第82話 クソガキは探したい
1
「うーん、ないなぁ」
眞昼がバットで草むらをかき分けながら言った。
「本当にこの辺なのかな」
朝華は背伸びをして周囲を見回す。
「馬鹿にぃが調子に乗るからこんなことになるんだ」
未夜がジトっと俺を見上げる。
「ぐっ……」
「ちゃんと探すんだ」
返す言葉もない。
「分かってるよ、俺だってちゃんと探してるよ。しっかし、たしかにこの辺のはずなんだけどなぁ」
俺は足元の草を足で寄せてみる。
しかし、湿った地面がむき出しになるばかりで、目当てのものは見つからなかった。
北西部から街の中心にかけて流れる
その河川敷に俺たちはいた。
「あ、未夜。あんまり川に近づくなよ」
未夜は護岸ブロックの傾斜の途中にいた。この時期、流れは緩やかで水量も少ないが、子供の体なんか簡単に流されてしまうだろう。
「うーん、なかった」
「落ちたら危ねぇから、ほれ」
未夜の手を引っ張って連れ戻す。
「川の中には入ってないと思うぞ。あたし、草むらの中に落ちてくの見たもん」
「川に落ちたらもう流れちゃってるよね」
朝華が言う。
「うーむ、本気を出しすぎたか」
「出しすぎた、じゃない!」
眞昼がバットで俺の尻をぺしぺし叩く。子供用のプラスチック製なので大して痛くはない。
肌寒い風が川面を渡り、川岸に鬱蒼と茂る草木を揺らす。
せっかく温まった体がすっかり冷えてしまった。
あまり暗くならないうちに見つけなくては。
2
数十分前のこと。
「ほいよ」
俺は下手投げでゴムボールを投げる。緩やかな曲線を描きながら、ボールは壁に向かって飛んでいく。
「えい」
バットを構えた未夜が大振りを見せる。
「ストライク」
壁に跳ね返ったボールはぽんぽんと地面を転がる。
「はっはっは、かすってすらないぞ」
「くぅ」
「もっとボールをよく見て、手で当てに行こうとすんな。腰できゅっと振るんだ」
裏手に川が流れる河川敷グラウンド。
その一角に俺たちはいた。
今日は野球をやりたいというので、俺が子供の頃に使っていたゴムボールやバットを貸してやることにした。
俺は高校ではバスケ部だったが、実は中学時代は野球部に所属していた。小三の時から地域の少年野球に参加し、そこそこの実力はあったと自負している。
高校で野球を選ばなかったのには大きな理由がある。
というのも、高校野球は三年間強制坊主になるからだ。
中学野球は夏の大会だけに坊主にすればいいのだが、高校となるとそうはいかないらしい。
華の高校生活を三年間坊主頭で過ごす勇気が俺にはなかったのだ。
「おりゃ」
バットが空を切る。
「ストライク、三振だ」
「ちくしょー」
「未夜、今度はあたしだ。仇は討ってやる」
眞昼がバットを構える。未夜よりは様になっているが、まだまだ腰が高いな。
「ほれ」
ゆるくボールを投げる。
「えい」
ぽてん、と間の抜けた音が鳴る。
「すごい、当たったよ」
朝華がきゃっきゃと飛び跳ねる。
ピッチャー返しのゴロだが、一発目から当ててくるとは。
しかもちゃんと腰を回して体で振っている。
さすが眞昼は運動神経がいいだけのことはある。
「次はホームランだ」
「させるか」
さっきよりほんのちょっぴりだけ力を込める。
「えいっ」
今度は真芯で捉えやがった。
ボールが打ち上がる。
「おお」
が、所詮は小一女児の腕力。
距離的にはセカンドベース辺りのフライだ。
「すごい眞昼、ホームランだ」
「すごいすごい」
「はっはっは、あたしを誰だと思ってる」
「よーし、じゃあ次は朝華だ」
未夜が朝華の手を引く。
「上手くできるかな。私、野球やったことないんだよね」
「大丈夫だ、あたしだって初めてだったんだから」
朝華は眞昼からバットを受け取る。
フリルのついたワンピースを着た女児にバットという異色の取り合わせだ。
「左手を下にして、で、両手をくっつける」
「こう?」
「そうそう、そんで、ぐいって振るんだ」
眞昼のコーチを受けながら、朝華はバットを握る。
「もういいか?」
「はい」
「行くぞ」
未夜の時よりもさらに力を抜いて投げる。少しだけ内角寄りのコースになった。
「ひゃっ」
朝華は振るどころかのけ反ってしまった。
「ゆ、勇にぃ、狙わないでください」
「悪い悪い。でも当たっても痛くないから安心しろって」
「うぅ」
「朝華、思いっきり振ってやれ」
「う、うん」
再び山なりのスローボールを投げる。
