かって踏みしめる。
「おおっ!」
明らかな2歩目に、ランドールもカイルも驚きの声をあげる。
少々奇異な方法だが男の水夫でも達成するまで四苦八苦するマスト登りを、始めてから僅か数日で、じゃじゃ馬とはいえ貴族のお嬢様がやってのけているのだ。驚かずにはいられない。
更に一歩。
弾力性のある太い帯は、セラフィーナの体重を面で支え、片脚を離しても滑り落ちることはない。その間に新たな帯に体重を移動させ、1歩また一歩とマストを上に登っていく。
「どう?」
3メートルほど登った辺りで、下で見守るランドールたちに声をかけて尋ねる。
「なかなか、大したお嬢さんだ」
嫌味も一切なく、両手を広げてランドールが素直に評価をすると、横に控えていたマージェリーが「ボールドウィン家のご令嬢なら当然の成果です」とセラフィーナの代わりにふんぞり返る。
何だか妙なコンビに苦笑いすると、表情を引き締めさらに上を目指す。
マストの頂上までは未だ十10メートル以上ある。山で例えるなら、ようやく麓を越えて本格的な登山に差し掛かった辺りだろうか。
「こいつは、ひょっとしてひょっとするか?」
決して早いとは言えないが、セラフィーナの順調な足さばきに、ランドールが期待を込めた予想を立てる。
あと1・2歩登れば、帆を支えるブームと呼ばれる横方向に伸びた支柱に手が届き小休止ができる。
と、思った、そのとき!
「アッ!」
伸ばした手がブームを掠め空を切った。
途端、両の脚がマストから離れる。
一瞬にして中空に晒され、張力を失った2本の帯はセラフィーナを支持することを放棄した。
とっさにマストにしがみ付けば未だ留まることができるが、腕力に劣るセラフィーナでは、マストに触れることはできても掴むことはできない。
一瞬にしてセラフィーナの身体が宙を舞い、両脚から甲板に向かって一直線に落ちる。
「お嬢様!」
眼下でマージェリーが両手を覆う。
「なんてこった!」
隣でランドールが拳を握りしめながら臍を噛む。
何故か二人の姿や挙動が鮮明に見え、悲鳴と怒号が聞こえたかのような気がした。
ダメかと思った瞬間。
マージェリーが強硬に主張した安全策が功を奏し、腰に巻かれた命綱に引っ張られた。
甲板で見守る2人からも「ひやひやさせる」と安堵の息が漏れる。
落下の惨劇からは回避できたが、無論、対価がない訳ではない。
腰にズンと重い衝撃が加わり、お腹が引き千切られるのかと思うほどの激痛が襲う。
「ぐべっ」
食い込んだロープに、これでもかというくらい圧迫され、淑女にあるまじき呻き声がでる。
無理もない。
軽いとはいえ、1メートルほど落下した際の全体重を、たった一本のロープで支えたのだ。呻き声くらいで済めば、大過なしの御の字と言うべきだろう。
ロープに引っ張られて宙ぶらりんとなり、息も絶え絶えのところに「大丈夫ですか~?」と上から間延びした声がかかる。
「大丈夫じゃない!」
扱いの雑さに不平を漏らすが、お腹が圧迫されているので大声が出ない。文句を言おうにも、蚊の鳴くような細い声で抗議することしかできない。
「今すぐ下ろしますから、少しの間ガマンしてください」
幸か不幸かセラフィーナの声は小さすぎて聞こえなかったようで、命綱を握った水夫がセラフィーナの体をゆっくりと甲板に下ろしていく。
実際にかかった時間は数分といったところだが、宙吊り状態の半ば拷問で、体感的な時間は10倍以上はあったと思う。やっとのこと地面に足が付くと「ふぃ~」と安堵の息がこぼれ落ちる。
「生きた心地がしなかった」
「それは、わたくしのセリフです!」
ホッとして口にしたセラフィーナの言葉に、目を三角にしてマージェリーが食ってかかる。
「此度は無事で済んだから良かったようなものの、もしもクッションのないところに落ちていたら、どうなっていたと思っているのですか? 3メートルを超える高さから落ちたのです。打ち身程度で済めば奇跡、骨折をしていてもおかしくない、打ち所が悪ければ命を落とすことだってあり得るのです」
「そんな。大げさな」
心配するマージェリーを安心させようと明るく手を横に振ったが、激昂するマージェリーに対して、逆に火に油を注ぐ結果となってしまい。
「大げさなものですか!」
さらに大きな雷が落ちる。
「お嬢様の身を案じて、わたくしやランドールに使用人たちが、どれだけ心配したのか、お嬢様はお分かりですか?」
「え、ええと……」
「どうなのですか?」
グイグイと詰められて、答えに窮しタジタジになる。
完膚なきまでの正論なので、返す言葉がこれっぽっちもない。
結局「ゴメンナサイ」と頭を下げる羽目となった。
「分かって戴ければ結構です」
素直に詫びたのが功を奏したのか、それ以上はお小言を貰うこともなく解放され、気負いが解けたのか「ふぃーっ」と安堵の息を吐く。
と。
「え?」
ふと横を見ると、何故か叱責する側にいるランドールまでもが、セラフィーナと同じく安堵の息を吐いていた。
「お嬢の保護者の剣幕に押されて、俺まで汗を掻いちまったぜ」
余程恥ずかしいのか「俺としたことが」とばかりに自分の頭をピシャリと叩き、照れ隠しに「あーっ。まーっ。その、だ」などと意味不明の咳払いをする。
「ロープの代わりに帯を使うという発想は中々だ。登り切ることはできなかったが、途中までできていたし意欲も見せてもらった。少々オマケ付きだが、マスト登りは合格で良いだろう」
あからさまに視線を逸らし、口調もぼそぼそながらも、一応はセラフィーナの努力を評価してくれた。
「ホントに?」
「ああ。海の男に二言はない」
今までの経緯から懐疑的に訊くが、ランドールは「問題ない」とばかりにドンと胸を叩いて請け負う。
ところが。
「お待ちください」
何故か、マージェリーから待ったの物言いがかかった。
反射的に「何?」と訊くと、居住まいを正したマージェリーが「僭越ながら」と申し開きをする。
「今のままでは、少々問題がございます」
きっぱりと言い切った。
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