既婚子持女性的日常をお裾分けするのだ まる

佐東るい

第1話 大原行

 その日は曇りがちで雨は降っていないけれど6月の雨季にふさわしい湿度と匂いがする日だった。

 玄関ドアを閉めながら真生子は時計を確認した。出発時間は7時半ごろ。みっちゃんは最初に私を拾いに来る。

 家の前の通りの角を見るとちょうど佳美ちゃんが大きなトートバッグを下げてくるところ。また4人分のおやつと飲み物を準備してきてくれたのだろう。佳美ちゃんがこのお出かけをどれだけ楽しみにしていたのか、真生子は想像する。おにぎりせんべいやあめちゃんやスニッカーズをディズニーのジプロックに小分けして詰めている姿や、冷蔵庫に飲み物を冷やす様子が目に浮かぶ。

 玄関ポーチの階段を下りて、前の道路で佳美ちゃんと合流。

「おはよう。荷物多いやん。ひょっとしてまたおやつもってきてくれたん?」

「うん。少しだけやけどね。」

「わーいつもありがとう、めちゃうれしいーー。」

 そこにみっちゃんの車がブルルーンと到着。赤のシトロエン。みっちゃんは、おばあちゃんが癌になって運転できなくなり、自分の車を売って孫の帆奈美ちゃんにこの車を買ってくれた、と言っていたが、実際は母親のみっちゃんが自分で赤のシトロエンを選び、ほなみのくるまや、といいながら乗り回している。帆奈美ちゃんは車に見向きもせず、逃げるようにアメリカへ留学し、その後東京で就職して一人暮らしだ。

「おはよう。時間通りやん。」佳美ちゃんが運転席のみっちゃんに手を振る。みっちゃんはたいてい遅れる。今日はめずらしく時間ぴったりだ。

「雪ちゃんは?まだ来てへんな、家へ迎えに行こう。」

佳美ちゃんと真生子は「おじゃまします。」と言って後ろ座席に乗り込んで並んで座り、みっちゃんは車を発進した。雪ちゃんの家はこれも近くなので、すぐに着き、佳美ちゃんがインターホンを鳴らしに降りた。

