第188話  十月二日 その3

 1



「勇、悪いけどまた送ってくれない?」


「いいよ」


 夕陽は友達と遊ぶ約束があるらしく、また富士宮市街に戻るのだという。制服から私服に着替えるために部屋に上がっていくので、俺は居間に残って祖母と世間話をしながらお茶を飲む。途中、ドライヤーの音が聞こえてきた。どうやらシャワーを浴びていたようだ。


 夕陽は三十分ほど経ってから戻ってきた。


 長い金色の髪を束ね、右肩に垂らしている。白いブラウスに黒いロングスカートといった落ち着いた服装も相まって、まるで精巧な人形のように見えた。花畑にいるような甘い香りの香水を身にまとい、全体的にふんわりとした雰囲気だ。


「ごめん、お待たせ」


 夕陽を助手席に乗せ、俺は市街地へ戻る。


「駅までお願い」


「ほいほい」


 電車で移動するところを見ると、どうやら友達は富士宮市在住ではないようだ。富士市だろうか。


「ところでさ、今日の誕生会にはあの人も来るの?」


 夕陽が尋ねる。


「あの人って?」


「勇が気になってる人」


「ぶっ」


 思わず足に力が入り、ブレーキを強めに踏んでしまった。


「わわっ、ちょっと、急ブレーキやめてよ」


「ご、ごめんごめん」


「その慌てよう、来るんだ。へぇ、やったじゃん」


 にんまりと夕陽は口角を上げる。


「いやいや、夕陽ちゃん。相手の子とはそういう関係じゃなくて、それは誤解なんだって」


 そうは言ったものの、正確に言うのなら今はもう誤解ではない。


「まぁまぁ。こう見えても夕陽は恋愛相談のプロフェッショナルだから」


「はぁ?」


「ふっふっふ、何を隠そう夕陽はね、学校でも知り合いの恋愛相談に乗ってるのよ。だから勇もその人とのことで悩んだら、夕陽に相談するといいよ」


「は、はぁ」


「あー残念だったなぁ。今日予定がなければ、夕陽も誕生会に行って相手の人がどんな人なのか見れたのに」


「あはは」


「でも誕生会にわざわざ来てくれるってけっこう脈ありだと思っていいんじゃない?」


「そうかな。あはは」


 夕陽も夕陽なりに俺のことを心配してくれているのだろう。その気持ちは嬉しいが、眞昼との歪な関係を相談するのはためらわれる。『自分に振り向いてくれるまでいつまでも待っている』という眞昼のスタンスはかなり特殊だし、眞昼以外にもう一人朝華からも愛を向けられている状況は説明するのが難しい。


 さらには二人とも現役女子高生という点から、夕陽の逆鱗に触れることは必至だ。


「じゃ、ありがと」


「おう」


 夕陽を駅まで送り届け、俺は再び車を走らせる。


 もう午後五時を回っている。あとは適当に近場をドライブしようか、それともどこかカフェを見つけてのんびりコーヒーでも飲もうか。


 西の方を見ると空は赤く燃え、北にそびえる富士山の山肌を夕焼け色に染めていた。



 2



 午後六時半。北高の敷地内にある駐車場で俺は眞昼を待っていた。


 スマホに眞昼からメッセージが届いた。


『もう終わったよ』


『北嶺館の駐車場で待ってるぞ』


『了解』


 先ほど母から『眞昼ちゃん拾ってきて』というラインが届き、部活終わりの眞昼を俺が拾ってそのまま〈ムーンナイトテラス〉へ向かう段取りになったのだ。


 思ったより早く終わったな。


 すっかり辺りは暗くなっているが、グラウンドからはまだサッカー部の練習の声が聞こえてくる。校舎にも明かりが灯っており、まだまだ学校には人が残っているようだ。


「懐かしいな」


 俺も高校生の頃はこの時間まで、いやもっとか。もっと遅い時間まで練習をして、仲間たちと買い食いをして、泥臭い青春を過ごしていた。クソガキたちと出会ったのは、その青春が一段落ついた頃……


 高校時代を懐かしみながら待っていると、やがて薄闇の中に眞昼の姿が見えた。小走りでこちらに駆け寄り、眞昼は助手席のドアを開けた。


「お待たせ」


「おう」


 シャワーを浴びてきたようだ。シャンプーの甘い香りが鼻腔をくすぐる。少し湿った髪と熱で火照った頬の赤みが色っぽい。


「勇にぃ、お誕生日おめでとう」


「はは、ありがと」


 ドアを閉めてシートベルトをつけるのを見届けると、俺はクラッチを切ってギアを一速ローに入れた。その時、


「……!」


 眞昼はすんと鼻を鳴らした。彼女は横目で俺を見ると、にこりと微笑んだ。


「勇にぃ」


「なんだ?」


「朝華とどこ行ったの?」


「へ? いや、今日は朝華には会ってないけど」


「ほんと? じゃあ……女の人乗せた?」


「えっ!? な、なんで――」


「香水の匂いがする」


 眞昼は笑顔のまま言う。


「あっ」


 つい先ほどまで夕陽が乗っていたからだ。たしか彼女はいい香りの香水をまとっていて、その残り香がまだ車内にあったのだ。


 俺は慌ててギアをニュートラルに戻し、眞昼に向き直る。


「親戚の女の子を送っていっただけだよ」


「ふぅん」


 俺は弁解する。


 その子はただの親戚であり、やましい気持ちなどないこと。誕生日プレゼントをくれるというので学校まで貰いに行き、ついでに家まで送ってあげたこと。そして家から駅まで再び送ったこと。


 まさか自分がこんな昼ドラの修羅場みたいなシチュエーションを経験することになるとは。別に誰とも付き合っているわけではないので、浮気には当たらないはずだが。


「ふーん。ま、いいよ」


 眞昼はあっさり引き下がった。思ったよりも薄い反応に俺は拍子抜けする。ドラマや映画でこういう場面に出くわしたら、たいていはしつこくその女のことを聞かれるものだが、眞昼は気にならないのだろうか。


「そんなことよりも」


 眞昼はバッグからラッピングされた小さな箱を取り出す。


「はい。お誕生日プレゼント」


「あ、ありがとう」


「開けていいよ」


 言われるままにリボンと包装を解く。中から現れたのは……


「え?」


 なんだこれは。


 箱を開けたら、その中にも箱のようなものが入っていた。五センチ四方ぐらいの小さな立方体だ。木造りの小さな箱には三日月のマークが彫られており、側面に溝のようなラインが入っていた。


 よく見ると、その溝は装飾ではなくその部分から開けられるようになっているだけだと気づいた。


 この小さな木箱は横の部分からパッ〇マンのようにぱっくりと口を開けるように開くことができるのだ。


 眼前のものがいったいなんであるか、そしてその用途に気づいた時、俺は背筋に冷たいものを感じた。


「ま、眞昼。これって」


「言ったでしょ、あたしはって」


 木箱を開くと、中にはクッションのようなものが収まっていて、その中央にわずかばかりのくぼみが見受けられた。


「さっきのは親戚の子だって分かったからよかったけど、朝華だったり、ほかの知らない女の子と勇にぃが仲良くしてたら、嫉妬の気持ちが湧かないわけじゃないよ。けどさ、最後にあたしを選んでくれたらそれでいいよ。待つっていうのはそういうことだと思うから」


 眞昼がくれたもの、それは……


「だから、あたしでいいって思ったら、今度は勇にぃがそれをあたしに頂戴。ちゃんと中にを入れてね」


 指輪ケースだった。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る