第166話 おいおいマジかよ
1
すごい雨だ。
車が来たらすぐに分かるよう、あたしは第二体育館の軒下に出た。するとそこには見慣れた人影があった。外灯の光の下に佇む大男。短く刈り上げたソフトモヒカン、筋肉質な長身にバスケの練習着姿。芹澤だった。
「おう、芹澤」
「なんだ、龍石か」
「こんなとこでなにやってんだよ?」
あたしと同じように傘を忘れて迎え待ちだろうか。いや、芹澤の右手には閉じられた状態の傘がある。
「
そう言って芹澤は第一体育館の方を見やる。女子バスケ部が練習の後片付けをしていた。
「ああ、彼女さんか」
「馬鹿っ、そういうんじゃねぇっつーの」
分かりやすく耳まで顔を赤くし、芹澤は腕を組んでそっぽを向いた。
華山凛と芹澤が付き合っていることは学校中に知れ渡っているのだが、当の本人たちは隠し通しているつもりらしい。周りからいじられるたびに「まだ付き合ってない」とか「そんなんじゃない」と誤魔化しているが、ついこの間、二人が校舎の裏で一緒にお弁当を食べているところを女バレの後輩が目撃している。
芹澤も凛も部活は引退済みだが、芹澤は部長、凛は副部長を務めていたからか、たまに顔を出して練習を手伝っているという。
なるほどな。第一体育館の近くで待っていたら、ほかの部員たちに凛を待っていることを囃し立てられるかもしれないから、
「照れんなって」
好きな人と相思相愛なんて、羨ましい。
「そ、それより、龍石も練習終わりか? 遅くまで大変だなぁ」
「会話の切り替え下手くそか」
「うるせぇ、もういいだろ」
「分かったよ、悪かったって」
「龍石はお迎え待ちか?」
「ああ、傘忘れちゃってさ」
「毎日遅くまで大変だな」
「まあ、あたしらは春高があるからなぁ」
「せっかくなら優勝して来いよ」
「お前、簡単に言ってくれるじゃねぇか」
「なんたってプロにスカウトされた龍石様だからな」
「別にそこに行くって決めたわけじゃないんだけどな」
会話が途切れたタイミングでぴしゃっと視界が一瞬明るくなった。数秒経って、猛獣の唸り声のような雷鳴が響く。
「近いとこに落ちたな」
「そうそう、凛が言ってたけど、お前がスカウトされた熊本エンプレスって、凛の姉貴がいるチームだぜ?」
「え!? そうなの?」
「ああ、華山小春って聞いたことないか? 代表選手とかじゃないから、知名度はそんなに高くねぇけど。めちゃくちゃ美人だぜ」
「いや、初耳。ってか、凛ってバレー選手のお姉ちゃんいるのか。そんなこと一度も言わなかったのに」
「……なんか、詳しくは聞いてないけど、あんまり姉とは仲が良くないみたいなんだ」
「へぇ」
凛は一年生の時に同じクラスだった。誰とでも簡単に打ち解けることができる明るい子だけど、そんな凛が実の姉とあまり仲が良くないのは驚きだ。
その時、雨の音に混じって、お腹に響くようなエンジン音が聞こえてきた。ヘッドライトの光が近づいてくる。勇にぃの車だ。やがてシビックは正面の並木道の路肩に停まった。
2
墨を広げたような黒い空から降り注ぐ無数の雨粒。ざぁーっと一定の勢いを保ちつつ、時おり雷の音がごろごろと交じる。
ワイパーは休む暇ももらえずにフロントガラスの上を行ったり来たりと、大忙しだ。
俺は西門から校内に入り、並木道を東門の方までまっすぐ進む。さすがにこの雨の中で練習をしている生徒はいなかったが、校舎の方を見ると明かりのついた窓がちらほらあった。
体育館前の路肩に車を停めた。
眞昼に到着した、と連絡をしようと助手席に置いておいたスマホを取る。その時、体育館の軒下に二人の高校生が立っているのが窓越しに目に入った。
その瞬間、うんざりするほど耳に反響していた雨音が聞こえなくなり、世界は無音になった。
「あれは……」
一人は眞昼だ。
そしてその横にいるのは背の高い男子生徒。いかにも体育会系といった風貌で、二人は笑顔で仲睦まじそうに話をしていた。
こんな夜遅くまで残って、しかも雨の夜に二人きりでいるなんて、まさか……
「おいおいマジかよ」
自分の口から漏れた呟きを聞いて、ようやく世界に音が蘇る。車体が雨に打たれる音が、妙に冷たく感じた。
ついにこの時が来たか。
変な汗が脇の下を伝い、胃がせり上がるような不快感を覚えた。
眞昼はもう子供じゃない。そりゃ部活で忙しいといっても、花も恥じらう女子高生なんだ。いつかはこんな時が来ると思っていたが、心の準備すらしていない状態で、なんだかイケないものを見てしまった気分だ。