「早く出てくるといいけどな。」と話していると、

「はーい」と返事があり、すぐに雪ちゃんがでてきた。

「めずらしく早いやんか。」とみっちゃんが言うと。

「そう?ありがと、ありがと。」と言いながら雪ちゃんが乗り込んだ。

「いやさ、まさの弁当つくらなあかんかったし、忙しかったわ。おばあちゃんに洗濯物頼みます、言うてきた。」

「干してくれるん?」

「ちょっと雪さん、て言うてたけど、いってきまーす、言うて出てきた。」

「だいじょうぶかな。」

「だいじょうぶ、だいじょうぶ。いっつもやし。」

「できたお姑さんやな、感謝しなあかんで。」

「そうかな、今度ランチに連れて行くわ。」

みっちゃんは車を飛ばし、佳美ちゃんはお菓子の袋と飲み物を配り始めた。

「あ、このせんべいおいしそうやん。ありがとー。」

「そやろ、こないだお客さんが来たときに持ってきてくれたおせんべいやねん。ほら、真ん中に花があるやろ。かわいらしい。」

「ほんまや。」

「わたし朝ごはんまだ食べてへんねん。うれしい、食べていい?悪いけどむいてくれへん?」

隣の助手席に座った雪ちゃんが、せんべいをふくろから取り出しみっちゃんの左手にのせる。佳美ちゃんはペットボトル4本とマジックを取り出す。

「なあ、まおちゃん、マジック持ってきたし、飲み物のふたに名前かいてくれへん?」

「ええよ。せまいから一文字でもいい?」

「ええよ。」

「あ、これ、塩ウメやん。めずらし!」

「そうやねん。スーパーで見つけてさ、これにしようと思って。飲んでみたいやんかー。」ふたに雪やら佳やら名前を一文字書いて、それぞれに渡す。

「いただきます、あー生き返るー。うまー。」

 塩ウメドリンクはよく冷えていて、塩味と酸味と甘みがして体にしみとおる。

出かける前はいろいろな心配で本当に出かけてもいいのか、何か起こらないか、おっくうな気持ちであっても、出かけると、気分は上がり、うきうきしてくる。

 きっと何も起こらず、お出かけを貫通できるだろう。楽しまないと。今度はこんなに長く出かけられないかもしれないのだから。

「湖岸道路に出て、橋をわたって比叡山越えたらすぐ大原やで。」みっちゃんが説明する。

「湖岸道路に出るとき、パソコンの金岡先生とこへいく抜け道を通っていくんやろ?」

「そうそう。その道がいつも早い気がするねん。」

「金岡先生お元気?」

「元気なんちゃう。まおちゃんのほうが知ってるやろ。」

「イヤー最近は会うてへんわ。パソコンもやめたしな。」

「そうか、たぶん元気なんちゃう。」

車は小さな坂を上って、それから下った。少し体が浮いた気がして

「ひゃー」と真生子は小さな悲鳴を上げた。

「どうした。」

「いやー、みっちゃんけっこう飛ばすからさ、坂を下りるとき、一瞬車体浮かへんかった?」

「ええ?そうか?わからんけどな。」

「前にさ、金岡先生とこ行くとき、急いでたやん?みっちゃん飛ばして、車体がひゅって飛んだで。ジェットコースターみたいに。」

「そうやった?浮いた?ごめんな。」

4人で笑った。

「このチョコのんもおいしいわ。」

 もぐもぐと食べ続けながら雪ちゃんが言う。

「あ、私もむいて。食べたい。」とみっちゃん。

 雪ちゃんは、スニッカーズをむいてみっちゃんの左手のひらに乗せる。運転しながらみっちゃんがそれを食べる。

「あーおいしい。甘いもんもええな。」

「これ、すごいカロリーやけどな。」

「200くらいあるで。こんなチビっ子やのにおにぎり一個分やて。」

「へー、すごいな。」

「朝やから、ええやん。大丈夫。」

「ホンマ、腹回りがな。やばいで。気にしてへんけどな。もはや。」

みんなうなずく。全員ダイエットなどしないので、食べ物の量をあまり気にしない。

「あじさい、咲いてるといいな。」

「咲いてるやろ。」

「いっぱい咲いてるといいな。」

「うん、ぜったいいっぱい咲いてるわ。」

「わたし、三千院ひさしぶりやわ。何年振りやろ。アジサイで有名なんて知らんかった。」

「わたしも」

「なあ、京都へ行くとき、車でどうやっていくん。また教えて。」真生子はみっちゃんにたずねた。

「なんで?」

「いや、隆が京都に下宿してるやん?運転して気軽に京都へ行けるようになりたいねん。」

「なれるで。今から道教えたるから。」

「隆君下宿どうなん?」佳美ちゃんがたずねる。

「なんとかやってるわ。卵と豚肉とキャベツばっかり食べてるいうてた。」真生子は言う。

「ああ、自炊してるん、えらいな。」とみっちゃん。

「寂しいな。大丈夫?」佳美ちゃんはやさしい。

「そうやな、ずっと下宿したい言うてたからな、夫も一人暮らしさせるべきや言うし。出て行って、最初は涙出たけどな、でも2週間たつとあれ、これ楽やん、一人分ご飯減る、って楽やん、てなってさ。今では慣れたわ。」

