第51話  期待と不安

 1



「うおおおお、テスト終わったー」


 あたしは大きく伸びをする。

 胸の部分にポロシャツの生地が引っ張られ、お腹がちらっとさらけ出された……なんてことはなく、きっちり黒のインナーシャツをスカートまでインしているので安心だ。


 それでも、こっちの方をチラ見する男子共がいて腹立たしいが。


「まっひー、最後の問題何番にしたー?」


 前の席の友達がこちらに椅子ごと体を向ける。


「四でしょ」


「あー、やっぱりそうだよね」


 本日、六月一日の正午をもって三日間続いた中間テストは終了となる。同時に今日から衣替えが始まり、夏服の着用が許可されて男女共通のポロシャツか、半袖の開襟シャツを選べる。


 さらには今日から部活も解禁となるため、朝から楽しみだった。


 二週間近く勉強漬けの生活を送っていたため、体がすっかりなまってしまった。思いきり体を動かして溜まりに溜まったものを発散しなければ。

 ま、勇にぃの近くで勉強できたから、それはそれでよかったのだけれど。

 そういや、これで勇にぃの部屋も上がれるようになるし、いいことづくめじゃん。


「まっひー、なんでにやけてんの? そんなにテスト終わったの嬉しいんだね」


「え? ああ、まあね。はは」


 それにしてもあの鈍感男、二週間ほぼ毎日未夜と顔を合わせていたのに気づく気配は微塵もなかった。


 いけないんだろう。


 未夜の大きく変わったところといえば性格くらいのものだろう。

 見た目はそんなに変わっていないし、子供の頃の面影もある。ただ、これはずっと傍にいたから見れば、の話。


 勇にぃにしてみれば、あたしらの見た目は十年分一気に時間が飛んだようなものだ。


 でもなぁ、気づいたんだよなぁ。


「うーむ」


「何? どっか危ういとこあった?」


「いや、そういうんじゃない」


「眞昼」


「お、まっひー。が来たよ」


 見ると、開襟シャツ姿の未夜が教室の入り口で手招きしていた。


「彼女じゃねぇっつーの」


「いつも一緒にいるじゃん。ラブラブぅ」


「ったく」


 彼女というよりは姉妹なんだけどなぁ。



「おい、見ろよ春山さんだ」

「今日も可愛いなぁ」

「鉄壁聖女の二人が揃ったぞ」

「なんて尊いんだ」

「二人とも肌が白くて美しい」



 ガキみたいな男子の視線がむかつく。


「どしたー」


「この後、部活ある?」


「うん。お昼食べて、一時から。未夜はもう帰る?」


「ミス研も今日から活動再開だから。まあ活動といっても小説読んだりだべったりするだけなんだけど」


「じゃあご飯だけ一緒に食ってこうぜ」


「うん」



 2



 ミス研の部室には、すでに星奈がいた。


「未夜、遅いじゃない」


「ごめんごめん――って何見てるの」


 星奈は文化祭用に撮った映画のお蔵入りの方を観ていたようだ。すでに終盤、ギャル姿の私が殺人鬼としての本性を現すシーンだ。


『うおおおおおらアアアアアァ!!』


 画面の中の私が絶叫する。


「ぶっちゃけやばいわよ、これ。何があんたをここまで変えたのよ」


「恥ずかしいから」


 主演の犯人役を下ろされてしまった私だが、結局別の役――探偵の助手――と交代で映画に出させられた。


「はぁ、観れば観るほどもったいないわ。あんた、被害者のところまではけっこうはまり役だったのに。どうして殺人鬼の演技だとあんな過剰になっちゃうのよ」


「あはは」


 ギャル役がはまり役だと褒められてもあまりいい気はしないんだけど。


「ギャル姿が全校生徒の前で披露されなくて安心したよ」


 あんな露出の多い服やどぎついギャルメイクなんて、不特定多数の誰かに見られたらたまったもんじゃない。


「めちゃくちゃ似合ってたのに」


「あれを似合うって言ったのは未空と星奈ちゃんだけだよ」


 撮影中に未空にギャル姿の写メを送ったら、『おねぇ、すごい』、『おねぇ、かっこいい』と返事があった。

 子供は思ったことがすぐ口に出るため、褒める時は素直に褒めてくれる。普段はその何倍も生意気だが。


「さーてと」


 私は備え付けのウォーターサーバーでインスタントコーヒーを作り、窓際の椅子に腰を下ろす。テストも終わったことだし、存分に読書に励めるぞ。カバンから推理小説を取り出す。テスト期間前に買って寝かせておいた文庫本だ。


「あ、そうだ未夜。新作書いてきた?」


「ふぇ?」


「今月の会誌に載せる短編よ」


「あっ」


 テスト勉強と勇にぃのことで頭がいっぱいで完全にすっぽ抜けていた。


「その顔は忘れてたわね? 締め切りは来週の月曜日よ?」


「や、やばい」


「あんたの短編は人気あるんだから、絶対に落とせないわ。どこまで進んでるの?」


「だ、大丈夫。今からやるから」


「あんたほんとにギリギリになって焦るタイプね」


 トリック、プロット共にすでに組み上がっているので後は書き上げるだけだ。


 創作ノートとコーヒーを手に、私はパソコンに向かった。



 3



「あそこかな?」


 俺は街の南東に位置する住宅地を訪れていた。

 距離的には〈ムーンナイトテラス〉からそう遠くないが、六月に入り蒸し暑くなってきたので車を借りればよかったと少し後悔した。


 時刻は午後三時過ぎ。


 母から聞いた住所を頼りに足を進める。


 胸の内に、期待と不安が同じ程度で溜まっていく。


 テスト期間も終わったし、もしかしたら未夜に会えるかも知れない。


 どんなふうに成長しているだろうか。

 あのクソガキのことだ、ギャルかヤンキーのどちらかだろうが。

 赤ん坊の頃から世話をしてきた、妹のような存在。


 そんな未夜に会えるかも、という


 それと同時に……


 眞昼はいつも未夜の話題を出すと焦ったりぎこちない反応をする。店に来る時も未夜を連れてくることはないし、向こうから未夜の話題を上げることはほとんどない。


 今ではもう仲が良くないのだろうか。

 俺にも覚えがあるから人のことはいえない。

 だけど、本当の姉妹のように仲が良かったあいつらに限ってそんなことがあるはずない……とは言い切れないのが現実だ。


 あって欲しくないが、眞昼に直接聞けるわけもない。


 妹分たちの現在の人間関係の真実に対する


 もし本当に二人が疎遠になっているとしたら……

 考えただけで胸の奥がきゅっと締め付けられる。


 俺はある家の前で立ち止まる。


「ここか」


 表札の『春山』という文字。

 間違いない。

 ここだ。


 二階建ての大きな家。

 黒いミニバンが一台停まっている。


 俺は意を決してインターホンを押した。



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