第52話 執着 side 柳 正

 大きな屋敷の広い寝室。そこに置かれたベッドの上では今、1人の老人が規則正しい呼吸で寝息を立てている。


 時刻は深夜、街灯も殆どが消えてしまうこの世界では部屋の中を月明かりだけが薄らと照らしている。


 そんな薄暗い部屋の月明かりの届かない部屋の隅の闇の中から、1つの影が現れた。影は音なくベッドの脇に近付くと、暫くベッドで眠る老人を見下ろす。


 どの位の時間が経っただろうか? 影は左手で老人の口を塞ぐと、空いた右手を懐に入れ素早くその手を老人の左胸へと振り下ろした。


「うぐっ!? 」と塞がれた老人の口から声が漏れ、目が驚愕に見開かれる。が、すぐに強ばった体から力が抜けて老人は動かなくなった。


 その様子を暫く見ていた影だったが、老人が事切れたのを確認すると元いた部屋の隅へと移動して再び闇へ溶けていった。


 ベッドの上の物言わぬ姿になった老人の胸には1本のナイフが突立っていた。まるで墓標であるかのように……




 聖ウィント王国の中央にある聖フェルガント教会の中央神殿。その奥にある枢機卿に与えられる一室で1人の男が熱心に書類に目を通していた。


 真っ直ぐに伸びた黒髪を肩口辺りで切り揃え、不健康なまでに青白い顔にこれまた不健康そうな痩せた体を白地に金糸をあしらったローブに包んでいる。


 歳は30歳なのだが、その顔はもっと上、50歳と言われても納得してしまいそうなほど老け込んで見える。


 男は手にした羽根ペンの先をインクに浸しながら、時折何かをブツブツと呟いてはメモを取ることを繰り返している。


 その男がふっと手を止め顔を上げるといつの間にか部屋に黒ずくめの男が立っていた。そう、彼こそ先程大きな屋敷で主人らしき老人を手にかけた男だった。


 黒ずくめの男はローブの男に跪く。


「シャッテンくん、戻っていたのですか? 」


 ローブの男に外見からは想像出来ない甘く低い声で話し掛けられた『シャッテン』と呼ばれた黒ずくめの男は顔を上げコクリと頷く。


「首尾は……君が失敗するはずがありませんね」


 ローブの男がそう言って優しく微笑むと黒ずくめの男はもう一度コクリと頷いた。


「ご苦労様でした。君の行いは主もお認めになられることでしょう。今日はもう下がって休んでください」


 ローブの男が満足そうに言うと黒ずくめの男は立ち上がり一つ礼をしてまた溶ける様にその姿を消した。


(これでほぼ私を邪魔をする者は居なくなりましたね)


 その様子を見ながら男は心の中でほくそ笑んだ。



 ローブ姿の男の名は柳 正という。勇者候補である。彼がこの世界に来たのは1年ほど前のことだ。


 彼はあちらの世界でとある議員の秘書をしていた。秘書として有能だった彼は議員に気に入られ、娘と結婚して将来はその地盤を引き継ぐことを望まれていた。


 そんな彼をある悲劇が襲ったのが1年ほど前のことだった。突然の目眩と頭痛に見舞われ、彼の記憶はそこで途絶える。


 次に気付いたときには真っ暗な闇の中にいた。前後左右、どこを見回してもただ闇が広がるだけ。


(自分は死んだのか? )


 彼がそう思った時、ふいに「違いますよ」と声がした。


 慌てて辺りを見回すと先程まで誰も居なかったはずの闇の中にぼんやりと光が浮かび、1人の若い男が立っていた。


 ボサボサの黒髪に光が反射して瞳が見えないメガネ、口元はニヤニヤと軽薄そうな薄ら笑いを浮かべている。


 身長は高いが体付きは柳に負けないくらい痩せており、よれよれのシャツにスラックスを履き、その上から同じくよれよれの白衣を羽織っており、それだけ見れば若い医者か研究者といった風貌をしていた。


 その姿に柳は眉を顰める。議員秘書を務めてきた彼からすると有り得ない様なだらしない格好なのだ。


「はじめまして、柳 正さん。僕はある世界を管理している“神”です」


 そんな柳の心情を知ってか知らずか、男はニヤニヤした表情のままそう名乗った。


「神だと? 君が? 」


 柳は胡散臭そうな顔で男を見た。視線が頭の上から足の先までを何度も往復する。


「ええ、そうなんですがその顔は信用してませんね? まあいいでしょう。いづれ分かることです」


 男はそのニヤケ面を深めると意味深なことを言う。


「それでその“神”とやらが私に何の用だ? というかここはどこなんだ?ちゃんと元の場所に帰してくれるのか? 」


 男の様子を訝しげに思いながら柳は現状把握のため矢継ぎ早に質問した。


「まあまあそう慌てないでください。順を追って説明しますから。そうですねぇ、まずは……ああ、そうだ! こういう話はどうでしょう? 柳さん――あなたはもうすぐ死にます」


