第20話 悪役令嬢は平民になるようです

「アリシア、以前に私がなんといったか覚えているか」


 ローデンブルク家の一室。

 アリシアはバイスの書斎に呼び出されていた。


 冷たい視線を向けてくるバイスに、たじろぎそうになるのをどうにかこらえ、アリシアは口を開く。


「……殿下の不興を買うような行いは慎むように 、と」


「だというのに、今回のお前の行いはなんだ!!」


 バンッと机に拳を叩きつける音に、思わず身を縮こまらせてしまう。


「ただでさえ、婚約破棄を言い渡されたことで、我がローデンブルク家に対する風当たりが強くなっているというのに。

 あろうことか半裸で殿下を押し倒すなど……。

 いったい何を考えているんだ!」


「お父様、それは誤解で……」


「誤解だろうが、なんだろうがその現場を見られたことは事実であろう!」


 バイスの言う通り、サロンの管理人にあの現場を見られたのが致命的だった。

 瞬く間に広まった噂は、当然ながら王城にも知られることとなった。


 その話を聞いたボルグ王国の王妃であり、レイネスの母親であるエステリアが激怒。

 アリシアに対する処罰を求めてきた。


 バイスとアリシアを目にかけてくれていたボルグ王は私を庇ってくれたようだが、エステリアの怒りが収まることはなかった。

 結局学園の退学と、ローデンブルク家からの放逐は免れそうもなかったが、極刑すら求めてきそうだったエステリアの様子を思えば、十分に軽い罰であるといえるだろう。


「……お前はもっと聡明な子だと思っていたのだが、な」


 先ほどまでの怒鳴り声は嘘のように鳴りを潜め、静かにバイスは呟いた。


 黒縁の眼鏡を外したその瞳には、いつものように鋭いものの、どこか憂いを帯びているように見えた。


「……新しい住居と、いくらかの仕度金は用意しておいた。

 今日中に荷物をまとめて出ていきなさい。

 二度と我が家の敷居を跨ぐことのないように」


「……ここまで育てて下さり、ありがとうございました」


「お前はもう、うちの子ではない」


「っ!

 ……失礼いたします」


 深く頭を下げたアリシアは、静かに書斎をあとにした。

 残されたバイスが、訪れた静寂に机を濡らしたことを知る者はいない。


 ◇


 前世の記憶のせいで希釈されてしまっているものの、この世界でのアリシアとしての記憶がなくなってしまったわけではない。


 生まれ育った家を追い出されるというのは、想像していたよりよほど、胸を苦しくさせた。


 だが、それ以上に辛いことがある。

 それは……。


「退学になっちゃったら、メリアに会えないじゃない!」


 アリシアは頭を抱えた。


 学園を舞台に繰り広げられる「マジラプ」は、当然ながら、そのイベントの多くが学園で発生する。

 もちろん、ここは現実であり、イベント以外の日常もあるわけだが、学生であるメリアが日中に学園の外に出ることはないし、部外者となってしまったアリシアが学園へと入ることもできない。


 どうしたものか。


 打開策を見出だそうと、アリシアは頭を悩ませていた。


「お嬢様、到着いたしました」


 馬車の扉が開き、御者をしていた執事が声をかけた。


 エスコートされながら場所を降りると、そこには一軒の平屋があった。

 王都にある平民街の一角にたたずむそれは、周囲の家屋と比較して特段華美であったり、反対にみすぼらしくあったりすることもない。

 ごく普通の民家であった。


「こちらが家の鍵と、仕度金になります」


 執事に手渡されたそれは、想像していたよりもずっと重く感じる。

 先ほどまでのバイスの剣幕を思うと、雀の涙程度しかもらえないと思っていたのだが、家といい、仕度金といい十分すぎるほどだった。


 本人は隠しているようだが、バイスはアリシアのことを公爵家の当主としてだけではなく、父として愛してくれていた。

 アリシアの前では厳格な当主として振る舞っていたバイスだが、その端々で当主らしからぬ甘さが垣間見えた。


 アリシアに対する処罰が決められた裏で、バイスが庇ってくれていたということを、アリシアは知っている。

 冷徹な当主ならば、王妃との対立を避けるために、娘くらいいくらでも差し出すだろう。

 王妃に従順であることを示して、利を得ることを考えるに違いない。


 だが、バイスは違った。

 ローデンブルク家にとってマイナスにしかならない、アリシアを庇うという選択肢を選んだ。

 王妃の機嫌をとるためにバイスが費やした財は、決して安いものではない。

 だというのに、それで得たものといえば、アリシアの処罰の軽減だけだ。

 わざわざアリシアを助けても、放逐される以上、アリシアがローデンブルク家に何かを還元することはない。

 完全なる無駄。

 貴族らしからぬ振る舞い。

 だからこそ、そこに当主ではないバイスの顔を見ることができた。


「それでは私はこれで失礼いたします。

 お嬢様の未来に幸あらんことを」


「ありがとう」


 恭しく一礼した執事は、馬車にのってローデンブルク家へと戻っていった。


 もうあの馬車に乗ることもないだろう。


 馬車の姿が街に溶けるまで見送ったアリシアは、大きく深呼吸をすると、新たな我が家へと足を踏み入れた。


 家の中には一通りの家具が備わっており、掃除もいき届いている。

 これならば、このまますぐに新しい生活を送り始めることも可能だろう。


 キッチンにあった椅子に腰かけたアリシアはこれからのことについて考える。


「お父様がくださったこの仕度金と、オーブントースターやドライヤーで稼いだお金があればしばらくはなんとかなりそうね」


 もちろん、これだけで一生を送れるというほどの額ではないが、少なくとも今すぐに飢えて死んでしまうということはないだろう。

 またなにか試作品作って、ロバートのところへ持っていけば、それなりの収入源にはなるはずだ。


「……そういえば、貴族ではなくなってしまったわけだけど、ロバートは今までのように取引をしてくれるかしら」


 少なくとも初めは、公爵令嬢からの依頼ということでオーブントースターの話を聞いてくれたという部分もあるだろう。

 アリシアがただの平民になってしまった以上、特別扱いをされるということはもうない。

 グストン商会は、ボルグ王国有数の大商家だ。

 公爵令嬢であった以前ならともかく、ただの平民とは取引などしないと言われてしまう可能性も十分にありえる。


 一度そう考えると、途端に不安が襲ってくる。


 メリアと結ばれるために、現実的な問題として収入源の確保は重要な課題だ。

 もしグストン商会との取引ができなくなるようであれば、一から仕事を探さなくてはならなくなる。

 いくら前世の記憶があるとはいえ、この世界での一般的な仕事に役立てられるとは思えない。

 当然ながら、貴族令嬢として育てられたアリシアとしての自分にも、平民として生きていくためのスキルなど備わっていない。


 なんとしてでも、グストン商会に取引をしてもらわなくては。


 アリシアは新居についたばかりだというのに、グストン商会へ向けて家を飛び出した。

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