第112話  やりたい放題

 1



 朝から〈ムーンナイトテラス〉にやってきた私は、パソコンを広げて執筆作業に取りかかる。今日は未空の友達たちが遊びに来ており、家の中が騒々しいので集中できないのだ。

 全く、どうして子供は朝からあんなにテンションが高いのだろう。私が子供の頃はもう少し落ち着きがあったというのに。


「やれやれ、これだからお子様は」


 陽気なポップスが流れる店内。冷房が効いていて涼しい。開店直後ということもあってお客さんは私だけ。すばらしい環境だ。


「おっ、未夜、勉強か?」


 アイスカフェオレを運んできた勇にぃが画面を覗き込む。


「違うよ、例のミステリ。だいぶ進んだよ。今のところ五万字くらいかな」


「もうそんなに書いたのか。じゃ、そろそろ書き上がるのか?」


「んーっと、今は第二の殺人事件が起きて、探偵が犯人捜しを始めたところ」


「まだ全然序盤じゃんか」


「舞台設定とか、登場人物の因縁とか、事件に直接関係ないこととかも色々書き足したりしてるの」


 全く、勇にぃは書く側の苦労が分かってないんだから。


「へぇ、あのプロットでよくそこまで膨らませられるな」


「そりゃ小説なんだし、肉付けは大事だよ。特に推理小説は『登場人物が記号的過ぎて人間が書けてない』って批評がよくされるからねぇ。プロット通りの行動だけ書いたらそれはただ役を演じるロボットと変わりないもん」


「なるほど、分かったような分からないような」


 勇にぃと私で案を練った推理小説は、なかなかの大長編になりそうだ。この様子だと二十万字近くになりそうな予感。普段は短編ばっかり書いてるから、新鮮で楽しい。この調子だと夏休みの終わり頃には完成するかも。


 それからしばらく執筆に没頭し、気づけばもう正午前だった。お昼休憩にしよう。


「おーい、勇にぃ。集合」


「なんだ?」


 私はナポリタンを注文した。



 *



「それでな、こんなでっかいテントが八万円もしたんだ」


「へぇ」


 勇にぃはがばっと両手を広げてみせる。


「キャンプかぁ。行きたいよねぇ」


 私はナポリタンを口に運びながら、その情景を想像する。


 四人でキャンプ。満天の星空の下で焚き火を囲み、コーヒーを飲みながら眠くなるまで四人でだべって、朝起きたら富士山の裾野から昇る朝日に眠気をかき消される。


 鳥の声が風に乗って木々を渡り歩き、澄んだ空気が身を清めるのだ。


 いい。


「でも勇にぃ、私たち三人と同じテントで寝るって、それはアウトじゃない?」


「い、いや、そのサイズを買うなんて言ってないだろうが。とりあえず、俺用の小さいのと、お前ら三人が寝れるサイズの二つにするのがベターかなって。それと、テントじゃなくて、キャンピングカーとかロッジハウスって選択肢もある。俺は気にしないが、お前らは一応女の子だからな。風呂とかあった方がいいだろ」


