第194話 箱根へ出発
1
秋晴れが気持ちのいい土曜日。
「じゃ、いってきまーす」
未夜が俺の車の助手席に乗り込む。赤いカーディガンに白いワンピースを合わせた秋らしい装いだ。長い茶髪をおさげにして両肩に垂らしている。
「気を付けるのよー」と未来さんが言う横で、
「お土産、ちゃんと買ってきてよね」
未空が声を大にして言った。
「分かってるって」
「じゃあ、勇くんよろしくね」
「了解っす」
俺は車を走らせる。
今日からいよいよ朝華がくれた俺の誕生日プレゼント、箱根の温泉旅館で一泊二日の旅行が始まるのだ。朝華は現地で待っているそうで、俺と未夜は箱根へ直接車で向かう段取りだ。
時刻はまだ午前八時。
街は慌ただしい出勤ラッシュの真っただ中だが、西富士道路から新東名に乗ればもう快適だ。カーナビの案内に従って車を走らせる。
「私、箱根って初めてかも」
「俺もだ」
「箱根って静岡だと思ってたけど神奈川なんだね」
未夜は途中のコンビニで買ったオレンジジュースを飲みながら、浮かれた顔を見せる。こいつはいつまでも子供っぽいな。
「そうだ勇にぃ、眞昼も今日から合宿だって」
「いよいよ春高の予選が始まるからなぁ」
「しかもね、眞昼たちの合宿も箱根でやるんだってさ」
「え? マジか」
「うん。偶然行き先が被ったんだって。泊まるとこが近かったら向こうで会えるかも」
「いや、眞昼は遊びに行くんじゃないんだぞ」
合宿なのだから、行動は部活仲間と一緒だろうし抜け出す暇はないのではないか。それにしても箱根で合宿とはなかなか変わっている。というかそもそも箱根にバレーができるほどの体育館とかあるのか?
「でも眞昼だけいなくてなんか寂しいんだもん」
「それはそうだな」
「いつか四人で旅行に行きたいね」
「……そうだな」
俺の心はざわついていた。
朝華は俺のために今回の旅行を計画し、誕生日プレゼントとして用意してくれた。
俺を喜ばせるための箱根旅行の準備をしてくれたこと、そのこと自体は純粋に嬉しいし、素直に喜ぶべきことなのだが、湘南の別荘で起きたあの衝撃的な出来事――朝華が俺に夜這いをかけた――のことを考えると今回も何か企んでいるのではないかという不安が拭えずにいる。
一般的(?)に男女の温泉旅行というのは大人の関係がついて回るものだし、一般的(?)にはそういう意味を持つものだと聞く。今回は未夜を交えた三人だけれど、警戒はしておかなくては。
湘南では朝華の誘惑に一度は負け、彼女を抱きかけてしまった己を恥じ、女子高生に手を出すことなど社会的に許されない行為であるということを頭に叩き込む。
眞昼とのこともあるし、今後どうやって朝華と眞昼との関係を収めていくか、真剣に考えていかなくては。
少なくとも二人に、お互いが俺に好意を寄せている、ということだけはなんとしてでも知られないようにしなくてはならない。
朝華と眞昼の間に、俺をめぐって争いなど起きてほしくないからだ。
「勇にぃ? どしたの?」
「あ?」
「なんか怖い顔してたから」
「ああ、運転に集中してただけだよ。そうだ、昨日やっと小説読み終えたぞ」
「ほんと? どうだったー?」
未夜からの誕生日プレゼントである、未夜の自作推理小説の感想を話しながら、俺たちは箱根への路を楽しんだ。
*
途中で伊豆縦貫道に入り、三島塚原のインターチェンジで降りる。
「うお、なんだありゃ。ドラゴンキャッスル?」
アスレチックというか城というか、男のロマンをくすぐるような謎の建物が目に入る。
未夜の返事がないので助手席をちらっと見ると、彼女はいつの間にか眠ってしまっていた。気持ちよさそうな寝息を立てている。出発してから一時間も経っていないのによく寝れるなこいつは。
