第187話  十月二日 その2

 1



「ほら、朝華。例のアレだ」


 父がニマニマした顔で洋形封筒を手渡す。地は藍色で赤い紅葉が描かれており、三日月を模したシーリングスタンプが押されてる。


 秋の夜をイメージしたデザインは、まさに勇にぃの誕生日にふさわしい。


「ありがとうございます」


「お父さんはこれから仕事があるからいけないが、勇くんによろしく言っておいてくれ」


「はい。無理を聞いていただきありがとうございます」


「いいさいいさ。そうだ、朝華」


「はい?」


「憶えてるか? 朝華が子供の頃、勇くんの誕生日に何をあげたらいいか、お父さんに相談したこと」


「もちろんです」


「あの時はびっくりしたよ。てっきり相手はちょっと年上の子かと思ったら、高校生だったなんてな」


「うふふ」


「また勇くんの誕生日を祝えて、よかったな」


「はい!」


 父は私の手元の封筒に目を落とすと、いつになく爽やかな笑顔を作って親指を立てた。


「楽しみだな」


「え? ああ、はい」


 どうして父がを楽しみに思うことがあるのだろうか?


「さて、そろそろ行くか」


「いってらっしゃい」


 父が仕事に出かけて行ったので私は部屋に戻り、ベッドの縁に腰を下ろした。


 今日、十月二日は勇にぃの誕生日。

 平日のスタートを切る月曜日だが、創立記念日で学校がお休みなので私は朝一で神奈川を発って先ほど富士宮に帰ってきた。まぁもし今日が休みじゃなかったとしても、どんな手段を使ってでも休んでいたので問題はなかったのだけれど。


 いつもであれば金曜の夜か土曜の朝に帰省を始めるのだが、この土日は富士宮には帰らなかった。


 今日、いや――正確には来たるべき日のために、土日の二日間を使ってをしてきたのだ。


「うふふふ」


 今しがた父から貰った封筒を胸に抱き、その日のことを思い浮かべる。胸の奥が昂って下腹部に甘い疼きを感じたのは、土日に勇にぃに会えなかったからだろう。


 三日月の形をしたスタンプにキスをする。


 楽しみ。


 時計を見ると午後一時過ぎ。未夜ちゃんと眞昼ちゃんは学校がある。眞昼ちゃんは部活の練習が遅くなるから、誕生会が始まるのは午後七時ぐらいになる予定だ。私は明日からは普通に学校があるので、遅くとも午後十時には富士宮を発たなくてはいけない。


 明日も休みだったらよかったのになぁ。


 誕生会が始まるまであと六時間ほど。


 それまでの間ぼうっと家で過ごすわけにはいかない。早めに〈ムーンナイトテラス〉に向かい、誕生会の料理をおばさんたちと一緒に作らなくては。


「ふふ」


 私の手料理を勇にぃが食べてくれる。それも誕生日に。


「うふふふふ」



 2



「さ、始まるまでどこかで時間を潰してきなさい」


「へいへい」


 正午過ぎ、俺は母に店を追い出された。パーティーの主役がいる前で準備ができるか、というわけだ。店の扉を振り返ると『本日貸し切り』の札が下がっている。俺のためにわざわざここまでしてくれなくても、と思うがこれはこれで嬉しかったりする。


 さて、何をして過ごそうか。眞昼に聞いたところ、今日の練習が終わるのが午後七時頃で、誕生会は眞昼が来てから始まる予定だ。ということはつまり、俺は約七~八時間という長い時間をどこかで、しかも一人で潰さないといけない。


 とりあえずシビックの運転席に座り、エンジンをかけた。シートから伝わる振動が心地いい。近くのコンビニに向かって飲み物を買う。それにしても車の中で飲む缶コーヒーはなぜこんなに美味しく感じるのだろうか。


 スマホを見ると、夕陽からラインのメッセージが来ていた。


『お誕生日おめでと』

 

