㉑イヴの願い





 ……開かれたのは天上だけではなく、天と地の間の中空にも異変が起きていた。




 空間のあちこちで、罅割れが起きる。


 罅割れて崩れた空間の向こうに、やはりどこかの宇宙が垣間見えた。


 あるところは太陽よりも巨大な白い恒星、あるところは木星型のガス状惑星、あるところは非円形の小惑星群。


 さまざまな宇宙が開かれる。

 しかしそれはあの万華鏡めいた別宇宙とは異なっていた。




 それは『彼』の宇宙だった。






*****



 その小惑星を根で覆い尽くしたキギの巨木は、眼前の空間が罅割れていくのを感知していた。



 割れ落ちた空間の先には、光輝く地上があった。


 光の中心で佇立するのは、12枚の翼を持つ『彼』だ。





 空間の割れ目の大きさはさほど広くない。エンパイアステートビルほどの巨樹を一気に通過させることは不可能だった。


 だがキギは構わなかった。


 巨木は歓喜に打ち震え、轟音を響かせながら根と枝を総動員させる。


 空間の割れ目を目指して。




 『彼』を目指して。





*****




 光輝く12枚の翼が、大きく羽ばたく。



 335メートルの肉塔が揺れた。煌めきと帯電に包まれた巨塔は大きく身悶えし、構成する触手と触腕のひとつひとつが活発化し始める。


 轟音と地響き。


 縦揺れと横揺れを交互に引き起こし、おぞましい唸りを上げながら、輝く肉の巨塔が先端を少しずつ上昇させていく。





 塔が、浮上していた。





 無数の樹木を吹き飛ばしながら、捧げた者達の肉と熱と塊を乗せて、天空の通路へ昇っていく。


 塔の先端に座す球体は溢れんばかりの烈光を撒き散らす。祝福のダイヤモンドを次々と地上へばら撒き、大気密度と気温が一気に下がる。氷点下95度。

 ダイヤモンドの舞う中を、光と火花が散る。



「^~^^^--~^~ミァキ-^^~----^^チャシュ^^--~^リキュリ~~~ケシミュチャ~~--^~^^^--~^~-ェカカケ-^^--~^~^~シエラウシュゥ~^~-^^~----^^^^--~^~ピシピェカカリギ!!」



