第156話  秋晴れの昼下がり

 1



 九月八日。金曜日。


 夏が終わってから一週間以上が経過し、ようやくほんの少しだけ涼しくなったような気がする。おかげで過ごしやすくなった。


「今日もあっついねぇ……」


 未夜の方はいつもと変わらずだけれど。


 ぐでーっと食堂のテーブルに突っ伏し、首元に弁当を冷やしていた保冷剤を当てている。


「いやいや今日は涼しいだろ」


「どこがー!」


 言いながら未夜は顔を上げた。汗で髪が張り付いている。そんなに暑いかな?


 たしかに気温はまだ高いけど、湿度はだいぶ下がっている。むわっとまとわりつくような嫌な空気ではなくなった。


「早く冬にならないかなぁ」


「そしたら今度は寒いーって騒ぐんだろ?」


「暑いよりマシだもん」


「冬の時は暑いほうがマシ、早く夏にならないかなぁって言うじゃんか」


「それはそれ、これはこれ」


「なんだそりゃ」


 まあ、未夜は元々暑いのも寒いのも苦手だからなぁ。夏は冷房の効いた部屋でだらだらするし、冬は暖房の効いた部屋でだらだらする。


「ちったぁ、運動して体を強くしないと駄目だぞ」


「ちゃんと毎日歩いて学校に来てるもん」


「……それは人として当然のことじゃねぇの?」


 いつものように未夜と昼食を摂ったあたしは、昼練習に参加するため、そのまま第二体育館に向かった。


 その途中、


「眞昼せんぱーい」


 誰かに呼ばれた。


「ん?」


 声のした方へ振り返ると、そこには金色の長い髪をなびかせた美少女、外神夕陽の姿があった。その手には綺麗に包装された小包が。


「夕陽ちゃんか」


「明日、お誕生日ですよね。はい、プレゼントです」


「ああ、ありがとう。悪いね」


「いえいえ、同じ鉄壁聖女の仲ですからね」


 夕陽は腰に手を当て、得意げに胸を反らす。


「あはは……」


 夕陽はどうも『鉄壁聖女』という聞いてる方が気恥ずかしくなるような異名を気に入っている節がある。彼女みたいにヨーロッパの血が入った金髪美少女なら、聖女という言葉もぴったり似合うのだけれど。


 あたしは基本的に根が大雑把だからなぁ。


 聖女なんてキャラじゃないってのに。いったい誰が名づけたんだか。


「ありがとね」


「はい、練習頑張ってください」


 夕陽と別れ、部室に向かう間も色んな人から声をかけられ、プレゼントをもらった。それ以前もプレゼントを大勢の人が渡してくれていた。


「おっとっと」


 プレゼントを抱えながら慎重に歩く。


「おーい、龍石」


 野太い声が聞こえてきた。この暑苦しい声はあいつだな。


「なんだよ、芹澤」


 芹澤日輪あきすけ


 あたしと同じ高校三年生で男子バスケットボール部のキャプテンを務めていた、令和の時代じゃ珍しい暑苦しい男だ。180センチは優に超える長身と筋肉質な体。髪は短く刈り上げ、頭頂部だけ盛り上がったソフトモヒカンスタイルだ。


 見た目はいかついが、根は真面目。バスケに青春を捧げる体育会系でありながら、勉強もそこそこデキる上、誰とでも打ち解けられる人望もある。


 ま、あたしはこいつの悪ガキ時代を知っているから今とのギャップが面白く感じてるけど。


「なんだよはねぇだろ。ほらよ」


 言って芹澤は抱えたプレゼントの上に小さな小袋を乗せる。


「誕プレだよ」


「あー、サンキューな。中身なに?」


「必勝祈願のお守りだ。春高に出るなんてやっぱお前すげーな」


「あたし一人の力じゃないって」


「でもプロからスカウトも来たんだろ?」


「ああ、まあ」


 あたしにスカウトがやってきたことは、もう学校中に知れ渡っている。別に隠していたわけじゃないからいいんだけどさ。おかげで学校中が祝福ムードになってしまっている。


「あんましあたしにべったりだと、彼女さんに怒られるぞ」


「ああ、そうだな……って、あ、あいつはまだ彼女じゃねぇし」


「まだ、ねぇ」


「う、うるせぇな」


 芹澤はあっという間に顔が真っ赤になる。分かりやすい男だ。


「とにかく、春高頑張れよ」


「おう、ありがとな」


 芹澤と別れ、部室に入る。


 抱えたプレゼントをロッカーにしまい、これをどうやって持って帰ろうか思案していたら、部員仲間たちもプレゼントをくれた。


 明日はあたしの誕生日。


 人から祝ってもらえるのは嬉しいけど、高校生にもなって誕生日で大喜びするほど子供じゃない――と思っていた。


 今年は勇にぃがいる。


 勇にぃに誕生日を祝ってもらえる。そう考えると、とても楽しみに感じてしまう。左手首に熱い感覚が宿る。


 着替えていると、スマホに通知が来た。


 ドキッと体が強張る。


 朝華からラインが来ていた。


『今日の夜にそっちに着くね』


 朝華もあたしの誕生日のために来てくれる。まあ、朝華の場合、勇にぃに会えるから、という理由もあるだろうけど。


 あの湘南の夜のことが思い出される。


 あたしが邪魔をしてしまったあの夜のこと。


 心臓がズキっと痛んだ。


 朝華が静岡に帰ってくるということは、勇にぃと朝華が会うってことでもあるわけで……


 また朝華が勇にぃに迫るかもしれない。そう考えると、とても嫌な気持ちになった。そしてそれ以上に、に対して嫌な気持ちになる。友達の勇気の告白の邪魔をして、その結果にほっとしている自分に対して。


