第98話 共同作業
1
それは勇にぃの部屋に上がった時のこと。今日は眞昼は一日中部活で、朝華も大事な用事があるというので私一人だけである。
「ほれ」
「ありがと」
勇にぃがかき氷を作って持ってきてくれた。練乳たっぷりのイチゴミルクだ。勇にぃの方は抹茶ミルク。
「ああー、キーンってなる」
「なるね」
アイスやかき氷を食べると頭がキーンと痛くなる現象には、アイスクリーム頭痛という正式な医学名称があるらしい。
冷たいものを食べて体が冷やされると、体温維持のために血管が拡がって頭痛が起きるそうだ。
「そっちも美味しそうだね」
「ん? 食うか?」
「へ?」
勇にぃは一口分のかき氷が乗ったスプーンをこちらに向ける。
「ほれ」
「いいの?」と言いつつ、私は少しためらう。
ちょっとちょっと、それって間接キスじゃん。
子供の頃はそういうのは気にしなかったけど……っていうか、勇にぃは気にしないの?
そろりと勇にぃの顔を見ると、いつも通り、いたって普通のぼんやりとした表情である。なんだか私だけ気にしてるみたいで恥ずかしい。
この状況で食べないのも変なので、私はそそくさとスプーンに口を近づけた。
「あむ」
「美味いか?」
「……うん、美味しい」
味など分からない。
冷たいはずなのに、舌がじんじんと熱く感じる。
でも、とっても美味しい。
喉元を過ぎても、口の中が熱い。それどころか、体全体が火照っている。
「お前のも寄こせ」
そう言って勇にぃは私のかき氷を掘削する。
「あっ、練乳がいっぱいのとこ取った!」
「ふはははは」
かき氷を食べ終え、テレビをだらだら見たり、雑談をした。
「最近のおすすめは『ジェリーフィッシュは凍らない』だな」
「勇にぃ、それけっこう前のやつだよ?」
「そうなのか?」
「たしか、二〇一六年くらいだったかな。読まなかったんだ?」
「いやぁ、東京にいた頃はまともに読書なんかできなかったからなぁ」
話題はだんだん二人の共通の趣味である推理小説に転がり、いつの間にか二人して読書タイムに突入した。
「あれ? これ何?」
勇にぃのミステリコレクションから一冊借りようと思い、棚から抜き出したのだが、奥に挟まっていたものも一緒に出てきた。
一冊のノートである。
「ノート?」
なんでこんなものが本棚の奥に?
「ん? あっ、未夜、ちょっと待て」
この勇にぃの慌てよう、さてはえっちなやつか?
「何これ?」
ぱらぱらとめくってみると、そこには人名や人物相関図、見取り図にトリックのネタなどが書き込まれていた。
「見てしまったか……」
「勇にぃ、これって創作ノート?」
勇にぃは照れ臭そうに視線を逸らす。顔が耳まで赤くなっているのが可愛い。
「あ、ああ」
「へぇ」
よく見ると、タイトルごとに区切ってある。なになに、『人間パズル』、『処刑島の殺人』、『人魚村の悲劇 ~いにしえの約束と二人の巫女』……
「もういいだろ、返せ」
「あう」
ノートを取り上げられる。
「勇にぃ、推理小説書いてたんだ」
推理小説フリークを長年やっていると、だんだんと自分でも推理小説を書いてみたくなるものだ。
高校生になってミステリ研究会に所属してからは、私も自作を会誌に載せたりしている。
「それがな、こう、設定とか、トリックとかを考えるとこまではいつも上手くいくんだが……、それを物語として昇華しようとなると、どうもな」
「ああ、あるある。私も最初はそうだったよ」
見切り発車で書き始めて、没になった作品は山のようにある。特に、推理小説は構成が最も重要になるので、プロットは念入りに作らなくてはいけないのだ。
「最初は? 未夜も書くのか? あ、そっか。お前、ミス研だったもんな」
「最近は勉強が忙しくて、あんまりだけどね。けっこう書いたよ」
「ふーん」
勇にぃは腕組みをして唸る。
そして――
「ちょっと読ませてくれよ」
2
車で私の家まで移動する。
「お邪魔しまーす」
「ん、勇さんじゃん」
未空がアイスを食べながら出迎える。
「おお、未空ちゃん」
「遊びに来たんならさ、あとで公園行こうよ」
「あとでな」
あれ?