「そうかー。まおちゃんが!」

「そうやねん。今度は私が京都へ車で遊びに行ったろ思て。冬の前に冬布団積んで。」

 湖岸の美しい景色を抜けて、角を曲がり、びわ湖大橋へ差し掛かる。

「ひゃー、橋を上がっていくのは気分が上がるなあ。」

「知ってる?行きか、帰りか、びわ湖就航の歌が鳴るねんで。」

「どういうこと?」

「何の原理かわからんけど、道路の面になんか細工がしてあって、その上を車が走ると、メロディが聞こえてくるねん。行きか、帰りか、忘れたけど。」

「今鳴ってへんから行きとちがうな。」

「じゃあ、帰りか。」

 橋をわたり、まっすぐに行く。真野という町を通り過ぎ、比叡山を登りにかかる。比叡山墓地、という看板が見えてくる。

「あんな、私の父親のお墓、比叡山の墓地にあるねん。その近くにな、高田友理奈ちゃんのお墓もあんねん。」みっちゃんが言う。

「そうなん。友理奈ちゃんの。知らんかった。」

 友理奈ちゃんがなくなってから何年になるのか。

 みっちゃんの家の道を挟んだ前に高田さんちはあって、家が近くて子どもの年齢も同い年なので、花火やびわ湖で泳ぐや、映画をみて一緒にご飯食べるやら、子どもが小さいときは夏休みのたびに集まってよく遊んだ。すごく昔のようでそれほど昔ではない。

 小学校高学年になって、友理奈ちゃんは不登校になった。友理奈ちゃんが学校へ行かなくなってから高田さんは、携帯を変えてしまって、だれも連絡できなくなった。

ある日、友理奈ちゃんが亡くなってお通夜があるから行こう、という連絡がまわってきた。

 お通夜の祭壇の友理奈ちゃんはすっかり髪の色やヘアスタイルが変わり化粧をしていて、一目見ても友理奈ちゃんだとわからなかった。真生子は、写真の目の中に知っている友理奈ちゃんのまなざしを探した。同情ではなく、悲しみではなく、高田さんの苦しみやどうにもならないことがあることや、いろいろな共感に近い感情で胸がいっぱいになったことを覚えている。

「高田さんはどうしてるの。」

「さあ、見かけることもあるけど、わからんなあ。仕事始めたって前は聞いたけど。」

「落ち着かはったらいいなあ。」

「もう何年かたつし大丈夫やろ。」

「そうやな。」

 そんな話をしているうちに、比叡山を超えて途中という交差点にさしかかる。

「な、覚えとき。この途中っていうところで右に曲がってくるりと回って上へ出るねん。それから信号通りに左へ曲がって京都へいくねん。」

「京都へいく途中やから途中か」

「そうかもな。」

 一気に山道になって山の間を車で駆け抜ける。

「あんな、生き仏って知ってる?」

みっちゃんが言う。

「あ、こないだテレビで見たかも。生きたまま食べ物を食べんと修行して最後にミイラになるお坊さんやろ。」

真生子は返事する。

「へえ、そんな人おるん。恐ろしいな。」と雪ちゃん。

「私な、この道を池垣さん乗せて京都へ行きよってん。そしたら、池垣さんがここらへんにすごく気になるお寺があるから行きたい、いうて、そんで帰りに寄ってん。」

「へえ、池垣さんと。元気にしてるん。」

 池垣さんは昔ご主人と近所でルミエージュという洋食レストランをしていて、子どもの年齢も近く、一緒に幼稚園に通った仲間だった。確か原因不明のがんみたいなものができて、夫と離婚し、治療中ときいていた。みっちゃんは乳がんだったので、手術後もいろんな治療を試していて、池垣さんとがん仲間となり、情報交換し一緒に治療に通ったりしていた。池垣さんは厳密にはがんではない、と言っているらしいが。