 森が詠う。


 触手も。触腕も。翼も。光も。



 『彼』が歌う。



 賛美の歌を。

 よろこびの歌を。



 異形の声で。





 異形の塊が無数の連なりとなって天に昇る。

 キングスポートの次元の裏側に潜んでいた者達が行く。この世でない場所へ。







 天へ。



 昇っていく。


























































          ぞる
















「キギを」






   ぞぅる






          ぞるるる











「―――――――キギを、連れてって」






ぞぞぞぞぞるるぞるるるるるるるぞぞぞぞぞぞるるるるるるるぞるるるるるるる

ぞぞぞぞぞるるるるぞぞぞぞぞるるぞるるるるるるるぞぞぞぞぞるるぞるるるるるるる

ぞぞぞぞぞるるぞるるるるるるるぞぞぞぞぞぞるるるるるるるぞるるるるるるる

ぞぞぞぞぞるるるるぞぞぞぞぞるるぞるるるるるるるぞぞぞぞぞるるぞるるるるるるる

ぞぞぞぞぞるるぞるるるるるるるぞぞぞぞぞぞるるるるるるるぞるるるるるるる

ぞぞぞぞぞるるるるぞぞぞぞぞるるぞるるるるるるるぞぞぞぞぞるるぞるるるるるるる

ぞぞぞぞぞるるぞるるるるるるるぞぞぞぞぞぞるるるるるるるぞるるるるるるる

ぞぞぞぞぞるるるるぞぞぞぞぞるるぞるるるるるるるぞぞぞぞぞるるぞるるるるるるる

ぞぞぞぞぞるるぞるるるるるるるぞぞぞぞぞぞるるるるるるるぞるるるるるるる

ぞぞぞぞぞるるるるぞぞぞぞぞるるぞるるるるるるるぞぞぞぞぞるるぞるるるるるるる

ぞぞぞぞぞるるぞるるるるるるるぞぞぞぞぞぞるるるるるるるぞるるるるるるる

ぞぞぞぞぞるるるるぞぞぞぞぞるるぞるるるるるるるぞぞぞぞぞるるぞるるるるるるる

ぞぞぞぞぞるるぞるるるるるるるぞぞぞぞぞぞるるるるるるるぞるるるるるるる

ぞぞぞぞぞるるるるぞぞぞぞぞるるぞるるるるるるるぞぞぞぞぞるるぞるるるるるるる










 這いずる。



 這い上がってくる。



 天と地の間から。




 そこに穿たれた空間の裂け目から。



 枝や、根。つる草が。



 大量の、膨大な、途方もない数で。



 怒濤のように。狂気のように。







 あの巨木が、『彼』の宇宙の小惑星から襲来した。

 唯一の星たる『彼』へ至るために。






「キギ、こっちも」




 肉塔の中で、イヴが唱える。



 彼女の全身から、つる草と枝と幹が爆発的に発生し増殖する。

 その勢いは周囲の触手や触腕、人間の肉体をすり抜け、貫き、抉り、削り、浸食した。

 触手群が悲鳴を上げる。キギとイヴは一顧だにしない。


 空間の断裂が出来たためイヴを通じずともこの世界に現れることが出来た巨樹だが、その巨体ゆえに中空の裂け目だけでは全てを移しきれない。

 イヴは自分を通路とし、キギの移動を少しでも早くしようと考えた。


 ………これが他の触手なら、人間を通じて顕現したウミユリのような姿が体の全てであるため、すぐに肉塔へ移動できた。内臓めいた触腕も同様だ。


 しかしキギは、イヴ・アリアナと共に過ごし、生長しすぎてしまった。

 キギは枝の先端だった頃とは比べものにならず、今や肉塔さえ凌駕するほど巨大だった。


 濁流となって押し寄せた枝葉は肉塔の下部分を雁字搦めにし、爆発的に浸食する樹幹とつる草が引き裂かんばかりに内部を苛む。


 羽枝の触手が根や枝を削ぎ落とし、触腕が消化粘液で樹幹とつる草を溶かしても、空間の裂け目とイヴから押し寄せるキギの浸食には抗えなかった。キギは触手達の悲鳴など一切耳を貸さず、ひたすら自分の願いを押し通す。

 この世界から『彼』が飛び立てば、二度と『彼』のもとへ戻れない。

 だからキギは微塵も容赦せず、触手群を引き裂きながら顕現し続けた。


 肉の塔は徐々に、樹木の塔へ変わっていく。

 急激に増えた塔の大きさのため、昇天の勢いが弱まった。

 キギはそれを幸いとばかりに勢いを増して小惑星からの移動を続ける。触手群はどんどんキギに破壊され、地上に落とされていく触手も出始めた。ここで落とされれば二度と、『彼』と共に天へ行くことは叶わない。


 だから触手群は行動に出た。




ゲァユゥシュケシシュ! カエラウミピャケシチピピピピピ!!




 触手は枝分かれし、特殊な形状の触手を生む。


 羽枝が左右に規則正しくびっしり生えた、八木宇田アンテナめいた触手。淡黄色に発光したそれが、触手の塔から無数に伸びる。

 それらは連動して明滅し、ひとつの大きな器官と化す。




 黄金の一閃。







 塔が―――――――断裂した。








 塔の下部が引き裂かれ、地上に落ちる。



 イヴを含めて。




「…………!!」





 触手の塊に取り込まれていたイヴは、おもむろに空中へ放り出される。イヴを中心に発生し浸食していたキギも。


 触手や触腕も塔から切り離されたが、小さく軽い分、触手達の方が有利だった。彼らはひとつひとつが伸長して連結し、空間の裂け目から流れ込んでいた濁流のような枝葉を細かくすり抜け、素早く塔と再結合を果たした。