いつの間に二人が仲良くなってるような……
まあいい。とにかく勇にぃを部屋にあげる。
新居の方の部屋にあげるのは、そういえば今回が初めてだ。
自分の部屋に、勇にぃと二人きり。
勇にぃの部屋の時とはまた違った高揚感とドキドキが私の心を揺さぶる。
「えと、そこら辺に座って」
勇にぃは物珍しそうに室内を見回していた。
恥ずかしい。
もうちょっと片づけとけばよかった。
「まさか未夜の書いたミステリを読める日が来るなんてな。で、どれだ?」
「あ、うん」
私は棚から会誌をいくつか手に取る。
プリントしたものを紐で閉じただけの安っぽい出来である。
「私のは……」
そうして、勇にぃに私の書いた推理小説を見せる。
会誌に載せてるのは短編ばかりなので、ペースよくページがめくられる。
「どう?」
自分で書いたものを目の前で読まれるのは、なんだかこそばゆい。
私が生み出した私の世界を勇にぃに読まれている。私の内面を紐解かれていくようで変な気分。
「……」
「……」
「……」
「……」
「面白い!」
「そう?」
「ああ、ロジックの切れ味が鋭いし、トリックを見破ることで構造が反転する仕掛けもいい」
「えへへ」
「なにより、読むのが苦じゃない文章を書けるのがすごい。読みにくい文章ってだけで読む気が失せるもんだが、未夜の文は逆にどんどん読みたくなるような『読ませる』文だ」
褒められちゃった。
自分で書いた小説は我が子のようなものだから、自分の子供を褒められたような気分だ。
「ほかのも読ませろ」
そうして勇にぃはどんどん読み進めていく。途中からは問題編だけを読んでもらい、犯人を推理する犯人当てゲームをやった。
「いやぁ、面白かった。しかしあれだな、こうなってくると、自分でも書いてみたくなるな」
「いいじゃん、勇にぃも書いてみなよ」
勇にぃが書いた推理小説、私も読んでみたい。
「うーん、でもなぁ今まで何度も書こうとして続かなかったから……」
「じゃあさ、一緒に作ろうよ」
「一緒に?」
「うん、二人で推理小説を作ろうよ」
「二人で……なるほど、エラリー・クイーンみたいだな」
私は創作ノートをテーブルに広げる。
「勇にぃはどんなのが好き?」
「そうだなぁ、やっぱり俺は館物かな。怪しげな館に住まう謎の一族、とか」
「あー、定番だねぇ」
「トリックのアイデアはたくさんあるぞ」
「トリックはねぇ、それを使うに至る過程と必然性が重要だから、館物なら大掛かりなトリックよりロジック重視の方がいいかな――」
二人で意見を出し合い、煮詰めていく。
「やっぱさ、探偵はダンディな中年紳士がいいよな」
「え? いやいや本格ミステリの探偵はアラサーの偏屈者って相場が決まってるから……っていうか、登場人物云々は後回しだって」
「薄幸の美少女ヒロインは絶対に入れたい」
「ふーん、そういうのがタイプなんだ」
それはまるで二人の精神が交じり合い、心が繋がるような時間だった。
「勇にぃ、このトリックはちょっと奇抜すぎかな」
「そうか?」
「世界観に合わないっていうか、浮いちゃってるよ」
私と勇にぃが考え、生み出す世界。
それは二人の子供のような存在と言っても――
*
「勇さん、そろそろバスケしに行こうよ……ん?」
おねぇの部屋を覗く。
二人は壁にもたれて、寄り添うようにして眠っていた。
テーブルの上にはノートやらメモやらが散乱している。勉強でも見てもらってたのかな。
おねぇは気持ちよさそうに勇さんの肩に頭を預けている。
「バスケしたかったのに。あとででいいか」
しょうがない、もう少し寝かせておいてあげよう。
まだ午前十一時。時間はたっぷりとある。
二人を起こさないように、私は静かにドアを閉めた。
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