第76話 胸の奥で燻るもの
ウィーレストの雑踏、道の反対側に見慣れた少女の姿があった。彼女は悲しそうな表情でただ、じっとこちらを見つめている。
(イリスッ! )
俺は彼女に声を掛けようとするのだが声は出ず、身体は動かない。
(クソッ! なんなんだよっ!! イリスッ! イリスーッ!! )
どうにか彼女に近付こうとするのだが、足は縫い付けられた様に地面から離れない。彼女はそんな俺の内心には気付いていない様で少しだけ寂しそうに微笑むと踵を返し雑踏へと紛れていく。
(待ってくれっ! イリスッ! 俺は……俺はっ!! )
「待ってくれーッ!! 」
「きゃーッ! 」
「えっ!? 痛ッ! 」
遠ざかるイリスの背中に声を掛けたと思ったら近くで悲鳴が聞こえた。驚いた拍子に胸に痛みが走り蹲る。
「もうびっくりさせないでください! 目が覚めたんですね」
そんな声とともに目の端に結んだ髪が揺れた。
「イリスッ! 痛ぇぇっ! あれ? 」
「もう! まだ安静にしてないとダメなんですよ! 」
また叫んでしまい胸に痛みが走る。そんな俺に近寄ってきたのは――当然イリスではなく見たことのない少女だった。彼女は「寝ててください! 」と言うと強引に俺の肩を押して横にさせる。どうやら何枚か布を重ねたところに寝かされていたようだ。
訳も分からず横にさせられた俺は少女を観察する。
綺麗な黒髪を後ろでポニーテールに結んでいる。恐らく年下だと思うが大人びた綺麗な顔立ちをしている。ややつり目気味なところはイリスに似ていなくもないが身長は彼女のほうが高く、こうして見ると特別に似ているという訳でもない。服装はTシャツの様なものにショートパンツと動きやすさを重視した様な格好をしている。
彼女が誰かは分からないがどうやら迷惑を掛けたようなので「すいません」と謝る。彼女は俺の謝罪に苦笑いを浮かべた。
「えっと……それで君は誰? というかここはどこなんですか? 」
顔を左右に振ってみる。どうやらここはテントいうか天幕というか、そういった物の中の様だ。周りを円になるように布が覆い、天井は円錐状の形をしている。行ったことはないがサーカスのテントと言えば分かりやすいだろうか?
「ここは猫耳族の野営地ですよ。私はクノ「おっ、目が覚めたのか? 」」
「スギミヤさんッ! 痛ぇッ! 」
恐らく彼女が名乗ろうとしたところで入り口らしきところの布を捲ってスギミヤさんが顔を覗かせた。漸く見た見知った顔に、俺は思わずまた大きな声を出してしまい胸に痛みが走る。
「もう。安静にって言ってるじゃないですか」
俺の様子についに彼女も呆れた様な声で言う。さすがに何度も同じようなことをしているので俺は「す、すみません……」と言って小さくなる。
「はあ、まあいいです。ちょうどいいので詳しいことは仲間の方に聞いてください」
彼女はそう言うと「じゃあ私は行きますね」と言って立ち上がるとスギミヤさんと入れ替わる様に外へと出ていった。
「ふふっ、思ったより元気そうだな」
スギミヤさんはそう言うと俺の近くへ腰を下ろす。顔は真面目そうにしているがどうやら面白がっているらしい。
「ええ、なんとか。それでこれはどういう状況なんでしょう? 」
俺はからかわれそうな雰囲気を感じてさっさと説明を求める。
「そうだな。まずは状況の説明をしよう」
スギミヤさんも無理にからかおうとはせず状況の説明を始めた。
「まず確認だがどこまで覚えている? 」
聞かれた俺は記憶を辿る。
「確か
懐かしい人を見た気がしたがからかわれそうなので黙っておく。
「そこまでは覚えているんだな。じゃあそこから説明する。お前が吹き飛ばされた後、奴はお前が反撃出来ないと思ったのかお前にゆっくりと近付いていった。俺はなんとか助けに行こうとしたんだがそれまで以上に奴らに邪魔されてな……もうダメかと思ったときに先ほどの彼女がいきなりお前の前に飛び込むと変異種へ斬り込んだんだ」
どうやら先ほどの少女は俺の命の恩人だったらしい。次に会ったらちゃんとお礼を言わないとな。
「奴はそれを後方へ跳んで躱したがそのまま彼女と睨み合う様な形になった。そこへどこからか10人ほどの猫耳族が現れると次々に
スギミヤさんは「俺たちも深追いはしなかった」と付け加えた。
「そうですか……それで何故俺たちは猫耳族の野営地にいるんでしょう? 」
俺は次の質問をする。
「それは主にお前の状態がひどかったからだな。肋骨がズレて肺を圧迫していたらしい」
