【自分】

九ノ沢 久遠

第1話 始まりときっかけ

 こうして君と話すのは何回目になるだろう・・・。

 もはや数えられないほどには長いこと付き合ってきた気がする。

 いつも通りの寝起きの朝、自室の机に備えられている鏡を見るとふてぶてしい顔が映っている。

 僕はそんな顔しないぞ・・・。


 「おはよう」と語りかけるには何か不自然な、かと言って挨拶も無しに話を始めるのも違和感を覚えるので、どっちかって言うと物事にメリハリをつけたい「僕」は「俺」に「おはよう」と語りかける。


「なんだよ」


 いつも通り「俺」は不機嫌そうに答える。

 はて、「僕」は「俺」が不快になるようなことを何かしたのかな?と白々しくすっとぼけたくなるが、その理由は問いかけるまでもなく把握していた。


 ただ朝に弱いだけなのだ。

 平日の朝は仕事へ行く支度を済ませてしまえば「僕」にとって「鏡」を見る機会に丁度いいし「俺」と話をする数少ない機会にもなっていた。

 しかし不機嫌な「俺」にいきなり具体性のある話を振ったって「知らねぇよ」としか返ってこないので、まずは簡単な話を振ってみようと思う。

 これは毎朝、起きたら必ず行う「僕達」のルーティーンとなっていて、「僕」と「俺」にとっては会話の内容が分かりきっていたとしても大事な事だった。


 「今日って何日だっけ?」

 「6月15日。ちなみに今日も雨だ。」

 「通りで気だるいわけだ。」

 「俺はお前と話す時は常に気だるいけどな。」


 「俺」は怪訝そうに答える。

 その言い方はあんまりじゃないか・・・?


 新しい春を迎え、今までとは違う日常へ旅立ってしばらくした頃、気だるさや憂鬱さを普段より感じる梅雨の時期が訪れていた。

 気候も荒れやすいし気象病を患ってる人なんかは特に辛い季節だろう。

 低気圧に押され偏頭痛が騒ぎ始めたり、関節が突如として悲鳴を上げたり、雨が頻繁に降るこの時期は洗濯物を干そうと思ってた時に来るもんだから腹が立って仕方がない。


 これは持論だが、人間というのは精神的な余裕が無い時ほど些細な事でストレスを感じたりするもので、「俺」もまたそのストレスにやられている一人だった。


 気持ちは痛いほどわかるが朝一のルーティーンでそのノリは「僕」が鬱になりそうだから勘弁して欲しい。

 勘弁して欲しいのでなだめるように「まあそう言わずに」と言ってみた。


 「悪ぃな。どうもこの季節は苦手だ。」

 「すっごいわかる。」


 こんな調子でいつもの会話が始まる。

 特に話題のない日が多い中、なんとなく今日は決めておきたい事が一つだけあった。


 何故「今日」かと言われるとそれは本当になんとなくただ長い事不思議に思っていたことについて考えていて、それが悩みに変わり、それを解決しておきたいと決めたのがなんとなく「今日」というだけ。


 これについては性格面の話であり、誰もがそうであるものだとは限らないからほんとうになんとなく以外に説明できる要素がないけれど。


 モヤモヤするものはハッキリさせたい、ハッキリさせたいけれどその為に踏み出すのは億劫。

 いつまで経っても先に進めない、考えていると言っても考えているふりをしているだけで目の前の問題や悩み事に向き合っていると思い込ませていたり。


 僕はそういう人間だった。

 だけどこのままじゃどうしようもない、悩んでたって仕方がない、と今更ながらの答えを導き出し、ようやく歩み出す気になったのが今日という訳だ。


「僕のこと」「俺のこと」


 僕は鏡を見ている間だけ鏡に映る自分と会話ができるという現象と十年も付き合ってきた。

 始まりはちょうど思春期真っ只中、あの頃僕はいじめを受けていた・・・。


 そんな学生時代のある日の事、僕はいつも通りエスカレートしていくいじめを受けていて、体育の授業が始まる前の休み時間、体操服へ着替えている時に針のようなものが身体中に刺さる感触がした。

 器用にも、体操服の内側へ刺繍用の針がこれでもかと言うほど仕掛けられていたのだ。

 当然着る時は頭上から服を一気に通すのでそれまでに通過した体の部位は血まみれになってしまい、保健室へと行く羽目に。

 その時ふと心の中に黒い感情が芽生える感覚がしたような気がするのを今も覚えている。

 感触?感覚?なんて言ったらいいのだろう・・・初めて「クソッタレ」と言う気持ちになった。


 「当たり前だ。俺をこんな目にあわせやがったあいつらに腹が立って仕方がねぇよなぁ。」


 「俺?」いやいや、僕は僕だ。

 そんな一人称、自分で言うのもなんだけどこんなに温厚そうな僕がそんな一人称使わないよ・・・・いや、温厚な人でも俺って一人称を使う人は居るけども。


 「君は誰?」

 「俺は俺だ。僕とも言う。」

 「なんだよそれ、僕が二重人格にでもなったって言うの?」

 「そうとも解釈できるしそうじゃないとも言える。」


 急に哲学的な事を言われてもまったく意味がわからない。

 なんで保健室の鏡に映ってる僕の血まみれの顔面が「俺」という一人称を使って喋っているのか・・・頭がおかしくなって幻覚でも見ているのだろうか?

 それ以降「僕」は「俺」と鏡を見ている間は話ができるようになっていた。

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