第16話 王子は悪役令嬢に嫉妬しているようです


 王城の一画にある応接室。

 そこでレイネスは、落ち着かない様子でメリアを待っていた。


 今日はメリアを王城へ招待している。

 これが初めてというわけではない。

 メリアという人物に興味をもったあの日から、定期的にメリアとの交流の場を設けてきた。


 メリアと初めて言葉を交わしたのは、昨年の春のことだ。

 サリアス魔法学園で催された、新入生歓迎パーティー。

 そこで、一人黙々と料理を頬張るメリアに出会った。


 多くの貴族の子女が在籍する学園のパーティーだ。

 当然ながら、その料理も豪勢なものが用意されていた。

 しかし、貴族のパーティーというものは、基本的に交流の場である。

 家同士の親睦を深め、また、新たな繋がりを求めて挨拶をして回る。

 時に牽制し、時に担ぐ。

 格上には媚びへつらい、競争相手には寄子を引き連れて威圧する。

 全ては己の家の繁栄のために。


 学園に入学したばかりの子供同士とはいえ、そこは貴族の家に籍を置く者たちだ。

 大人顔負けに、舌戦を繰り広げている。


 様々な思惑が交錯する場。

 そこにおいて、料理というのは場を整えるための飾りにすぎず、精々摘まむと表現する程度に食するだけだ。

 間違っても料理を頬張るようなことはない。

 それがレイネスの知るパーティーだった。


 そんな常識の中で生きてきたからだろう。

 美味しそうに料理を頬張るメリアの姿は、あまりに鮮烈だった。


 いつもは婚約者であるアリシアが側に控えているので、レイネスから異性に声をかけることはない。

 しかしあの時は、アリシアが他の令嬢に捕まっており、またレイネスも挨拶が終わったばかりで、一人だった。


 そんな偶然が重なったからだろうか。


 レイネスは何の気なしに、メリアへ声をかけていた。


 メリアは突然声をかけられたことに驚いていたようだったが、それだけだった。

 レイネスが声をかければ、その魅力に大抵の令嬢は頬を染めるものだが、そんな様子もない。

 それだけでも充分に興味を惹かれる振る舞いではある。

 だが、それだけではなく、メリアは挨拶もそこそこに、料理を勧めてきたのだ。


 レイネスは目を剥いて驚いた。

 媚を売るでもなければ、自分を売り込むわけでもない。

 この料理はいい香りがするだとか、こっちの料理は舌触りがいいだとか、自分が食べて美味しかったものを、ただ純粋に勧めてきた。


 後でメリアから聞いた話だが、あの時メリアはレイネスが王子だと知らなかったらしい。

 だが、今にして思えば、それも無理ないことなのかもしれない。


 メリアは学園に入学する少し前まで、孤児院で生活していた。

 レイネスも王族として幾度か国民の前に姿をみせたことはあったが、孤児院で生活する子供たちにまで知れ渡るほどの頻度ではなかった。


 自分を知らない者がこの国にいるということに驚愕こそしたものの、けっして嫌な気はしなかった。

 むしろ、王族として国民のために、より一層務めを果たそうと思えたほどだ。


 メリアはどこか他の令嬢たちとは違う。

 アリシアという完璧な貴族令嬢が側にいたからこそ、メリアの姿はより鮮烈に映った。

 そんなメリアに、レイネスは無意識に惹かれていった。


 ◇


「レイネス殿下、メリア様がいらっしゃいました」


 扉の外から、メリアの来訪を伝える使用人の声がした。


「入れ」


 先程までのそわそわした様子などおくびにも出さず、落ち着いた声でメリアを迎え入れる。


「失礼いたします」


 可憐な声とともにメリアが入室してくる。

 その姿を見ただけで、レイネスの心は温かなものに包まれた。


「本日はお招きいただきありがとうございます」


「よくきてくれた。

 さあ、座ってくれ」


 メリアが向かいの席につくと、控えていた使用人がお茶の準備をしていく。

 初めて招待したときは落ち着かない様子だったメリアも、今ではお茶の味を楽しむ余裕があるくらいには、リラックスしてくれているようだ。


 他愛のない話を紡いでいく。

 生産的ではないその行為は、しかしながら、レイネスにとって満ち足りた一時だった。


 だが、その時間もメリアの言葉で終わりを告げる。


「先日、アリシア様とお茶会をいたしまして……」


(まただ……)