「あー、真夏だし、お風呂は入りたいよねぇ。っていうか、一応って余計なんだけど」


「悪い悪い」


「ロッジもいいねぇ」


 屋根裏部屋にみんなで集まって窓の外から星空を眺めるのも趣きがある。


「調べてみたら、割と手頃な値段で借りれるみたいだ」


「ふーん」


 その時、からんころんと呼び鈴の音が鳴った。


「あ、朝華だ」


「おう、朝華」


「こんにちは」


 白いつば広帽子キャペリーヌをかぶり、薄緑色のワンピースといったお嬢様感たっぷりの装いである。右手には閉じた日傘を吊るし、もう片方の手には紙袋を掲げていた。


「中は涼しいですねぇ」


 そう言ってぱたぱたと胸元に風を送る。


「歩いてきたのか?」


「はい、イ〇ンに寄ってきました」


「暑かったろ。何か飲むか?」


「ではメロンフロートを」


 朝華は私の向かいに座り、日傘と紙袋を横の椅子に置いた。


「未夜ちゃん、お勉強?」


「ううん、小説書いてるの」


「……勉強しなくていいの?」


「勉強もちゃんとやってるよ」


 推理小説の共同制作中であることを説明する。


「へぇ、いいなぁ。まるで二人の子供みたい」


 朝華はぽつりととんでもないことを言った。思わずカフェオレを噴き出しかける。


「ちょちょちょ、子供って、変なこと言わないでよ」


「変な意味じゃないよ。勇にぃが考えて未夜ちゃんが形にするなんて、二人の子供みたいなものじゃない。私も勇にぃと何か作りたいな」


「今メロンフロート作ってるから手伝ってくれば?」


「もう、そういうのじゃないの」


 朝華はぷくっと頬を膨らませる。


「ところでその紙袋って何?」


 さっきから気になっていた。イ〇ンに寄った帰りらしいから、そこで買ったのだろう。


「ああ、これ?」


 朝華は紙袋をテーブルの上に置く。けっこう大きいな。


「ほれ、メロンフロートお待ち。なんかでかいの買ったんだな」


「あっ、勇にぃも見ますか?」


 朝華が取り出したのは、高級そうな箱だった。


「なんだそりゃ……って、朝華それ!」


 勇にぃが引きつった顔を見せた。中を検めると、二つのマグカップが収められていた。


「わぁ、可愛いじゃん」


 一つは赤、もう一つは青のハートが目を引く木製のマグカップ。


「お、お前、これ……マジで買ったのか」


「うふふ、昨日、こっそり注文しておいたんです。ほら、加工も一日でやってくれたんですよ」


 加工?


 それに勇にぃのおかしな反応も気になる。


 ただのマグカップに、どうしてそこまで過敏な反応を……


「えー、なになに?」


 私はマグカップに視線を戻す。


「ん?」


 よく見ると、アルファベットが彫られているのに気づいた。


 赤いハートの下には『A S A K A』。


 青いハートの下には『Y Ū』。


「これってもしかして……」


 ペアカップ……?



 2



「勇にぃ!」


「違うんだ。俺はやめとこうって言ったんだ」


「説明を要求する!」


「勇にぃ、これで夜空の下でコーヒーが飲めますよ」


 朝華が満面の笑みを浮かべる。


「朝華、どういうことなの」


「昨日ね、アウトドアショップに行って、テントとか小物とかいろいろ見て回ってたの。それでお店の人が私たちのことをカップルだって間違えちゃって、名前を彫ってペアカップにできますよって言うから」


「だからって本当に彫る?」


 こんなんじゃまるで恋人、いや新婚さんみたいじゃない。


「つい、記念に」


 ……このおっぱい眼鏡、ようやく本性を現したか。


 前々から勇にぃに接するときの態度がおかしいと思っていた。子供の時のように勇にぃにべったりくっついたり、やたらと手を繋ぎたがったり……

 勇にぃに十年ぶりに会えた喜びからちょっとテンションが高くなってるだけだと思っていたが、まさか勇にぃを目で見ていたのか?


 挙句にペアのマグカップを作って外堀から埋めようとするなんて、この淫乱が。


「勇にぃも欲しがってたじゃないですか」


「勇にぃ?」


「いや、俺は木のマグカップが欲しかっただけで、名前入りのは別に……つーか、まだキャンプに行くかも決まってないから、買うのは保留にしたんだって」


「えへ、買っちゃった」


「買っちゃった、じゃない。っていうかスルーしてたけど、なに? 昨日二人で出かけたの?」


「まあな」


「未夜ちゃんはオープンキャンパスで眞昼ちゃんは合宿だったし、二人きりで色々遊んできたの。富士山をドライブしたり、イ〇ンでショッピングしたり、あっ、そうそう犬み――むぐむぐ」


 勇にぃが朝華の口を押さえる。


「馬鹿、それは駄目だ」


「むむー」


 なんだ?