近頃は池垣さんと一緒に、京都の大覚寺の近くのビタミン療法でがんを治すという病院にときどき通っているらしかった。

「元気やで。最近は堀北中で国語の先生してる。」

「そうなんや。」

「ほんで池垣さんと寄って見たら、すごいお寺やってな、私ショックで気分が悪くなりそうやってん。」

「どういうこと。」

「ほら、すぐ横とおるで。」

 車は一瞬、正国寺と矢印を書いた看板を通り過ぎた。

「山の洞窟みたいなところを入っていくと、奥に大きな石の棺みたいなんがあって、その中にミイラになっていはんねん。そのお坊さんが。」

「見えるの。」

「いや、中は見えへん。その石の棺のところへ行くまでにジメジメした道を行くんやけど、私そこで気分悪くなってしもて。」

「どうやってミイラになるの。生きたまま入ると死体は傷むやんか。」

「修行中にな、木の皮やら木の実ばっかり食べるねんて。そしたら、体も木みたいになって、ミイラになるらしいわ。」

「じゃあ、死ぬための修行か。」

「そう。それを考えたら、気分が悪くなって。」

「ホンマやな。つらいな。苦しいやろし。」

「死ぬ時がきたら、自分で棺に入って、ふたをしてもらうねんて。」

「ええ、それは考えるだけで苦しいな。」

「あ、大原やで。」

 山を抜けて、両側に家や店が見えてきた。久しぶりに信号で止まると、人が舗道をわたっていく。生き仏の話をあとだったので、生きている人たちの気配にほっとする。

「どこに止めよ。」

「どこでもええよ。あ、あそこどう?おじさんが手降ってるわ。」

さわだ、と書かれた駐車場に止める。日焼けしたおじさんがにこにこ近寄ってきた。

「おおきに。駐車場代金は600円です。」

「あの、三千院はどっちへ行ったらいいですか?」お金を払いながらたずねると

「来た道戻ってな、信号を向って右や。坂をのぼっていくねん。」

「ありがとう。ほな行ってきます。」

「ありがとう!気いつけていってらっしゃい。」

「はーい。」

にこにこしたさわださんに見送られてあたたかい気持ちになり、出発する。

「あのさ、トイレいきたいねんけど。」と雪ちゃん。

「トイレかー。あ、あそこに京都市バスの停留所が!トイレあるんちゃうか。」

「こんな山の中まで市バスあるん。すごいな。」

 行ってみるとトイレはあった。雪ちゃんだけでなく、みんな順番にトイレに行って、安心して、再出発した。

 信号をわたって坂道を登り始めると、川が音を立てて横を流れていたり、緑の美しい苔がびっしり生えていたりで、景色にみとれる。

「ええな、大原、美しいな。」

「店にも入りたいな。かわいい小物売ってるで。」

「まあ、とりあえずアジサイ見ようさ。」

三千院に着いて中に入り、お参りも早々にして、あじさいの庭園へ。

「あー咲いとる咲いとる。」

 白や青やピンク、紫のアジサイが広い庭の斜面の小道、散歩道のわきに咲いている。ゆっくり歩きながらアジサイをみる。

 十分ゆっくり歩いているつもりだが、雪ちゃんはさらに歩くのがおそい。ときどき止まって雪ちゃんを待つ。そういうとき、佳美ちゃんは優しいので、いつも雪ちゃんに合わせて一緒に歩く。真生子とみっちゃんは少しせっかちなのでさきに行きがちになる。

 このあたりには三千院だけでなく、ほかにも3つほど小さなお寺があり、それぞれ庭園がきれいだったりするので行きたいと話していて、そこも回るのなら、三千院だけにゆっくりしているわけにはいかない。少しでも早く帰りたい真生子などはどうしてもささっとまわりたくなってしまうのだ。

 楽しみにしてきて早く帰りたいというのは変なのだけれど。もう大きいがまだ子どもがいて、晩御飯を作るとなると心ゆっくりしていられない。そういうことがまったく気にならないらしく、たくさんのお地蔵さんが道沿いにおられる様子をみて、「見て~お地蔵さんやで~。」などいちいちすべてのお地蔵さんをのんびり見て回っている雪ちゃんをみると、不思議な気持ちがする。