少し走ると、やがて県境を越え、箱根の地に入った。
左手の木々の切れ間から、芦ノ湖が見えてくる。湖畔の駐車場があったので、そこに入ってみた。
「おい起きろ未夜」
「ふぇ?」
未夜の肩を揺さぶって起こす。
「ん、もう着いたの?」
「あとちょっとだけど、芦ノ湖が見えるから」
駐車場の目の前はもう湖で、山に囲まれた芦ノ湖を望める。
「見ろ、海賊船だ」
「うわっっ!」
海賊船のような遊覧船が停泊しており、観光客が列を作って乗り込んでいた。未夜は目を丸くしながらその様子を見守る。
「すごーい、何あれ」
箱根には初めて足を踏み入れたが、しっぽり大人の温泉街、というものを勝手に想像していただけに、いい意味で期待を裏切られた。
緑と古びた建物が交じり合い、なんだか一昔前にタイムスリップしてきたような心地――といったものを想像していたのだが、この辺りはまだ真新しい建物などが多いな。
場所によって雰囲気が異なるのだろうか。
「いい天気だねぇ」
伸びをしながら未夜は空を見上げる。
すっきりとした青空にぽつぽつと雲が浮かび、絶好の行楽日和だ。
「よし、じゃ行くか」
「うん」
車に戻り、ゴールを目指す。
大きな鳥居をくぐった先から、だんだんと道が細くなる。山の中の道を進んでいくと、歩道は観光客らしき人で賑わい、外国人の観光客も多かった。箱根神社が近くにあるそうだ。
ちなみに俺たちが今回泊まる旅館は芦ノ湖の湖畔にあるという。ナビの案内に従い、芦ノ湖沿いの峠道を進む。
緑と自然に囲まれた道は、散歩をしても気持ちよさそうだ。
しばらくして視界が開けた。
周囲を木々に囲まれた駐車場。その奥に俺たちが泊まる〈あかつき亭〉の玄関口が見えた。まるで隠れ家のようにひっそりとしており、漂う雰囲気はそれこそ令和の時代から何十年も昔に戻ったかのようなレトロなものだった。
俺が勝手に想像していた箱根のイメージに合致する、趣のある旅館。
富士宮市も昭和の香りを残す場所がいくつかあるけれど、ここに流れている空気は昭和の残り香というよりかは、昭和をそのまま保存したかのようだ。
俺自身、昭和文化がまだ残っていた平成初期に生まれた身なので、こういう古びたな雰囲気は落ち着くし、好きだ。
これが高級旅館か。
「ほれ、荷物出すぞ」
「うん」
トランクからキャリーケースや旅行鞄を降ろして入口へ向かうと、朝華が奥から姿を見せた。
2
「全員いるなー。よし、行くよ」
顧問の先生に従い、あたしたちは電車に乗り込む。
「いよいよ箱根だね、まっひー」
香織がわくわくした表情を見せる。
「遊びに行くんじゃないんだからな。過酷な練習で疲弊した体をしっかり休ませて、英気を養って、予選に万全の状態で臨むための合宿なんだから」
「つまり遊びに行くってことでしょ」
「うぐ」
練習も一応やるにはやるのだが。
「もう、まっひーせっかくの箱根なのに難しい顔して。なんだかんだまっひーも楽しみにしてたんでしょ?」
「うーん、まぁ」
もちろん合宿も大事だし、楽しみではあるのだが……
今回の旅行で朝華がまた勇にぃに夜這いをかけたり、誘惑をする可能性は非常に高い。未夜が一緒だということが上手く牽制になってくれたらいいが、朝華のことだ。いろいろと企んでいるに違いない。
下手をすればこの旅行で勝負が決まるといっても過言ではない。
朝華も本気で勇にぃを落としにくるだろうし、あたしも本気でそれを阻止しなければ。
「さすがまっひー、英気を養うための合宿でも気を抜いてないんだね」
「……まぁね」
窓の外に目をやると、遠のいていく富士山が視界に入った。
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