 朝華はあたしが非通知の電話をかけて邪魔をしたことを知らない。


 どんな顔をして朝華に会えばいいのだろうか。 



 2



「ふう」


 夕陽は教室に戻った。


 無事に眞昼先輩にプレゼントを渡すことができてよかった。


「ん?」


 スマホがぶるっと震える。ラインのメッセージを受信したようだ。見ると、勇からだった。


『これにしたよ』というメッセージの後に、写真が送られてきた。


 女友達に贈るプレゼントのことだろう。勇はいい大人のくせしてセンスが子供っぽいというか、ズレてるというか、とにかくヤバイ。


 写真を確認してみると、金色のペンダントだった。楕円形のペンダントトップに三日月が彫られている。


「んー」


 なくはない、か。最初のハートのペンダントよりかはだいぶマシだけど、ただの女友達にペンダントを贈るってのはちょっと重い気がするなぁ。月っていうのも、自分の苗字と関連付けてそうでなんだかなぁ。


 まあ、本人がこれで行くと決めたならそれでいいか。もう買っちゃったみたいだし。


 それにしても勇の女友達も九月が誕生日なのか。夕陽のプレゼント選びに連れて行ってあげればよかった。


『まあ、いいんじゃない』とメッセージを送る。物自体はそう悪くはなさそうだ。


 ややあって既読がついた。


『ちなみにこれ開くんだよね』


「?」


 開くって何?


 そして送られてきた写真を目にした夕陽は、戦慄した。ぞわぞわとしたものが背筋を這い、冷や汗が出てきた。


 先ほどの楕円形のペンダントトップが、ぱかっと横に開いているではないか。勇が買ったのは、ペンダントトップが開閉できる、ロケットペンダントだった。


「え? やばっ!!」


「夕陽ちゃん、どうしたの?」


 思わず大きな声を出してしまった。クラスメイトが不思議そうな顔でこちらを見る。


「え、いや、な、なんでもないよ。あはは」


 あ、あの男、ヤバいヤバイとは思ってたけど、ここまでだったか…… 


 こんなものを女の子に贈ったら、「俺の写真をここに入れてくれよな」って言ってるようなもんじゃん。彼女に贈るんだったらまだ分かるけど、まだ友達同士の関係でこれを贈るのはさすがにきつい。


 というか、もし相手が勇に恋愛感情を抱いてなかったら、普通にキモがられちゃうよ。


 でも、もう買っちゃったみたいだし……


「……」


 あの男に恋人ができるようになるのはいつのことやら。


 夕陽は重めのため息をついた。



 3



 土曜日の昼頃。


「勇にぃ」


 休憩中に部屋で支度をしていると、朝華がやってきた。綺麗に整えられた内巻きのセミロング。眼鏡の奥に輝く瞳。黒いワンピースは丈が短く、柔らかそうな太ももが覗いていた。


「お、おう」


「会いたかったです」


 そう言って、朝華は俺に抱き着いてくる。柔らかな二つのものが俺の体に押し付けられる。彼女は甘い香りをまとっており、天にも昇るような心地がした。


 その艶めかしい朝華の体に俺は欲情を掻き立てられかけたので、湘南でおっさん三人の背中を流した地獄の入浴タイムを思い出し、上書きする。


「ほら、離れろって」


「あう」


 俺は努めて平常心を保ちながら、朝華と接する。眞昼の誕生日会に参加するため、朝華は昨日の夜に富士宮に帰って来たそうだ。


「昼飯は食ったか?」


「いいえ、まだです」


「じゃあ、俺の休憩が終わったら下でなんか作ってやるよ」


「ありがとうございます。眞昼ちゃんちには何時ごろに行くんですか?」


「あいつは午後も練習があって、たしか六時ぐらいまでって言ってたな。だからそれぐらいの時間に眞昼を北高まで迎えに行くんだ」


「そうですか」


 朝華はベッドに腰かけ、足を組む。白い生足がさらに露わになり、俺は顔を背ける。


「おま、短すぎだろ」


「だって暑いじゃないですか」


「扇風機でもつけりゃいいだろ」


 俺は扇風機の電源を入れる。そしてそれが悪手であることに気づいた。扇風機の風によって、その正面にいた朝華のワンピースの裾がはだけたのだ。太ももの、が……


「きゃっ」


「あっ、悪い」


 俺はすぐに電源を切る。


「……狙ったんですか?」


「んなわけねぇだろ」


「えっちですね」


「違うからな!」


 このまま二人きりでいると朝華のペースに巻き込まれてしまう。湘南の時のような過ちを犯すわけにはいかない。


「ほら、暑いなら下に行くぞ」


「はい」


 朝華と共に俺は階下へ降りた。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る