 レイネスはうんざりとした気持ちでメリアをみる。

 このところ、メリアと話をしていると、必ずアリシアの話題を出してくるのだ。


 初めはメリアもアリシアの話などしなかった。

 それは、メリアとアリシアの仲が良くなかったというのもあるだろう。


 しかし、レイネスがアリシアに婚約破棄を告げて以降、どういうわけか、アリシアとメリアの距離が縮まった。

 教室で二人が挨拶をしあう光景など、これまでなかったものだ。


 レイネスとしても、折角アリシアと離れたというのに、わざわざその話題に触れたいとは思わない。

 ただ、そうはいっても、メリアとアリシアの関係が気になるというのも、また事実である。

 そしてある日、レイネスはついポロッと尋ねてしまった。

「アリシアとはどのようなことをしているのだ?」と。

 とくに深い意味はなかった。

 ただ、自分の知らないメリアの姿を知ってみたいと思っただけだ。

 アリシアの話を聞きたいというわけではなかった。

 だが、レイネスの考えなど知らないメリアは、嬉々としてアリシアとの話を始めたのだ。


 それからというもの、レイネスが交流の場を設ける度に、メリアは毎回欠かさずアリシアの話をするようになった。

 どうにも、レイネスからの質問を、アリシアについて話す免罪符だと思っているようにみえる。

 もしかしたら、ずっとアリシアの話をしたかったのかもしれない。

 だが、メリアとアリシアの仲が深まったのは、レイネスが婚約破棄した後だ。

 これまではメリアも、元婚約相手の話題は避けるべきだと思っていたのだろう。


 楽しそうにアリシアの話をするメリア。

 うっとりとしたその表情は、まるで恋する乙女のようで。

 果たして、これまでレイネスがメリアからこの表情を引き出したことはあっただろうか。


 ドロリとした、暗い感情が溜まっていく。


 ふと、先日のアリシアの言葉が脳裏をよぎる。


『私はメリアさんを愛しています』


 真っ直ぐな瞳で、アリシアは毅然とそう告げた。

 その姿は凛としていて、不覚にも動揺してしまったほどだ。


 家格だけで決められた婚約者。

 だが、アリシアは完璧だった。

 常にレイネスに付き従い、レイネスと国のために尽くす。

 その研ぎ澄まされた立ち居振舞いをみるだけで、次期王妃に相応しい人物であることは、レイネスも認めざるをえなかった。


 だが、それだけだ。

 アリシアにはなにもなかった。

 己を殺し、ただ定められた通りに、完璧な令嬢として振る舞う。


 周りが称賛するアリシアのその姿は、レイネスには美しいだけの操り人形にしかみえなかった。

 空虚で憐れな傀儡。

 そんなものに、興味など抱けるはずもなかった。


 しかし、興味を抱けないからといって、アリシアが婚約者として完璧であることにはかわりない。

 ローデンブルク家との関係もあるため、そう簡単に婚約を破棄することもできない。

 完璧で空虚なアリシアに付き従われる日々は、息が詰まりそうだった。


 だからこそ、誕生日パーティーで、アリシアがメリアを叱責している姿をみたときは、絶好のチャンスだと思った。

 アリシアと離れ、メリアを手に入れるチャンスだと。


 これまでもアリシアがメリアに対して、強く当たっていたことは、情報として把握していた。

 だが、口頭で止めるよう注意しても、アリシアは変わらなかった。

 しかし、現場を押さえたとなれば話は別だ。


 今にして思えばかなり強引な婚約破棄であったと思う。

 だが、あの時はなぜかこの場で婚約破棄を突きつけるべきだと思った。

 まるで、世界がそう望んでいるような気がしたのだ。


 婚約破棄を告げられたアリシアの姿は、これまでにみたことのないほど弱々しいものだった。

 青白くなった顔で崩れ落ちる姿は、みるに耐えなかった。

 だが、皆の前で婚約破棄を告げた以上、後戻りはできなかった。


 しばしの間踞っていたアリシアだったが、しかしながら、まるで別人と入れ替わったかのように、毅然とした態度で立ち上がると、そのまま会場を後にした。

 それからだ、アリシアが変わったのは。


 あれほど強く当たっていたメリアに対し、突然挨拶をするようになった。

 それも、これまでに一度としてレイネスに向けられたことなどない、柔らかな笑みを浮かべてだ。

 初めてその光景をみたときは己の目を疑った。

 幻でもみているのかと思った。

 だが、アリシアはそれからというもの、毎日、毎日メリアに対して柔らかく接するようになった。


 メリアも初めはアリシアの態度に戸惑っていたようだったが、日を重ねるにつれてそんなアリシアに懐いていった。


 一時期、メリアがアリシアを避けるようにしていたことがあったが、それもアリシアを呼び出した日までのことであり、今では以前よりも仲がいいように思える。


 アリシアのメリアに対する想いを聞いて、正直下らないと思った。

 同性でいったいなにを抜かしているのだと。


 だが、ふざけているにしては、アリシアの表情はあまりに真剣だった。

 絶対にありえないことだとはわかっていても、メリアを取られてしまいそうな気がしてしまった。


 認めざるをえない。

 この胸の内に渦巻く暗い感情は、アリシアに対する嫉妬なのだろう。

 メリアの魅力を己以上に引き出すことができるアリシアを、恋敵として心が認めているのだ。


 だからこそ、メリアを誰かに、アリシアに渡すわけにはいかない。


 レイネスはスッと立ち上がるとメリアに近づいた。


「殿下?」


 不思議そうな表情を向けてくるメリア。

 その様子はあまりに無防備だった。

 自分がどんな状況にいるのかも気がつかずに。


 手を伸ばし、柔らかな髪を撫でる。

 そのまま手を動かし、白く温かな頬に触れ、指で魅惑的な口元をなぞる。

 ちらりと、馴染みのない、柔らかな笑みが脳裏をかすめ、溶けてゆく。


「メリア、私はお前を誰かに渡すつもりはない」


 戸惑うメリアに、レイネスはそっと顔を近づけた。

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