奇跡のミルクセーキ
秋色
第1話 夢
こんな夢をみた。
純喫茶ブランシュの扉を開けて中に入る。いつものカランカランというドアべルが鳴る。いつものように一人でくつろげるカウンター席の壁際に座り、ホットケーキとレモンティーを頼んだ。壁にはターナーの海岸の絵。これは毎週末、現実に起こっている何の変哲もない私の日常。でも出されたのはミルクセーキで、そのコップが置かれているのは純喫茶ブランシュではない、どこか懐かしい部屋のダイニングテーブルの上。
見憶えのあるこの部屋はもしかして…。怖くて目が覚める。
そんな夢をみた次の日の仕事帰りの電車の中で、座席に座った私は声をかけられた。
「清田さん? 僕ですよ」
唐突に声をかけられ一瞬誰なのか分からなかった。でもすぐに、職場であるクリニックの向かいにあるリリー処方せん薬局の薬剤師だと気が付いた。薬剤師の主任とその隣には若い男女がいた。
「主任さん!? ボーッとしていてすみません」
「ああいや、今帰り? ほらあじさいリハビリクリニックのホープ、リハビリ療法士の清田さんだよ。こっちは後輩のトミボンと事務のみかりん」
「こんにちは、いや、こんばんはだね」
「時々薬局に来てますよね?」
この紹介はないよね、と、思いながら主任とトミボン、みかりんに挨拶を返した。
勤めているクリニックでは、リリー処方せん薬局とのやり取りは多い。患者さんのために直接処方せん薬局へ出向く事がよくあった。
電車で偶然会って
私の電車通勤時間は片道四十五分にも及び、その時間はぼんやり質問アプリを読んだり、スマホゲームをしたり、一日で最もゆっくりできる貴重な時間だ。なのでいつもの自分なら面倒としか思えなかったと思う。
でもその日は夢の事が一日中、心のどこか隅の方にあって憂うつな気分だったので、それを忘れるのに誰かと話すのはうってつけに思えた。
「ねえ、清田さんってさ、うちらの薬局の二軒先の釣り道具屋の前にある純喫茶のほら、何だっけ、あ、ブランシュだ。あの店によく、一人で行ってない?」
主任は言って、隣の二人に同意を求めるようだった。
「そうなんですかー?」
とみかりん。
「え、見てたんですか?」
「うん、薬局閉める時に清田さんが入って行くのが見えてさ」
そう言いながら主任は指を曲げ、輪っかの形にして目の前に持ってきて双眼鏡で見ているパントマイムをした。「一人でああいう店に入るなんて変わってるよねーなんて薬局でみんなと話してたんだよ」
――わっ。ネタにされてるんだ、やっぱ面倒くさー。――
「一人だと気がラクなんです。それに純喫茶のメニューが好きなんです。メロンクリームソーダとか昔ながらのホットケーキとかミルクセーキとか…」
「へえ。さすが一人で入って行けるだけあって詳しいね。今の若いコはスタバとかコメタとか好きなのかと思ってた」
「どちらもあの町にはないじゃないですか」
とトミボン。
「ないね」
「あのお店、すごいんですよ。他の店ではなかなかメニューにないレインボーソーダもあるんですから」
と私。
「もしかして店の前のガラスケースにサンプルが出てる七色の縞になったやつ?」
「そうですよ。芸術的でしょ?」
「二人とも知ってる? レインボーソーダ」
「私は知らないけどトミボンが何か言ってたよねー?」
みかりんがトミボンにふった。
「はい。あの七色にキレイに別れた飲み物の事ですか。糖の質量で液体が分離するんですよね」
「わ、さすが理系ですね」
と私。
「悲しいかな、あーゆーの見てもすぐ思考回路が理論に走るんだね、理系って」と主任。
「いや、うらやましいかも。私はただキレイなソーダだなってときめくだけで」
私は論理的な考え方をする人になら自分がここしばらく恐れている出来事を相談できるのでは、と思った。でもちょうどその時、
「じゃあ僕達はここで降りるんで」
と主任。
「主任は今日は奥様と外食の約束してるんですよねー?」
とみかりん。
ちょうど電車はいくつかのローカル線が交わる主要な駅に近付こうとしていた。
「もしかして何かの記念日ですか?」と私が
「いやーそ~ゆーんじゃないけどさ」
「楽しんできて下さいね、なんて上から目線かぁ」と言う私に主任は言った。
「いや、ありがとう。清田さんって意外と話すんだ。もっと大人しいのかと思ってた」
「そう見えますか、やっぱり。クラいイメージってよく言われます」
「話すとそんな事ないじゃん。今日みたいな方が全然いいよ。ねえ、二人ともそうだろ?」
隣の二人は笑っていた。まるで私が陰キャだって公認みたいな会話。主任は電車を降りる準備をし、隣の二人ももこの駅の近くに家があるからと立ち上がった。そう言えば主任は左手の薬指に結婚指輪をしているし、奥さんを大切にしているんだろうな、と思った。主任さんも整った顔立ちしているし、きっと奥さんもきれいな人で、美男美女カップルなんだろうと勝手にステキな夫婦像を想像したり、薬局の薬剤師さんって家庭を大切にするタイプ多いのかな、と考えたりした。
同じ処方せん薬局の年配の薬局長がたまにケーキが入っていると思われる洋菓子店の紙バッグを手に提げ帰る姿を見かけるからだ。
それにしても処方せん薬局の人達って仲が良さそうだ。クリニックではあんな打ち解けた会話はないから羨ましい。若い二人は付き合ってるのかな。男の方は大人しい秀才タイプで、女の子の方はいま流行りのアイドルグループにいそうなタイプ。
こんな事を考えている間は気が紛れていた。でも三人が電車を降りた駅が遠ざかり、これから一人住まいのアパートがある町に電車は近付くのだと思うと、次第に気は重くなっていった。そして自然と私に夢をみさせた怖い出来事について思い出していた。
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