あの眞昼に彼氏ができたのか。
喜ぶべきことじゃないか。
あの生意気で、俺を振り回していた眞昼に、彼氏が……
先ほど、店で北高女子バレー部の特集を見た後に感じたのと同じ気持ちが俺を襲う。上手く言葉で言い表すことのできない、不可解な感情だ。
やがて眞昼は俺の車に気づいたようで、軒下の男子生徒に軽く手を振りながら駆け寄ってきた。
ガチャっとドアが開き、眞昼の笑顔が覗いた。
「ありがと、勇にぃ」
「お、おう」
眞昼は素早く助手席に乗り込む。シャワーを浴びてきたのだろう、ふんわりとシャンプーのいい香りがした。
「天気予報見るのすっかり忘れちゃってさ」
「お、おう」
どうしよう。
俺の方から聞くのはなんだか節操がない気がするが、気になる気持ちは抑えきれない。
「あ、そうだ。あの子も乗せてやんなくていいのか?」
「あの子?」
眞昼は怪訝そうな顔をする。
「ほら、あそこの男の子」
俺は軒下に取り残された男子生徒に目を向ける。
「ああ、芹澤? なんで?」
眞昼は首を傾げた。
「なんでって、その……」
なるほど、あくまで彼との関係は隠しておきたいわけか。付き合っていることを公言したくないタイプのカップルは存外多い。俺が高校生の頃も、そういうやつらはちらほらいた。
しかし、裏表のないあの眞昼が俺に隠し事をするなんて、それほど彼のことを想っているのか……
娘を嫁に出す父親の心境とでも言おうか。
小さい頃から知っている妹のような存在の眞昼が、俺の知らない男に好意を寄せ、そしてそれを俺にさえ隠しているなんて。
「いいんだよ、あいつは彼女を待ってるんだから」
「へ?」
彼女、と言ったのか?
いやいや、彼女はお前だろう、と言いかけて俺はその言葉を飲み込む。ジャージ姿の女子高生が第一体育館の方から小走りでやってきて、軒下の男子生徒と合流したのだ。
「あっ、ちょうど来たみたい」
黒いセミロングヘアの女子高生だ。男子生徒が傘を広げると、女子生徒もそこに入り、なんと相合傘を始めてしまった。そして二人はそのまま雨の中に消えていった。
「……」
これはもしや、とんでもない思い違いをしているのでは?
「あの二人って……」
「だから、あの男子は彼女を待ってただけで、偶然あたしもそこで雨宿りしてただけなの」
なんだ、俺の早とちりだったか。
「ほっ」
俺は息をつき、心の底から安堵している自分に気づく。これが父性というやつなのだろうか。
「なに、なんなの勇にぃ」
「え? ああ、いや、あの男の子が眞昼の彼氏かと思っちゃってさ」
「はぁ!?」
眞昼は分かりやすく眉根を寄せた。
「い、いきなりなに言ってんだよ」
「いやだって、こんな夜遅くに、あんなとこで二人きりでいたから、てっきり……」
眞昼は重いため息をついて、
「前も言ったけど、あたしに彼氏なんかいないって」
「そ、そっか」
少し不機嫌そうな声色になってしまった。彼氏がいないことを気にしていたりするのかもしれない。
「眞昼」
「なに?」
「心配しなくても、お前ならすぐに彼氏ぐらいでき――痛たたたた」
ぐにっと眞昼は俺の頬をつねる。これはかなりの地雷のようだ。
「しつこいって」
「悪い悪い」
頬にじんじんした痛みを感じながら俺は車を発進させる。
「飯でも食ってくか?」
「いや、いいよ。ママが家で待ってるから大丈夫」
「そ、そうだ。特集見たぞ。テレビに映るなんてすごいな」
「あー、うん」
「もちろん録画しといたからな」
「は、はぁっ!? なんでだよ」
眞昼は顔を赤くする。
「そりゃそうだろう。眞昼がテレビに映るんだ」
「ったく、勇にぃは」
「未夜と朝華にも明日見せてやろう」
いつもならうちに勉強をしに来る未夜だが、今日は部活の打ち合わせがあるとかで、うちにはやって来なかったのだ。なんでも文化祭で上映するミステリ映画についてだとか。
二人とも、眞昼が地上波デビューしたと知ったら、驚くに違いない。未夜の方は知っているかもしれないが。
「朝華は明日の昼過ぎに来るらしいから、迎えに行ってやらないとな。眞昼は明日練習か?」
「う、うん。午後から」
「じゃあ、夜になったら皆で飯でも食いに行くか」
「そうだね」
そうこう言っているうちに龍石家に到着した。
「着いたぞー」
隣を見ると、眞昼は降りる気配がなかった。
「眞昼?」
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