第219話  内側に入り込む

 1



 朝華との通話を終え、あたしはスマホをエナメルバッグにしまった。


「……なるほど」


 朝華が言っていた、未夜がまだやっていないこと。


 けど、こと。


 言われてみればまさにその通りで、気づかなかったあたしも迂闊だったな。


 たしかに、それをやっていなければそもそも勝負の土俵に上がれていないのと同じだから、未夜のアタックはそれほど脅威ではないかもしれない。


 もし未夜が過激なことをしても、今の勇にぃにとって未夜は今まで通りただの妹分。朝華が言ったように勇にぃの警戒心を刺激すれば、勇にぃの生真面目さがそのまま鉄壁のガードになるだろう。


 それにしても朝華の観察力は恐ろしいな。


「休憩そろそろ終わるぞー」


 監督の声が体育館に響く。


「まっひー、行こうよ」


「ああ、今行くよ」


 重要なのは、春高予選が終わるまでの八日間。朝華と結んだ停戦協定により、お互い勇にぃにアプローチをかけないようにするけれど、禁止されているのはあくまで勇にぃに対しての直接的なアプローチ。


 お互いが勇にぃに手出しできないこの八日間で何ができるか。


 何もせずにぼうっと過ごすわけにはいかない。


 つまりこれは下準備の期間……


 それが今後の戦いを大きく左右するのは間違いないし、朝華だって何かしらの考えがあるからこの提案をしたはず。


「負けないよ、朝華」



 2



 眞昼ちゃんとの通話を終え、私は勇にぃの車に戻る。


 私の家にお土産を取りに行ったあと、〈ムーンナイトテラス〉には戻らず、三人でお昼ご飯を食べてそのままドライブに行くことになったのだ。


 ミルクランドという富士宮市北部にある牧場に寄り、ジェラートを食べたりヤギや馬、牛などの動物を眺めながらのんびりとした時間を過ごした。


 そして帰ろうかというところで、電話をしなくてはいけないと席を外し、眞昼ちゃんに電話をかけたのだ。二人は車の中にいたのでこちらの通話は聞こえていないはず。


「お待たせしました」


 後部座席に乗り込む。


 助手席には未夜ちゃんが陣取っていた。


「よし、じゃあ帰るか」と勇にぃが車を走らせる。


 左手に見える富士の山に薄い雲がかかっていた。


 さて、ひとまずこれで場は膠着するだろう。


 未夜ちゃんの対処は眞昼ちゃんに任せておけばいい安心だ。


 勇にぃへのアプローチはひとまず封印。


「そういえばこの辺って、勇にぃのお爺ちゃんがあるんでしょ?」


 未夜ちゃんが窓の外を見ながら言う。


「んー、もうちょっと北の方にな。朝霧高原の辺り……」


「そうなんですね」


 そう、勇にぃへの、はね。



 3



 四時過ぎ、私たちは〈ムーンナイトテラス〉に到着した。


「ふう、疲れた」


「勇にぃ、お疲れ様です」


 勇にぃは体の凝りをほぐすように伸びをする」


「勇にぃ、お疲れでしたら私がマッサージしてあげましょうか?」


「え?」


「ちょ、ちょっと朝華! ダメ」


 未夜ちゃんが横から割って入る。


「じゃあ未夜ちゃんが勇にぃにマッサージしてあげたら?」


「ふぇ?」


 顔を赤くし、未夜ちゃんは勇にぃの方を見る。それを受けて、勇にぃは慌てた表情になった。


「いや、俺は大丈夫だから」


 そう言って勇にぃはさっさと〈ムーンナイトテラス〉に入っていく。


「あっ、待ってよ勇にぃ」と未夜ちゃんもそのあとを追う。


 ふふ、やっぱり勇にぃは未夜ちゃん相手にはガードを固めるようだ。


 私も中に入る。


「おじさま、おばさま、姉が東北に行った際にお土産のおすそわけです」


 姉の土産を手渡すと、おばさまの方が特に喜んでくれた。


「あら、いぶりがっこもあるじゃない」


「いぶり、がっこって何?」


 未夜ちゃんが不思議そうな顔をする。


「燻した大根で作るたくあんよ。スモーキーな香りがするからそのまま食べても美味しいし、これにクリームチーズをちょこっと塗って日本酒をきゅっとヤるともうたまらないのよ」


「喜んで頂けて嬉しいです」


「母さんは酒好きだからなぁ。つまみになるもんならなんでもいいんだよ」


「勇、うるさい」


「本当のことじゃねぇか」


「酒の一滴、血の一滴。それがうちの家訓よ」


「初めて聞いたんだが」


「おばさまは本当にお酒がお好きなんですね」


「爺さん婆さんが酒飲みだからなぁ。その血を引いてるんだよ」


「……!」


 それから六時過ぎに部活帰りの眞昼ちゃんが合流し、私たちは〈ムーンナイトテラス〉で夕食を摂って勇にぃの部屋で過ごしたあと、それぞれの家に車で送り届けてもらった。


 私の家が一番遠いところにあるので、必然的に私が最後まで勇にぃと一緒にいることになる。


 道中、


「そういえば勇にぃ」


「ん?」


「姉から頂いたお土産、まだ少しだけ残ってるんですよ。もしよろしければ、勇にぃのおじいさまとおばあさまにも、おすそわけしましょうか?」


「え? いいのか?」


「はい。おばさまと一緒でお酒が好きなようですので、東北の珍味を差し上げたら喜ぶのではないかと思います」


「なんか悪いな」


「いえいえ」


 眞昼ちゃんとの約束で禁止されているのは、あくまで勇にぃへのアプローチ。


 とっかかりをどう見つけるかが問題だったのだが、まさかこんなあっさり行くとは想定外だ。


 なんて嬉しい誤算。


「では明日、に渡しに行きましょうね」




 *




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 5巻はそう遠くない未来に出せると思うので、しばしお待ちください!



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