第161話  リフレッシュ

 1



 もう夕方だけれど、まだ空は青い。まだまだ体感気温は高いし、夏から秋ヘ移り変わるにはもう少しだけかかりそうだ。


「こんにちはー」


 今日も学校帰りに〈ムーンナイトテラス〉に寄った。


「あら、未夜ちゃん、いらっしゃい」


 おばさんはテラス席の掃除をしていた。店の中に入ると、勇にぃがやってくる。


「おう、未夜か」


「勇にぃ、部屋うえ行っていい?」


「いいぞー」


 最近は〈ムーンナイトテラス〉に寄っても、だいたい勇にぃの部屋で過ごすことが多くなっていた。というのも、お店の方だとついついおばさんと話し込んだり、勇にぃと冗談を言い合ったりと、なかなか勉強に集中できないからだ。


 その点、この勇にぃの部屋なら基本的に一人きりで静かだし、ちょっと疲れたら横になれるベッドもあるし、飽きたらゲームもできるし、と非常に快適な環境なのだ。


「あっ、カフェオレ、アイスで」


「おう」


 注文だけ済ませ、私は階段をかけ上がる。


「ほっ」


 部屋に入るなり、私はベッドにダイブする。体が沈み込む感触が心地いい。勇にぃのガツンとくる香りが疲れた体に染み渡るよ。


「はぁ」


 今日は体育でバレーをやったので、全身に疲労が溜まっていた。跳んだり跳ねたり、転んだり、眞昼はよくあんな激しい動きを毎日できるよなぁ。ボールを打つと手首は痛くなっちゃうし、床は硬いから転ぶと痛いし、バレーはビーチバレーで充分だよ。


「あふぅ」


 なんだか眠くなっちゃった。


 枕に頭を乗せ、仰向けになる。


 しばらくベッドの上でごろごろしていると、勇にぃがやってきた。


「カフェオレ持ってきたぞ……ってお前、勉強するんじゃないのか」


「今からするもん」


「はよやれ」


 勇にぃはグラスをテーブルに置く。


「あっ、そうだ。昨日のお土産渡しとくか」


 部屋の隅に置かれた紙袋をガサゴソする勇にぃ。そういえば、昨日朝華と一緒に日本平動物園に行ってきたって言ってたな。朝華が『捕獲しちゃった☆』というメッセージと共に、勇にぃが檻に入っている写真を送ってきて、大笑いしたっけ。


「ほれ、クッキー」


 可愛い動物の絵がプリントされた包装だ。


「ありがと。今開けていい?」


「いいぞ」


 カフェオレのお茶請けにぴったりだ。


「っていうか、いいなーいいなー。私も動物園行きたかったなー」


 動物園なんてもう何年も行ってない。しかも二人きりなんて、まるでデートみたいじゃん。朝華が羨ましい。


「急だったからな。未夜も眞昼も予定があったろ?」


「うん」


 近場ならともかく、静岡市までなんて急に都合がつくわけがない。まさか朝華、それを見越して急に行きたいなんて言い出したんじゃないだろうなぁ。


「まあ、今度お前らも連れてってやるから」


「……はぁ」


 なんだか、最近は受験勉強ばっかりで全然遊びに行けてない気がする。夏休みの時は勉強をしても割と時間が余ったから色んなところへ遊びに行けたけど、学校が始まっちゃうと半日が確定で潰れちゃうんだよねぇ……


