アヴス

春嵐

アヴス

 名前は、新アヴスサーキット。


 ヨーロッパの郊外にできた新設のサーキットを、そのままレンタルした。


 開通前だから、公用路としてもまだ機能していない。地面はかなり硬く、そのくせ跳ねるような弾力がある。そして、速度減衰の特殊効果。一般車では速度が出なくなる仕掛けがあった。


 路面の吸着が関係している。逆にソフトでスピードを上げて走れば、吸着がなくなる。そこまで速度を上げられるかが、至上命題。


「どうだった」


 テストラン。1回目。


「まるでゼロヨンだな。すぐにレースが終わっちまう」


「そんなに短いわけでもないんだが」


「感覚的な問題かもしれん。周りの風景とか、あるいは路面の吸着か」


「吸い付くか」


「ああ。素足で走ってる感覚がする」


 しかし、それでは速度が落ちる。吸着を引き剥がさないと、飛ぶように走ることはできない。


 ドライバー。近くに座り、水を飲んでいる。いたって普通の、どこにでもいる女。しかし、この女が、世界最速を欲しいままにするレース界の絶対女王アブソリュートクイーン


「これは私の間違った予測かもしれないが」


 唐突に、女王が喋りはじめる。


「飛行機の滑走路に近い、気がする」


「なに?」


「吸い付く感じが、なんか、似てる」


 飛行機の滑走路。


「そうか、減衰」


 車輪に負担をかけず、なおかつスリップしない仕組み。


「じゃあ、タイヤを飛行機みたいにチューンしてみる」


「おねがいね」


 女王。立って伸びをしている。


「よく気付いたな」


「飛行機も乗ったことあるもの」


「そうか」


 女王なんだから、飛行機ぐらい持ってるし乗るか。


「いま、女王だからだとか思っただろ」


 その通り。


「軍属だったからよ。飛行機もボートもそれでひたすら乗ってた」


「軍属」


「どこの軍かは聞くなよ」


 知っている。


「極東の島国だろ」


「おっ」


 女王。こちらに近付く気配。タイヤを外して細かい空気圧を見ているので、後ろを向くことはできない。


「やっぱり、あなたに声をかけてよかったですわ。軍事研究顧問」


 口調が急に柔らかくなった。


 極東の島国で、極秘に創設された軍の研究顧問をしていた。多国籍で、目的も通常の軍とはことなる体形を持っている。


 自動思考装置アーティフィカルインテリジェンスとの戦闘を想定した軍だった。サイバー空間上にいる敵を、現実世界の側から叩く。必要とされるのは、海兵隊を越える速度と、すべての機器、すべての武装とすべての車輛を使いこなす力。


「口調も女王だな」


「女王ですから。正確には王女ですが」


 ばかにしているのか。


 あの軍は、素晴らしいものだった。明確に、人類以外との戦闘を想定し、それについて細かく研究を重ねた。軍事関連の研究は表向き御法度だが、あの軍では、本当に人類のために何かをできているという実感があった。


「人を殺すには、最適化された方法がいくつかある。挙げてみろ」


 つい、口が動いてしまう。後ろにいる女王を、けなしておきたい。レース界でいきがっているだけの、ただの軍落ちが。


「最適化ですか。最適化なら、人を殺すことをシステムそのものに組み込んだ何か、あるいは血液や精神に影響を及ぼす兵器、だと思います」


「正解だ」


「やった」


「しかし、それらはいまだに作られていない」


 事実だった。誰も、禁忌の領域には踏み込まない。


「なぜだと思う」


 女王。しばらくの無言。歩く音が聞こえる。歩きながら考えているのかもしれない。


「わかりません。軍にいたので、目の前の武器が最適だと思っていましたわ」


「それが兵士と研究職の違いだな」


 空気圧のチェックが終わった。振り向く。


「おっと」


 着替えていた。すぐにタイヤの方に向き直る。


「ごめんなさい。ちょっと暑かったので」


「気にしなくていい」


 身体に、無数のアザと切り傷。どうやら極東の島国にいたのは、確からしい。あの島国での訓練は、草やコンクリートでとにかく身体が切れる。


「答えが知りたいですわ。顧問」


 さっきの問いか。


「簡単だ。売れないから」


「売れない?」


「兵器は基本的に会社の売り物なんだ。効率的に人が殺せてしまうと、商売にならない」


どうしようもない、事実。


「だから、非人道的なのに安上がりな地雷ばかりが作られ、一般人ばかりが被害を受けたりする。すべては値段だ」


「そんな理由で」


「そう。そんな理由。その程度だから、俺たちは自動思考装置アーティフィカルインテリジェンスに負けた」


 極東の島国に作られた軍は、解散になった。


 とても簡単な話だった。軍に恐れをなした自動思考装置アーティフィカルインテリジェンスが、先に各国の首脳と政府に働きかけた。結果として起こった国家間の不和で、たやすく瓦解。


 軍そのものがなくなり、メンバーは各地に散った。何人かは、自動思考装置アーティフィカルインテリジェンスを利用した仕事に就いたときいている。

 自分も、そのひとりだった。レース用のチューンは、自動思考装置アーティフィカルインテリジェンスが自分に求めた仕事。理由は、分からない。


「よし。できたぞ。これで飛ぶように走れる。吸着がなくなるから、曲がるときの角度は抑えろ。たぶん滑る」


「わかった。よし、もういっちょ走るか」


 絶対女王。また口調が戻っている。


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