第5話 晴天の霹靂 4


「要はわたしがトリートーンに乗れば良いんでしょ? 簡単じゃない」


 ティーカップ片手にすっくと立ち上がると、海に向かってビシッと指差した。




 しかし、世の中はそんなに甘くない。


「それは、そうだが……」


「そんな簡単な訳がないでしょ!」


 エドワードは困惑し、アメリアは机を叩いて反発する。




「確かにセラが船に乗れば法律的な問題は解決するでしょう。ですが、貴女はボールドウィン家の長女なのです」


「そうよ。だから必要なんでしょ?」


「それが問題なのです」


 びしりと言い切る。


 そのうえで「良いですか」と噛んで含めるようにセラフィーナに理由を告げる。


「貴族家、ましてや伯爵家の長女が。しかも、ついこの間社交界デビューをした娘が、クルーとして船に乗るだなんて。世間がなんと思うのか、考えたことがありますか?」


「え~と……」


「口憚らない者たちは「船乗りみたいなガサツ者を社交界にあげた」とか「張りぼての令嬢」などと揶揄し、吹聴するでしょう」


「それ、順番が逆だし、船乗りは立派なお仕事」


「順番などこの際関係ないし、職業の貴賎を説いている訳ではありません」


 セラフィーナの反論を「そんなことは分かっています!」と斬って捨てる。


「そうなんだよなー」


 エドワードが言いながら頭を抱える。




 甚だしく面倒ごとだが、アメリアの言い分はこの場合正論である。


 貴族社会において要らぬ噂は、とかく面倒の種になりかねない。


 ましてや社交界に踏み入れた令嬢につまらぬ噂が付き纏えば、婚姻の枷にだって成り得る。母親とて気に病むのは当然といえよう。


「でも、わたしが乗らないと、法務局は相続を認めてくれないのでしょう?」


「後継の船長が擁立できないなら、貸与条件喪失で国家が接収をして、正式に王国海軍に編入されるだろう」


 エドワードが漏らす。




「そうなると、どうなります?」


 面と向かってエドワードに、トリートーンを失った場合を問う。


 一瞬目を瞑り考え、セラフィーナの頭を撫でながら「そうだね」と、その場合のシミュレーションを口にした。




「正直、商会の運営。経理と実務だけに限って言えば大きな痛手はないだろうな」


 足が速いとはいえ、商会の主力船のであるテスターカルテットに比べ用途の限られた船だからだ。


「でも、それは「あくまでも」経理と実務。謂わば書類の上の話だと仰いたいのですね?」


 アメリアの合いの手に「そうだ」と乗っかる。


「トリートーンはボールドウィン商会のみならず、ボールドウィン家の象徴でもある。それを相続できなかったからという理由だけで失えば、どうなるかな?」


「それは……」


 答えれなかった。というより、答える必要すらなかった。


 商会のみならず伯爵家の風評には致命的で、ボールドウィン家の格が地に堕ちるのは火を見るより明らかだ。


「そうなれば商会への仕事の依頼も減り、我々は経済的に立ち行かなくなる」


 領地を持たぬボールドウィン家は糧を失い没落するしかない。


「我々だけなら良いが、商会や屋敷に勤める使用人を道連れにして。な」


 それは貴族として最悪の没落のしかた。アメリアが「ああっ」の嘆くのも無理からぬことであった。




 乗らない未来は絶望しかない。


 だったら、迷うことなどない。




「お母様」


 キッとした瞳で向き直る。


「わたしが船に乗ることの評判と、トリートーンを失った我が家の評判と、どちらが大事ですか?」


「それは……」


 二択を突きつけられてアメリアが戸惑う。


「でも、貴女に良からぬ噂が付き纏うことになるかも知れないのですよ」


 他に選択肢がないとはいえ、娘のことを思い尚も風評を盾に食い下がる。


 だが、セラフィーナには冴えた回答が既に出ている。


「そんなこと簡単よ。要は完璧なレディーを演じて船にも乗ればいいわけでしょう? それだったら誰もぐうの音も出ないわよね?」


「それは、そうでしょうけど……」


「他に手はないですよね? お父様!」


 結論を促すようにエドワードに問いかける。


「確かに、皆が納得する唯一の方法なんだ」


 エドワードは「そうなんだ」と断言し、実は王宮にお伺いを立てていることも告白した。


「あなた。そんなこと一言も仰ってないではありませんか!」


「だから、アメリアが凄い剣幕で言い寄るから」


 堂々巡りに陥り、またまたエドワードが詰め寄られる。


「じゃあ、もう。決まったようなものじゃない」


 だが、もう結論はでている。


「後は、わたし次第よね?」


「そうだな」


 マイホームパパから再び鋭利なビジネスマンの顔に戻り、セラフィーナに決意の程を尋ねなおす。


「大変な役目だけど、やってくれるかい?」


 一拍間をおき、セラフィーナは高らかに宣言した。


「もちろんです」


 力強く頷く。


 と、いうよりも……




 こんな美味しいこと、断るモンですか。

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