 三千院のアジサイを見て、出口付近にあるテントの中でお茶をごちそうになり、外へ出る。

「おなか減ったな。どこで食べる?」

 目の前に土産物屋と、その奥にレストランがある。若いぽっちゃりした女の子がお菓子の試食を勧めていた。

「ちょっと味見どうですか?」

「あら、ありがと、ありがと。」と試食をもらい、4人とも食べる。

「おいしいやんか。ここ、お昼もやってるん?」

「はい、奥で定食やにしんそばありますよ。」

ふと、真生子はその女の子の薄茶色の目に見とれた。

「わあ、すごくきれいな目。」

「ほんまですか。そんなこといわれるん初めてですよ。」

「ほんまに?めっちゃきれい。日本の方ですか?」

「そうですよ。えー?」

といいながら女の子は照れている。

「ここら辺の人?」

「いえ、いろいろあって、ここでバイトしてるんです。」

「いろいろかー、大丈夫や、目がキレイから。」

と雪ちゃんが言う。

「ようそんなことが根拠もなく言えるわ。」とみっちゃんが笑う。

「奥で4人食べられますか?」佳美ちゃんが聞く。

「はい、食べられます。一応聞いてきます。」

と女の子は奥へ入っていく。メニューの看板を見て、真生子は

「ニシンそばって京都はなんでニシンそばばっかりなん?」とつぶやく。

「なんでもや。にしんそばやねん。」

「だからなんでなん。」

「とにかくにしんそばやなあ昔から。」

など話していると、女の子が帰ってきて

「大丈夫、どうぞ奥へ。」と言ってくれる。

4人で奥へ行く。広い食事場所なのにがらがらで私たちだけ。

「なんや私たちだけか。」

「まだ早いんちゃう。」

「私このみどりの餃子定食にする。」

「私はにしんそば、鯖寿司つき。」

 なぜ大原の土産物屋で餃子なのかはわからないが、お土産にもどうぞ、と餃子がある不思議。

 4人それぞれに頼み、餃子やサバずしを分け合って、満足する。

「トイレに行きたい。」

真生子はお店の人にどこにトイレがあるか尋ねる。お店の人は指さしして

「あっちです。」という。

それはお店の窓のはるか向こうの庭を指しているように見えて、

「え?どこですか?」

「ちょっと遠いんですよ。部屋の横の階段を下りて、庭を横切った向こうに建物があるでしょう。そこ。」

本当に庭の中のはるか向こうの小さな建物を指していた。

「ええ?かなりの距離ですね。」

「大丈夫ですか?でもそこしかないんですよ。」

しかたがないので、真生子はドアを開けて階段を降り始める。結構急な階段である。降りて庭を横切る。途中でおじいさんとすれ違ったとき、おじいさんは

「結構トイレ遠いで。」と言ってきた。

「かなわんなあ。」

と真生子がつぶやくと、

「ほんまやで。しかたない、がんばりや。」とおじいさんは帰っていく。

とうとうトイレにたどりつき、用を足し、庭を横切り、階段を上がってレストランへ帰る。

「お帰り。次私もいこ。」

と雪ちゃん。

「トイレ、すごく遠いで。」

「ええ?」

「そこのドア出て階段降りて、庭を横切ってその向こうやで。」

「えー?なんでまた・・・・しんどそうやな。」

佳美ちゃんが

「私も行くから一緒にいこ、雪ちゃん。」

という。長い時間をかけてトイレへ行き、長い時間をかけて二人は戻ってきた。

「よっしゃ。次のお寺へいこか。」

 4人で再出発。近くにある実光院、勝林院、宝泉院を回ることにする。

 宝泉院は五葉の松という素晴らしい大きな松があった。その前に座り込んでお茶をいただき、しゃべったり松をじっと見たり写真を撮ったりする。宝泉院をググっていた真生子が

「天井見てみ。」という。4人で廊下の天井をみると茶色のシミのようなものがあり、足の形に見える部分がある。

「血天井、いうねんて。」