「死ぬ? バカなっ!? 死ぬとはどういうことだっ!! 」


 男は柳を呆れた様に見ながら話す順番を考えていた様だが、突然人の悪い笑みを浮かべると衝撃的なことを告げた。これには柳も冷静ではいられず、強い口調で男に詰め寄る。


「どういうことも何も言葉通りなんですがね。あなたがここに来る前のことは覚えていますか? 」


「ここに……来る前の、こと……? 」


 男の言葉に柳はこのよく分からない空間に来る前のことを思い出していく。あの眩暈と激しい頭痛で視界が閉ざせれていった光景のことを…。


「これを見れば分かりますよ」


 男が呆然とする柳に向かって手をかざすと、目の前にウィンドウの様なものが浮かんだ。


「なんだ……? 」


「まあまずは見てくださいよ」


 柳は一度訝しげに男を見るが彼はニヤニヤしたまま表示されたものを見るに言だけ。柳は怪訝に眉間に皺を寄せながら目の前のウィンドウを覗き込む。


 その中には恐らく病室であろう部屋のベッドに寝かされた、今まで以上に痩せ細った自分とその横で疲れた表情を浮かべる妻の姿があった。


「これは……? 」


 あまりの光景にそれ以上の言葉が出てこない。喉がカラカラに乾き、声が掠れた。


「現在のあなたの様子です。もう1ヶ月ほどになるでしょうか。すでに手の施しようがないそうですよ? 」


 そんな柳の様子には全く頓着せず男は何でもないことの様に軽く告げる。表情にも変化はなく、本当に彼の命になど興味はないのだろう。その言葉が耳に届いていないのか、柳は呆然とウィンドウに映る映像を見続けている。


「さて、ここで提案なのですが……もし、僕が『助かる方法がある』、と言ったら……どうします? 」


 呆然する柳に男がそう囁いた。ウィンドウを見つめていた柳が勢いよく男の方を向く。そこには耳まで裂けそうなほどに口元を三日月に歪めた男の顔があった。


 その顔は“神”というより人の欲望に付け込む悪魔の様であった。





 こうして柳 正は勇者候補となった。


 彼が3つの扉から選んだ扉を抜けた先は聖ウィント王国のスラムだった。そこで彼は1人の少年と出会い、命を救った。それが先ほどの黒ずくめの男、シャッテンだった。


 柳のジョブは【先導者アジテーター】だった。最初にこのジョブを見たとき、彼は頭を抱えた。何せ戦闘には向いていないジョブだ。自分で勇者候補を殺すことは絶望的であり、欠片を集めることが出来なければ願いを叶えられない。


 しかし、彼は諦めなかった。


 彼にとって幸運だったのは助けた少年が彼を神でも崇めるかのように崇拝し、従順だったことだ。それがジョブの効果なのかは不明だが、彼が危険なスラムの中でも比較的安全な足場を確保することには大いに役立った。



 勇者の欠片を手に入れるためには勇者候補自身が他の勇者候補を殺すか、勇者候補から譲渡されるかしか方法がない。


 最初は先導者アジテーターの能力で譲渡させられないかと考えたが、出来るのはあくまで『先導』であって洗脳や詐称の様な効果はなかった。


 そこで再び壁にぶつかった柳であったが、ヒントは最初から示されていた。


 “神”はこう言っていたはずだ。「」と。


 つまりトドメをさすのが自分でさえあれば、そこまでの過程を誰が行おうが問題ないはずなのだ。


 そうであるならば他の勇者候補を追い詰めることが出来るだけの実力者を手駒にするか、対処出来ないほどの物量を差し向ければいい。


 そう考えた彼は組織力を手にすることを考え始めた。実力者を集めるのはもちろん、軍事力を手に入れるには組織が必要だと考えたからだ。


 幸いなことにこの聖ウィント王国では王家の権威付けのために教会勢力の取り込みを行っていた。最初はそれなりの発言力を持っていた教会だったがそれも形骸化し、今ではただ王を信認するためだけの機関へと成り下がっていた。


 その点に目を付けた柳は教会に入信すると、ジョブの能力を使い急速に支持者を増やした。その勢いはすさまじく、わずか一年にして枢機卿に上り詰めるまでになっていた。その裏では【暗殺者アサシン】というジョブを得たシャッテンが対抗勢力の要人を次々と暗殺していた訳だが……


 そうして枢機卿になった柳は、今やこの国の王の相談役まで務めている。


 まもなく教会の教主選挙が行われる。柳がこの国を実質的に手に入れるまであとわずかだった。

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