 俺は返信をする。


『ありがとう』


 ついでに十匹の蟻が描かれたスタンプも送る。すぐに既読がついた。


 続けて『夕陽ちゃんも誕生会来る?』と送る。


『ごめん。夕陽今日の夜は超絶忙しい』


『そっか』


『でも誕プレは用意してるよ』


『ありがとう』


『学校帰りに届けに行くから』


 ということはどうやら今も持っているということか。だが、学校帰りの時間だとまだ〈ムーンナイトテラス〉は誕生会の準備中で、俺は中に入ることができない。


『じゃあ北高に取りに行くよ!』


『は?』


 自分から誕プレを貰いに行くのもどうかと思ったが、今日の俺は暇で暇でしょうがないのだ。


『勇がそれでいいならいいけど』


『待ち合わせはどうする?』


『じゃ16時に北嶺館に来て』


『了解』


 ついでにラジャーのスタンプを押した。


「さて、と」


 何をして過ごそうか。


 いくらなんでも男一人で平日の昼間を七~八時間というのは持て余してしまう。


 久々に映画でも見ようか。それとも……


「まずは飯だな」


 腹が空いてはなんとやら。俺は車を走らせて行きつけのラーメン屋に向かった。



 *


 バイパス沿いにあるラーメン屋。どこにでもあるチェーン店だが、いつでも変わらない味が安心する。

 すっきりした醤油ラーメン大盛を勢いよく啜り終え、満たされた腹を撫でながら店の外へ。

 綺麗な秋晴れの空にもこもことした雲がぼんやり漂っている。いい天気だ。


 次の行き先を考えながらバイパスを走る。本栖の方まで行ってみようか。


 平日、それも月曜だからか道は空いていて快適なドライブとなった。国道139号線を山梨方面に走る。途中、朝霧高原の道の駅でトイレ休憩をした。


 ふと思い出す。


 そういえば、昔あいつらが宝の地図を見つけたとかで、街中を歩き回る宝探しをした際、最後はこの道の駅までやってきたっけ。


 思い出を懐かしみながら、俺は車に戻る。あの頃は、こんなことになるなんて想像もしてなかったな。思い出の中のクソガキたちは、無邪気な笑顔を見せていた。


 その後、本栖湖を越えて精進湖バイパスから甲府市まで抜け、富士川を下りながら本栖みちを通って再び本栖湖まで戻り、富士宮市へ帰還した。



 *



 午後四時過ぎ。俺は北高の西門から中に入り、待ち合わせ場所の北嶺館に車を寄せた。ここは北高生が部活の合宿などで使用する宿泊施設である。俺も男バス時代に合宿で泊まったことがある。


 やがて、建物の陰から夕陽が出てきた。親譲りの美しい金色の髪をなびかせながら助手席に乗り込む。


「よっと」


「待った?」


「ちょっとだけね。さ、しゅっぱーつ」


 家まで送って行けということか。


 俺は来た道を取って返し、外神家のある朝霧高原まで戻る。


「勇さぁ、この前誕プレあげた女の子とはどうなのよ」


「え?」


 眞昼の誕生日プレゼント選びを夕陽に手伝ってもらったのだが、どうやら彼女はそれを気になっている女の子へのプレゼントだと誤解しているようだ。


 まあ、気になっている、という意味の捉えどころによっては間違いではないのだけど。


「あれからどうなのよ。何か進展あった?」


 とんでもない進展(?)があったが、さすがにまだ夕陽には言えない。おそらく彼女は相手が社会人だと思っているのだろう。現役女子高生――しかも夕陽と同じ学校――だなんて、口が裂けても言えない。


「いや、まぁ、えと」


「……その様子だとまだたいした進展はしてないみたいね」


「……だから、夕陽ちゃんが思ってるような関係じゃないんだって」


 言いながら、俺は少し罪悪感を覚えた。

 眞昼との関係は、夕陽にプレゼント相談をした段階ではたしかに恋愛という形のものではなく、純粋に兄と妹のようなものであった。少なくとも、俺の認識の中では。


 だが、眞昼から告白をされ、さらには『いつまでも待ってる』と言われてしまった現在の関係性は、夕陽が誤解していた恋愛関係と同じ方向を向いてしまっているのだ。


 おそらく、相談をすれば夕陽は俺の恋愛について親身になって乗ってくれるだろうが、相手が女子高生の眞昼だとバレるのはNGだ。彼女的には社会人のおっさんが女子高生に手を出すのはタブーなのだから。


 いや、そもそも社会倫理的に考えても社会人のおっさんと女子高生の組み合わせはタブーなのだが。


「はいはい」


 やがて外神家へ到着する。夕陽はバッグから小さな小包を取り出した。


「はいこれ。誕生日おめでとう」


「おっ、ありがとう。開けていい?」


「いいよ」


 中を検めると、そこには――


「お守り……?」


 白地に桃色の刺繍で『縁結』とある。


「そ。浅間さんで貰ってきたの」


 これはタイミングがいいというべきか、それとも悪いというべきか。


「あ、はは。ありがとう、ね」


 夕陽がくれたのはのお守りだった。





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