「なにそれ。」

「京都に何か所かあるらしいねんけど、伏見城やったかな、昔戦いで死んだお侍さんの血で汚れた板をとってきてお寺の天井にして霊を弔ってるらしいで。」

「ほんまや、なんか天井の板にシミがある、あれ、血のあとなん?」

「そうらしいで。拝もう。」

みんなで手を合わせて拝む。

「血の跡で、手や足の形がわかるやん。なんてこと。」

佳美ちゃんは嫌なのか、辛いのか、座敷へもどってしまった。

「みっちゃんのさっきの寺の話もあるし、気持ち悪くなったらあかんからやめよう。」

という。佳美ちゃんは繊細で、霊を感じたりすることもある。

「そうやな。」と話を変える。

「それにしても立派な松やなあ・・」

「ほんま、すごいで。こんだけ枝を広げて。」

「じゃ、行こか。」

ほかのお寺もまわり、ついでに御朱印もいただき、

「わあ、大原だけでこんだけ御朱印集まったで。」

「おんなじ寺やのに何か所か違う御朱印があったりして、300円×5つ、て出費やな。」

「ほんまやな、ほんなら、お賽銭を控えめにして、その代わりよく祈ろう。」

「しかし御朱印集めるのにはまりそう。御朱印帖のええのが欲しい。」

と4人で同意して、御朱印帖をどこでゲットするか、相談する。

最後の寺で御朱印の紙をもらったとき、お寺のおばあさんが

「御朱印の意味、わかりますか?」と聞いてきた。

「はい、お寺のハンコの立派なものですか?」とみっちゃんが答えると

「まさか、仏さんのサインやと思てはりませんか?」

とお寺のおばあさんが言ってくる。

「違うんですか?」

「違いますよ。」とおばあさん。

「それはね、あなたが仏さんとここでお出会いした、という印なんです。

死んだときにね、それを持って極楽浄土へ行くと、仏さんが御朱印を見て、『ああ、あなたとは一度お出会いしていますね、ようこそおいでになりました』いうてあの世で迎えてくださるんです。つまり、あの世へ行ってもあなたはたくさんの仏さまとお知り合いなんです。だから心配なくあの世へ行けるんですよ。」はい、とみっちゃんはうなずく。

「サインを集める気持ちでもらったらあかんのです。ようようお参りして、それでいただくお印なんです。御朱印帖をサイン帖と呼んだらあきませんよ。」という。

「なるほど、気を付けます。」と納得して、でも集めるのは楽しいな、と4人で話して、駐車場さわだへ向かう。

 途中で和風の小物を売っている店へ立ち寄る。

「わあ、かわいいな。」

「こんなんちらちら見に店に入るんなんか久しぶりやわ。」

「ほんまやな。見て。このかんざし。」

「かんざしなんかしたことないわ。たぶん私はこのままかんざしを挿すことなく死んでいくんやろな。ビキニを着ずに死んでいくように。」

と真生子が言うと、雪ちゃんが

「なんでビキニなん?わたしかてビキニ着たことないわ。」

と笑う。

「やろ?私と一緒や。雪ちゃんもビキニを一生着ずに死んでいくんやで。」

と真生子。

「そうか。残念やな。残念というか今更もう無理、というか。」

「ビキニは無理でも、かんざしはまだイケルで!」とみっちゃんが言う。

「な、今度浴衣着るとき、かんざし着けよう!おそろいで。せっかく着付け習ってるんやで。」真生子は自分が着付けを習い始めたことを思い出す。また、お茶もみっちゃんに誘われて習い始めたことも思い出す。

「ほんまやな。今度わたしら、赤木先生が野点するとき受付するんやった。」

 赤木先生とは20代前半のお茶の先生になりたての若者であり、みっちゃんの幼馴染の息子さんでもある。真生子やみっちゃんは急にお茶を習いたくなって、近所の知り合いのオバサンたちを集めてお茶教室を自治会館で始めたところであった。そのお茶の先生がみっちゃんの知り合いの赤木先生なのである。