俺はあのとき吐血したことから肋骨が折れて肺に刺さったのだと思ったが実際は違ったらしい。それでも大怪我であることに変わりはないが……
「気絶したお前に無理やりポーションを飲ませて回復はさせたが、今はまだ表面的に元の状態に戻ってるだけできちんと定着するまでは2、3日安静にする必要があるらしい。さすがにお前を背負って今の森を抜けるのは無理があったから彼らに世話になることにした」
スギミヤさんは「まあ俺も怪我の回復をする必要もあったからな」と付け足した。
「なるほど。じゃあ少なくともあと2、3日は街に帰れないんですね。エリーゼちゃん心配してるだろうな……」
「……そうだな」
スギミヤさんは一言静かに呟いた。恐らく本当ならすぐにでもハルヴォニの街に帰りたいだろう。
「ここはどの辺りなんですか? 」
俺は空気を変えるためにも次の質問をすることにした。
「ここは森を西側に抜けた辺りだ。猫耳族でもさすがに今の森で野営をするようなことはしないらしい」
何でも彼女たちは大陸の北部、大森林の近くの森で暮らしているそうだ。何故こんな所にいるかといえば、北部にも
そんな影響が出始めたため猫耳族では精鋭で調査団を作りハルヴォニの森に派遣したらしい。その調査の途中でたまたま囲まれていた俺たちを発見し、助けに入ったということだった。
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「それで……彼女は何者なんですか? 」
何故猫耳族の野営地にいるのかをとりあえず理解した俺は、恐る恐る先ほどの少女について聞いてみた。
「お前も予想は付いてるんだろ? 」
「質問に質問で返すのは反則ですよ? ――はぁ、まあいいです。じゃあやっぱり勇者候補なんですね? 」
俺は若干ジトッとした目でスギミヤさんを見たが、あまり効果が無さそうだったので溜息を吐くと彼女を見たときに感じたことを口にした。
「ああ、名前は“クノウ・ユキ”、15歳の中学3年だそうだ」
「やっぱり……それでよく一緒にここまで来ましたね。何かの罠かもしれないのに」
彼女との出会いは作為的、と思えなくもない。いくら俺の状態が良くなかったとはいえ、今の状態でスギミヤさんが彼女に付いてきたことに俺は少なからず驚いた。
「俺も最初は警戒したんだが……正直彼女からはそういった悪意を全く感じなかった。それに……」
「それに? 」
何やら言いよどむスギミヤさんに俺は先を促す。
「彼女は強い。恐らくは俺やお前よりも」
「なっ!? 」
俺はスギミヤさんの言葉に更に驚く。もう一度先ほど見た彼女の姿を思い出すが、確かに中3と聞くと年齢より大人びてる様には感じるが『強い』という印象は受けなかった。
「お前は気絶していたから見てないだろうが変異種と対峙したとき彼女には全く隙がなかった。後から聞いた話では家が剣術の道場をやっていて彼女も幼い頃から剣術を習っていたそうだ。そして、こちらで得たジョブも【
「そんなことまで教えてくれたんですかっ!? 」
「ああ、疑う俺を信用させるためにな」
「その話を信用すると? 」
「実際ステータスカードも確認した。それにあれを見るとな。とても普通の15歳が身に付けられる様な雰囲気ではなかった」
「それほどですか……」
自分の目で見た訳ではないがスギミヤさんがそこまで言うのだ。信用してもいいだろう。
「それで……彼女はこれからどうすると? 俺たちと一緒に来るんですか? 」
俺が長距離を動かすのが難しい状況だったとはいえ、彼女が俺たちをここへ招いたのは何か意図があるのではないか? 具体的に言えば共闘などの話が出ているのではないかと思った。しかし、返ってきたのは意外な答えだった。
「いや、彼女はこれからも猫耳族と一緒に行動するそうだ」
「はい? それはどういうことでしょう? 」
「何でもアーリシア大陸に転移して右も左も分からなかった自分を助けてくれたのが猫耳族だったから、ということらしい。俺もそれ以上詳しくは聞いてないから気になる様なら自分で聞いてみればいい」
「はあ」
スギミヤさんもやや半信半疑な様子で言った。俺もどう返事をしていいものか分からず曖昧に返事をする。正直彼女がどういうつもりなのかは分からないが同じ勇者候補として協力出来ないか話してみる必要はあるだろう。それがたとえ今までの勇者候補と同じ結果になるとしても……
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