第217話 停戦協定
1
午後三時過ぎ。やっと休憩だ。
スポーツドリンクを飲み干し、二本目を開けようとしたところでスマホに着信履歴があることに気づいた。
「ん? 朝華だ」
折り返しでかけてみる。
「あっ、眞昼ちゃん。今、大丈夫?」
「休憩中だから大丈夫だよ。何かあった?」
「ちょっと相談というか、提案というか」
「?」
「眞昼ちゃんの言う通りだね。未夜ちゃん、あのままだと勇にぃを落としちゃうのも時間の問題かも」
「……やっぱり朝華もそう思う?」
「あのべったり具合は放置できないかな」
「言っとくけど、朝華が引き込んだんだからね」
あたしはちょっと嫌味っぽく言う。
「ふふ、分かってる。だからこその、提案」
朝華の声色が真剣なものに変わった。
「正直な話、未夜ちゃんのアタックは今のところは脅威じゃない。さっきから見てる感じだと、けっこう攻めたことをしても勇にぃに妹扱いされて、いなされてるからね。でも距離感は未夜ちゃんが一番近いし、勇にぃとの時間を一番作れるのも未夜ちゃん。勇にぃが未夜ちゃんを一人の女の子として意識しちゃったら――」
「未夜がそのまま勇にぃを落とす」
「そう。でもそれは逆に言えば、勇にぃに未夜ちゃんを意識させなければいい、てこと」
「言うは簡単だけどさ。結局それは勇にぃの気持ちの問題だし、何より未夜が勇にぃにアタックを続ければ勇にぃもその気になるんじゃないの?」
「ううん、そこは大丈夫」
朝華は自信たっぷりに言い切った。
「……なんで?」
「未夜ちゃんは肝心なことをしてないから」
「肝心なこと?」
「勇にぃに自分を女として意識させるためにまずしないといけないこと。未夜ちゃんはそれをすっ飛ばしちゃってる。だから、しばらくの間は大丈夫」
「肝心なことって何?」
「私も眞昼ちゃんもやったことだよ」
「?」
「つまるところ相談っていうのはそのことなの。眞昼ちゃん、ただでさえ部活で忙しいし、未夜ちゃんも参戦してきたしで、部活に集中できないでしょう?」
「うん、まあね」
「だから提案。眞昼ちゃんの春高の予選が終わるまで、つまり来週の月曜日まで、お互い勇にぃへのアタックはお休みしない?」
「え?」
「勇にぃへのアプローチはいったんお休みして、私と眞昼ちゃんは未夜ちゃんを抑え込むことだけに集中する。どう?」
思ってもみなかった提案だ。春高に向けた練習で勇にぃとの時間をなかなか作れず、未夜がいつ勇にぃを落としてしまうか、というのが気になって練習にも正直集中できていなかった。
「未夜を抑え込むって具体的にどうやって?」
「簡単だよ。勇にぃの方を煽ってあげればいいの。勇にぃは私と眞昼ちゃんから言い寄られてるから、警戒心が強まってるでしょう? もし未夜ちゃんが勇にぃにアプローチを駆けようとしたら、勇にぃの警戒心をちょこっと刺激してあげるだけで、勇にぃは未夜ちゃんを警戒して距離を置こうとするはず。勇にぃにとって、今の未夜ちゃんは妹みたいな存在だから」
「そんなに上手くいくかねぇ」
「さっき私がやって見せたでしょう?」
午前中にあたしと朝華が勇にぃの部屋に行った時のことを思い出す。未夜と勇にぃは寄り添って座っていたが、朝華が「まるで恋人みたいなくっつき方をしてますね」と言ったら勇にぃは未夜にもっと離れるよう言ってたっけ。
「あんな感じで、勇にぃの警戒心を煽ってあげれば、勇にぃはすぐにガードを固めるから未夜ちゃんの猛攻もそこまで脅威じゃなくなると思うの」
「ふむ」
つまり、朝華とあたしはお互い勇にぃには手出しせず、未夜を抑えることだけにリソースを割くわけか。それなら部活にも身が入るだろうし、朝華も勇にぃにアタックを仕掛けないしで、あたしにはメリットしかないのだが……
この提案、朝華にメリットがない。
未夜の抑え方を分かっているんだったら、あたしが部活で忙しくしている間にさっさと勇にぃを落とせばいいのに、わざわざ停戦協定を結ぼうとする目的はなんだ……?
むしろ、あたしが春高に時間を取られてる現状、朝華は少しでも勇にぃにアタックを仕掛けたいはず。
朝華の狙いはいったいなんなんだ?
「あたしは別にいいけど、朝華にメリットがあるの?」
「……」
数秒の無言のあと、朝華は静かに言った。
「うん、あるよ。でもそれは秘密」
やはり何か企んでいるな。でも、この提案は飲んでおいた方がいい。少なくとも、あたしに不利な状況にはならないのだから。
「分かった。春高の予選が終わるまでの八日間だね」
「うん、ありがとう」
「っていうかさ、勇にぃを意識させるために未夜がやってない肝心なことって何?」
「ああ、それね。未夜ちゃんを抑える中で、未夜ちゃんがそれをやらないように目を光らせておいてほしいの。今の未夜ちゃんだと心配はしなくていいと思うんだけど、念のためにね」
未夜はいったい何をやっていないんだ?
勇にぃに自分を女性として意識させるために、必要なことといえば……
「未夜ちゃんはね――」
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