「やっ」
空振り。
「えい」
空振り。
「たぁ」
空振り。
「朝華も三振だな」
「うー、難しいです」
「なー、勇にぃ、あたしもピッチャーやりたい」
眞昼がこっちに駆け寄ってきた。
「ピッチャーって結構難しいぞ?」
「やりたい」
しょうがねぇな。
簡単に投げ方を教えてやるか。
「いいか、力任せに手だけで投げるんじゃなくて、こうやって体をひねって、前に出した足を中心に引き戻す感じで。この時に、手が一番最後にくるように投げるんだ」
「こう?」
「……おおう」
球速はしょぼいが、なかなかのコントロールだ。
なんてやつだ。
「上手いなお前」
「へへ。じゃあ、勇にぃがバッターやってよ」
*
「行くぞー」
「おう」
バッティングなんて久しぶりだ。
「眞昼、頑張れー。勇にぃなんかデッドボールにしてやれ」
それは俺の勝ちだろうが。
ま、俺は子供相手に本気を出すような大人げない男ではない。
最初はわざと空振りをしてやるか。
ボールの上を振る。
「よし」
「ち、ちくしょー」
二球目はワンテンポ遅れて空振る。
「勇にぃってほんとザコいな」
眞昼が勝ち誇った顔を見せ、未夜もガヤを飛ばす。
「ザコザコー」
「勇にぃ、頑張ってください」
「……」
そろそろいいか。
ツーストライクを取って眞昼も満足したろう。さすがに子供相手に三振をしては俺の沽券に関わるし、たまには俺の凄さを見せてやらねば。
大人の力を分からせてやる。
「これで終わりだ」
眞昼が三球目を放る。
「ふん」
バットを振り抜く。
気持ちのいい音がした。
「あっ」
「え?」
「ああ」
……誤算は、思いのほかゴムボールの飛びがいいことだった。
バットもプラスチック製だし、せいぜい外野に落ちる程度の当たりだと思っていた。
しかし、打球はぐんぐんと伸び、川とグラウンドに挟まれた草むらへ吸い込まれていった。
3
「こっちにもねぇな」
まさかあんなに飛ぶとは思っていなかった。
「探す場所変えてみよう」
未夜が橋の下の辺りに移動し、眞昼と朝華もついていく。
あんな方にはないと思うが……
「川には絶対入るなよ」
「分かってる」
俺は反対方向に捜索範囲を広げた。
しかしゴミが多いな。
スナック菓子の袋にペットボトル、よく分からない塊のようなものもある。ゴミぐらい自分ちで捨てやがれ。
そうして捜索を再開すること数分、俺の視界にあるものが映り込んだ。
「……あっ」
エロ本だ。
それはそうか。
川といえば、廃家、雑木林に並ぶエロ本の捨て場だ。
しかし、場所が場所だけに全体が湿ってしまっており、ページをめくることすら難しい状態だ。
なんてもったいない……
「おーい、勇にぃ、あったー?」
未夜が叫ぶ。
「いや、ない……はっ!」
「こっちにもなかったー」
「そ、そうか」
まずい、あいつらがこっちに戻ってくれば、これを見つけてしまう恐れがある。
子供――特に女の子――にこんなものは見せられない。
あいつらが戻ってくる前に、目に触れない場所に移動させなくては。
「じゃ、じゃあ、もうちょっと向こうを探してくれー」
「分かったー」
俺は周囲に落ちているエロ本を重ねて持つと、どこか隠せる場所がないか辺りを見回した。
もっと下の方へ移動させるか?
それとも草で覆い隠すか……
しかしそれだとクソガキ共が草をかき分けた時に見つかる恐れがある。
ふやけたエロ本を抱えながら、俺はどうするべきか悩む。
その時だった。
「有月くん?」
聞きなれた声がした。
見上げると、ランニングウェア姿の光がいた。
「し、下村? 何やってんだ」
「何って、ランニング中だよ。有月くんこそ何して――え?」
光の視線が俺の手元に移る。
「……それって」
背筋に悪寒が走った。
「あっ、いや、違うんだ」
光の目から生気が失われる。
「男の子だもんね、そういうの好きなのはしょうがないと思うよ。でも川に捨てるなんて……」
吐き捨てるようにそう言うと、光はその場から逃げるように走り出す。
「違うんだ、誤解なんだって――」
最悪だ。
俺はエロ本を草むらの中に隠し、光を追いかける。
「い、いやああ」
「誤解なんだ、話を聞いてくれー」
*
一から状況を説明し、なんとか誤解は解けた。
ちなみにボールは未夜が見つけた。
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