「受付は浴衣でええよ、て先生言ってたな。じゃあそのとき頭をアップにして、かんざししよう!」

 ということでみっちゃんは青系、真生子はグリーン系のかんざしを買った。買い物を一つすると心が落ち着く。出かけたのに何も買わないのはなんだか落ち着かない。

のろのろと景色を楽しみながら、坂を下る。

 駐車場についたら、まださわださんがいた。日焼けした顔で、「おかえり~。」とにこにこしている。ほっとして温かいきもちになる。

「ただいま~。ありがとうございます。」お礼を言って、車に乗り込む。

「今度くるとき、また さわだ に止めなあかんな。あのおじさんが待ってる。」

と佳美ちゃんが言う。

「佳美ちゃんがくれたおやつ食べよ。小腹がすいたわ。」

雪ちゃんが早速おやつをつまむ。

「みっちゃん運転ありがとう。ごめんな、帰りも。」

「ぜんぜん平気やで。」

帰りの山道はあっという間で、びわ湖大橋に差し掛かる。

「いくで~。音楽スタート!」道路上の音符マークがあるところの上を走りだすと、不思議なことに音楽が聞こえてくる。ドファーファファミレラー♪ に合わせて佳美ちゃんが歌いだす。

「われはうみのこ さすらいの たびにしあれば・・・」佳美ちゃんは滋賀生まれ滋賀育ちなので、歌える。この歌は学校で必ず習う滋賀県民必修の歌らしかった。

途中で車のスピードが変わったのか、音が出るシステムの不備なのか、急に変調し、音が狂う。

「あれれ・・」と4人で笑う。

「なあ、次は佳美ちゃんのバースデーお出かけにしよう。8月の終わり。」

「えー。ええの?うれしいなあ。」

「比叡山の上にあるレストランに行こう。ブルーベリーたくさんあるで。」

「ブルーベリー畑?一体どういうレストラン?みっちゃん、何でもよう知ってるなあ。」

「こないだな、帆奈美とお墓参りの帰りにきてん。おいしかったで。山の中で景色も良かった。」

「ほな、そこな。パートのシフトの関係で、前の月に休みを提出しなアカンねん。早めに日を決めてほしいわ。」と雪ちゃん。

「ほんなら7月中にまたラインして決めよ。」

 次のお出かけの段取りが始まる。次も出かけられるだろうか。今日は大丈夫だった。何も電話はなかった。すっかり忘れていた真生子は一瞬ヒヤッとする。忘れてしまえるほど気にならなかったなんて。また、出かけられる。でも、出かけられないかもしれない。どうやってことわろう。でも行けるかもしれない。楽しみと不安が交錯する。

「あんな、サトル、仕事やめよってん。」

と雪ちゃんが急に言う。サトルは雪ちゃんの次男でちょうど21歳だ。サトルと和美ちゃんちのショウちゃん、直子の次男賢は同じ学年だ。サトルは18で高校を卒業後、車の製造業に就職して、毎日真っ黒になって頑張っていると聞いていた。

「え、どうしたん。」

「なんかさ、ある朝寝ていて、仕事へ行かへんからさ、起こしにいってん。ほんで、どうしたん、起き、仕事やで、て言ったら、イヤやから行かへん、ていうねん。イヤやから、ていう理由でさあ・・突然仕事へ行かへん、て。そんな、子どもちゃうねんし・・」

「そうか。それでどうしたん。」

「それっきり、イヤやから、て行かなくなって、やめた。」

「そうか。何がイヤやったんかな。」

 真生子は雪ちゃんがうらやましい。心の中のしんどいことや、家族の悩みをさらっといえて、流してしまう。その無邪気さと人がどう思うかなど気にしないところがうらやましかった。雪ちゃんは気にしないかわりに、人のうわさ話もする。噂話をするが、自分のことがうわさになることを恐れることはなかった。そこが真生子にはよくわからない。みっちゃんは、雪ちゃんは物事を気にしなさすぎる、うらやましいけれど私は無理と言っていた。雪ちゃんの口癖は「ま、ええか。」だった。そのとおり、「ま、ええか。」で全部済ませられたらどんなに楽だろうか。

 曇った空の下、町内に着く。

「順番に下ろしていくからな~。」とみっちゃんが言う。

雪ちゃんが「ありがとう!またね!」と下りて、そこから歩いて帰るという真生子を制し、みっちゃんは家の前まで送ってくれる。

「ありがとう!またね!ほんまにありがとう!」

中から佳美ちゃんがずっと手を振っているのが見えた。角を曲がってみっちゃんが運転する車が見えなくなるまで手を振り続けた。

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