第63話  蚊帳の外

 1



 ま、まずい。


 早く抜け出さなくては。


 俺の顔を包むあったかいふかふか。


 すぅすうと寝息を立て、眞昼は俺の頭を抱きかかえながら眠っている。


 現役女子高生と添い寝なんて社会的にアウトな行為だ。


 いや、この体勢は添い寝というレベルを遥かに超えてしまっている。


 見る者が見れば通報されてもおかしくない。


 いったいどうしてこうなってしまったのか。


 たしか、そう、眞昼が部活が休みだと言って遊びにきたことは憶えているんだが……



 2



 時刻は少し遡り、有月が目覚めた午前八時過ぎのこと。





「う、うぅ」


 頭の奥に鈍い痛みが広がり、のどの渇きが治まらない。少し動くと胃の中のものが逆流してきそうになる。


「お、おえ」


 いわゆる二日酔いである。


 父の遺伝もあってか、俺はあまり酒が強い方ではない。ビールは350ml缶一本で十分酔っぱらえる安上がりな男である。


 自分の限界を分かっている分、翌朝まで引きずるような飲み方はほとんどしないのだが、昨日は相手が悪かった。


 母、有月さやかはうわばみである。

 

 母は休日の前に晩酌をするのだが、それに付き合った結果がこれだ。母が酒好きだということは子供の頃から知っていたのだが、十年東京にいたので、本格的に一緒に飲んだのは昨夜が初めてだった。


 ビールに始まり、水割り、日本酒、とハイペースで飲み進めるも、母はけろっとしていて、まるで水でも飲んでいるかのようだった。


 そんな母を見て、明日は休みだからとついつい俺もピッチが上がってしまったのである。


「や、やばいぞこれは」


 俺はベッドからなんとか起き上がると、水分を求めて階下のキッチンへ向かった。


 冷水を三杯胃に流し込むも、悪心はいっこうに治まらない。むしろ体が冷えて余計に気分が悪くなった気がする。

 そうだ、こういう時は熱いシャワーを浴びるとよい、と誰かに聞いたことがある。


 熱いシャワーを浴び、その後で今度は温かいお茶を飲んでみた。


 さっきよりはマシになったが、あくまでマシになった程度だ。頭を駆け巡る痛みは全く変わらない。


「うああ」


 その時、インターホンが鳴った。


 よろよろと玄関へ。


「……はい」


「よっ」


「おう、眞昼か」


 眞昼は白いTシャツに黒いミニスカートといった涼しげな服装だった。左手にはいつものリストバンドがはめられ、足元は白いスニーカー。全体的にモノクロなコーディネートである。


 眞昼を部屋に上げる。聞くと、部活は休みのようだ。


「いやー、久々のオフだよ。もうずっと練習練習でへとへと」


「頑張ってるな、眞昼」


「昨日も八時までしごかれてさぁ……どうした、勇にぃ、顔色悪いぞ」


「いや、二日酔いでな」


「大丈夫?」


 心配そうに眞昼は顔を覗き込む。


「正直、ちょっとやばいかも」


 俺はベッドに寝転がった。


「うえぇ」


「勇にぃって、お酒好きなの?」


「好きといえば、好きだけど、そんなに強くないんだ……うぅ」


「……大丈夫? 水持ってきてやろうか?」


「い、いや、水はもう、いい」


 眞昼はベッドの縁に膝立ちになり、俺のお腹を撫でる。


 眞昼の手にさわさわと撫でられるのは気持ちがいいが、なんだか恥ずかしい。


「そうだ、二日酔いの時はポカリが効くってママが言ってたから、買ってきてやるよ」


「いや、悪いって」


「いいからいいから、ちょっと待ってろよ」


 そう言って眞昼は駆け足で部屋を出ていった。



 3



 そうだ、そこまでは憶えてる。


 眞昼がポカリを買いに行ってくれて……でも帰ってきた場面は記憶にないから、その間に寝てしまったのだろう。


 しかし、どうして眞昼まで眠っているんだ?


 あ、部活が忙しいとか言ってたな。きっと眞昼も疲れているんだろう。


 それにしても普通、男がすでに寝てるベッドで一緒に寝るか?


 どうなってんだこいつの貞操観念は。


 服装もやけに派手な時があるし、心配になるわ!



 まあ、それはそれとして、二度寝したおかげで気分もだいぶよくなったし、早く抜け出さなくては。


 頭を左腕で抱えられ、右腕で背中の辺りを抱きしめられている。俺の右腕は眞昼の腰の下にあり、足が絡み合っていてほどけない。


「むぐ……」


 しかもこいつ無駄に力が強い。


 がっちりとホールドされ、寝技をくらっているような気さえする。


 無理に抜け出そうとすると眞昼の体の変なところを触ってしまいそうで怖い。


 現に、顔は眞昼の胸に埋もれてしまっている。


「くっ……」


 全身で眞昼の体温と匂いを感じ、これはいろんな意味でヤバイと本能が訴える。


 加えてむにゅむにゅとした感覚が俺の全身を包む。


 俺だって男だ。


 だからこそ、こういうのはヤバいんだって。


「お、おい、眞昼、起きろ」


 声をかけるも、眞昼の反応は薄い。


「うーん」


「ま、眞昼、起きろ、起きてくれ」


 ダメだ。熟睡してやがる。


 眞昼が自然に起きるのを待つしかないのか。


 花のようないい香りが俺の理性を揺さぶる。


 眞昼と触れている部分が燃えるように熱い。


 頭が沸騰しそうだ。


 こんなの、こんなの……
















「勇にぃ?」


 未夜の声がした。


 恐る恐る顔をずらし、戸口の方へ視線をやると、冷たい目をした未夜が立っていた。


 なんというバッドタイミングで遊びにきたんだ。


「誤解なんだ」


「な、な」


「そういう意味じゃないんだ、決して」


「なな、な」


「俺はただ……」


「……な、な、なな、何やってんのー!」


「み、未夜、違うんだこれは」


「なんだぁ、うるさいな」


 眞昼が起きた。


「おう、未夜」


「眞昼、どういうことよ?」


「いや、最近疲れててつい寝ちゃって。あっ、勇にぃ、ポカリ飲んだか?」


「この体勢で飲めるわけないだろ」


「と、と、とにかく離れなさい!」


 未夜に強引に引き剥がされ、安心したような、もったいないような、複雑な心境になった。



 4



 ベッドに横になりながら、朝華は子供の頃よく見ていたアニメの主題歌を聴いていた。


 最近では、もう新しい歌手や新しい曲にハマることはほとんどない。

 もっぱら、懐かしい曲ばかりを聴いている。


 曲が終わりに近づいたので、バックのボタンを押した。


 再びイントロが流れ出し、曲が頭から繰り返される。


 何度も何度も、何度も何度も……



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る