 今なんか犬なんとかって聞こえたが。


 というかこのおっぱい眼鏡、さっきから黙って聞いてりゃあイチャイチャと惚気おって。


 子供の頃から勇にぃに甘えたがりで物理的に距離感が近かったが、大人の体に成長してなおその攻略法を貫くとは……

 潔いというか、周りの目を一切気にしないその姿勢は敬服に値するけれど。


 というか、私の知ってる朝華はもっと理知的な大人女子だったのに、勇にぃの前だとなんでこんなに子供っぽくなるの?


「ぷはっ、もう勇にぃも未夜ちゃんも、なにか変な勘違いしてませんか?」


 朝華は小さく息をついた。


「ああ?」


「ほら」


 朝華は紙袋に手を入れる。


「あっ」


「おっ」


 そうして彼女が取り出したのは同じような箱である。蓋を開けると、そこには二つのマグカップが。


「こっちは未夜ちゃんと眞昼ちゃんの分です」


 黄色い星が描かれたカップには『MIYA』、白い太陽が描かれたカップには『MAHIRU』の文字があった。


「わぁ、すごーい」


「あんだよ、みんなの分あんのか」


「もう、早とちりしちゃって困ります」


 眉根を寄せ、朝華は怒った顔を作ってみせる。


「悪かったよ、朝華」


「いいんです。どう、未夜ちゃん?」


「ありがとう朝華。ごめん、私、変な勘違いしちゃってた」


 私たち四人の名前入りのお揃いのマグカップなんて、なんて素敵なのだろうか。


「分かってくれればいいの」


「朝華、四人分も作ってお金大丈夫か? 俺が立て替えとくよ」


「大丈夫です。気持ちだけいただきます。それより、もうこれでキャンプに行くほかありませんよ?」


「そうだよ勇にぃ、キャンプ行きたいー!」


「分かったって。ただ、眞昼にも聞かないとな」


「今日は合宿明けでへとへとだから、ずっと寝て過ごすって言ってたよ」


「あとでラインしとくか」


「そうそう、朝華はテントとロッジ、どっちがいい?」


 私が聞く。


「うーん、どちらかというと、テントかなぁ」


「汗いっぱいかくだろうし、お風呂入りたくない?」


「テントの方がキャンプ感があるじゃない」


「それはそうだけど」


 でも勇にぃと一緒なのに汗臭いままで接するのはなぁ。


「まあ、その辺は眞昼にも相談して決めようぜ」


「そうだね」


「分かりました」


 うふふ、キャンプかぁ。


 楽しみだなぁ。



 3



「ううん」


 くたくたで動く元気すらない。


 さすがに真夏の地獄合宿三日間はきつすぎるって。


 お腹もすいたけどもう少しベッドの上でまどろんでいたいな。


 もうお昼過ぎか。


 今日はずっとベッドの上でごろごろしていよう。たまにはこんな日があってもいいでしょ。


 その時、ラインの通知音が鳴った。


 誰だろう。


 スマホを確認するのも億劫だな。


 しぶしぶスマホに手を伸ばす。


「あっ、勇にぃ」


 あたしは飛び起き、ラインを起動した。



『合宿お疲れ様。起きてるか?』


『起きてるよ』


『突然だが、キャンプに行きたくないか?』


 いきなり何の話だ?


『キャンプ?』


『そう』



 どうやらみんなでキャンプに行こうという話になったようだ。四人の名前入りのマグカップまで用意したらしい。


 せっかちなんだから。


 勇にぃがその写真を送ってきた。


「ん?」


 それぞれマークがあり、その下に名前がローマ字で彫られている。


 未夜は星。あたしは太陽。そして勇にぃと朝華はハート。


「なにこれ、カップルみたいじゃん」


 このカップは朝華が注文したらしい。ハートの割り当てが勇にぃと朝華なのは偶然だろうけど。


 ……まさかね。



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