 眞昼は毎日部活が遅くまであるし、朝華は神奈川にいるから会えないし、土日ぐらいしか遊べないなんて……


 あぁ、夏休みはよかったなぁ。


 プールにキャンプに湘南旅行に、イベント盛りだくさんだった。


 今までは夏なんて暑いし汗をかくしで大嫌いな季節だったけど、今となってはその夏が恋しい。


「……はぁ」


「なんだ、そんなに動物園行きたかったのか」


「そういうんじゃなくってぇ、なんか最近勇にぃたちと遊べてないなーって」


「一昨日眞昼の誕生会をやったろ」


 勇にぃはやれやれといった調子でため息をつく。


「そういうんじゃないのー」


 私はベッドの上でばたつく。


「勉強ばっかで飽きたのー! 遠出とかじゃなくていいからどこか行きたいー!」


「しょうがねぇな、じゃああとでどこか連れてってやるよ」


「ほんと? わーい」


「たしかに、たまには息抜きとかしねーとな」


「そうそう」


 私はベッドから降りてテーブルに勉強道具を広げた。カフェオレを飲んでカフェインを摂取する。


「美味しー」


 やる気が出てきたぞ。


「おかわりが必要なら自分で降りて来いよ」


「はーい」



 2



 午後七時過ぎ。


 勉強を終えた私は勇にぃと一緒に夕食を食べることにした。車の助手席に乗り込む。


「どこがいい?」


「クッキー食べすぎちゃったから、さっぱりしたのがいいかな」


 勉強の合間に飲み物とお茶請けのお菓子をつまんでいたため、実のところお腹はそんなに空いていない。


「じゃあ、そばでも食いに行くか」


「さんせーい」


 お蕎麦屋さんで私はざるそば、勇にぃは天ぷらそばをそれぞれ注文する。つるつるとした食感とさっぱりした風味が胃に優しい。


「美味しいね」


「だな」


「あっ、そうそう。あれ応募したよ」


 勇にぃと共作した推理小説だが、昨日ようやく推敲作業が終わり、誤字脱字の見直しも終わった。今日〈ムーンナイトテラス〉を訪れる前に郵便局に寄って出してきたのだ。


「どうなるんだろうなぁ、なんか今から緊張してきたぞ」


 勇にぃは水を一口飲み、そわそわし始める。


「そうだねぇ。まあ、みんな褒めてたから、いいとこまでイケる……かなぁ」


 普段は辛口の星奈を始めとするミス研のみんなも、口を揃えて面白いと大絶賛だった。


「未夜、そわそわしすぎだろ」


「勇にぃだってそうじゃん」


 公募に自作を送るなんて初めての経験だ。


「そういえばさぁ、またあれやらない?」


「あれって?」


「推理小説の共作」


 勇にぃは蕎麦をすする手を止める。


「またやろうよ」


「そうだなぁ。今度はどんなのがいいかなぁ」


「やっぱり館物は外せないよ。古臭いとかなんとか言われてもさ」


「だよな」


「勇にぃ、またなんかいいトリック考えて」


「俺がトリックを考えて未夜が執筆をする。なんかクイーンみたいだな」


「そういえばそうだね。勇にぃはクイーンの作品だったらどれが一番好き?」


「そうだなぁ、やっぱベタだけど『Yの悲劇』かなぁ」


「あー」


「未夜は?」


「私? 私は――」


 そして私たちはミステリトークをしながら夕食を楽しんだ。



 3



 食事を終え、俺たちは夜のドライブを楽しむ。


 もういい時間なので、あんまり遠くへは行けないが、未夜も勉強ばかりで疲れているだろうから、気分転換させてやらねば。


 車を富士山の方へ向かわせる。


「どこ行くの?」


「ちょっと軽く富士山までな」


「富士山登るの?」


「んなわけないだろ」


 バイパスから登山道に入り、まっすぐ坂を進む。途中、自販機で飲み物を買い、さらに上へ。


 市街地から離れるにつれて、民家や外灯が少なくなり、闇がどんどん濃くなっていく。


「なんか、すごい暗くなってきたけど」


 未夜は不安そうに身を縮ませる。


「大丈夫だよ、俺がいるんだから」


 富士山スカイラインに入ると、もう頼りは車のヘッドライトだけになる。昼間は鮮やかに茂る木々も、夜の闇の中ではまるで真っ黒な怪物のようだ。


 つづら折れの坂道を進んでいくと、やがて左手に木々が伐採された斜面が現れる。ここは視界を遮る林が切り開かれており、富士宮の街並みを一望できるオススメスポットだ。


 以前、夏休みに朝華とここを訪れ、昼食を摂ったことがある。あの時は日中だったが、今はもう午後八時を回ろうとしている。


 路肩に車を停め、俺たちは外へ出た。


 当然、展望も夜景のそれに変わり、闇の中に無数の輝きがちらばっていた。


「わぁ、綺麗」


「だな」


 あの光の一つ一つに、人の営みがあると考えると、なんだか感慨深いものがある。空は少し曇り気味なので、夜景はいっそう映えて見えるのだ。


 気持ちのいい夜風が吹き、木々を揺らす。


「勇にぃ」


 未夜はそっと身を寄せる。


「リフレッシュできたか?」


「うん、ありがと」


 未夜はそのあとなにか言いたげに俺を見上げたが、目が合うとさっと下を向いた。


 暗いので表情も読めない。


「なんだ?」


「いや……あっ、ここよく来るの?」


「まぁな。仕事終わりの時とかたまにドライブするんだ。ここは前に朝華も連れて来たな」


「ふぅん」


「ま、朝華の時は昼間だったけどな」


「!」


 未夜は夜景に目を転じ、


「ってことは、この夜景を見るのは私が一番乗り?」


「んー、そういうことになるな」


「そっか、えへへ」


 未夜は嬉しそうに笑う。誰が一番かで張り合うなんて、相変わらず子供っぽいやつだ。


 そして俺たちはしばらく夜景を堪能した。


「そろそろ行くか」


「うん」


 残りの缶コーヒーを一息に飲み干し、俺たちは車に戻った。

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