 キギもつる草や枝を伸ばして塔と繋がろうとするが、隙のない触手たちに弾き落とされる。



 斬り飛ばされてばらばらになったキギの破片群の一部が、中空に出来た空間の裂け目へ飛ばされた。『彼』の宇宙に戻される。


 そして大多数は、そのまま地上に落下していく。




 墜ちる。

 イヴとキギが。




「アリイイイイイイイイィッ!!」



 落下しながら、イヴは叫ぶ。


 アリアナは切り落とされていなかった。昇天していく塔の中に未だいる。


 アリアナは昇る。

 天へ。

 神と共に。

 彼女の願い通りに。





 アリアナは昇る。

 天へ。


 イヴは堕ちる。

 地へ。





「―――……ッ」



 イヴは落下する。樹幹とつる草に包まれた体は、あっという間に凍結した。キギすら凍る。


 全身の感覚がなくなり、低気圧と無酸素で呼吸もできない。


 キギの加護があっても生命活動が低下してしまう過酷な環境下。



 凍り付く肉体で、イヴは見上げる。



 昇っていくキングスポートの神を。




 アリアナを。






 自分を置いていくアリアナを。





「―――……」




 イヴは、睨む。



「キギ」



 イヴは、告げる。








 イヴは。





「――――いのちをつかって」




 イヴは燃やした。










   変異が起きる








 ………イヴの全身から、硬い枝が瞬間的に伸びる。



 規則正しく左右に枝を生やした、アンテナめいた形。漆黒の枝。


 漆黒の枝が、赤く輝く。



 黒い枝は特殊な器官を用い、イヴの体中のミトコンドリアが保有する水素イオンを強奪していく。水素イオンの一部は『彼』の光によって中性子へ変異し、他の水素イオンと結合し重水素を作る。

 赤く輝く枝の内部で、小惑星を砕いて得たヘリウム3が重水素と混ざり合う。調整された『彼』の光によって、電気的反発力を失い、核融合反応が発生。



 高エネルギーの陽子線がアンテナめいた数多の枝を赤く赤く輝かせ、そして爆ぜた。赤光。





 深紅の断裂が、空間に深々と走る。空間大切断。




 鮮やかな赤い断面の向こうから、飛び出てきた。勢いよく。それが。爆音を響かせて。





 ―――――――巨樹の先端が、突き出てきた。





 それは彗星のような勢いで空間を飛び出し、剣のように硬質化した樹冠で再浮上中の肉塔へ衝突しようとする。


 衝突の直前、肉塔は激突する箇所へ半透明の被膜を展開した。エネルギー吸収被膜。完全防御。


 が、その刹那、巨樹は自らを進化させる。

 光。

 赤い光が先端を覆う。あまりに強烈な光量。白い光の闇を、赤光が両断する。


 落下するイヴが、わらう。




「キギのいかりだ」




 赤光そのものとなった巨樹が、被膜に激突する。



 炸裂する深紅の閃光。



 血飛沫のような。




 異形の悲鳴。




 ――――――突き刺さった。巨樹が。被膜を貫いて。肉塔そのものも貫いて。





 440メートルの巨大な塊が、原理不明の完全防御を、やはり原理不明の光刃で突破した。

 人間には理解不能な攻防に勝利した巨樹は、自身を無数の細かい枝に分裂させ、肉塔の全てを拘束した。塔本体はおろか、12枚の翼さえ執念深く束縛する。



 白く輝く巨柱を、赤い光紐が縛り付ける。



 ―――キギ……



 イヴはそれを見上げた。声は出ない。喉はおろか指先ひとつ動かせない。本当に眼で見えているのかも分からなかった。


 構わなかった。



 ―――アリーを……



 イヴは願う。





 ―――わたしのだから……




 キギは応えた。



 赤い毒蛇のような素早さで、分裂した枝が肉塔の内部を抉ってまさぐる。触手群を引き千切り、潰し、切り裂き、隅々まで捜索。こぼれ落ちていく肉片など全く構わず、キギは赤い腕で塔を陵辱する。



 そして、見つけた。


 触手にくるまれたアリアナを。




 キギはアリアナの痩身へ絡みつく。

 触手を千切りながら強引に塔の外へ引きずり出し、落とす。



 イヴに向けて。







 ―――ありがとう……



 イヴがわらう。




 ―――元気でね……




 赤い光が瞬く。何度も何度も。激しく激しく。




 赤い樹木に侵掠された塔が、上昇していく。


 光の球体は眼下で繰り広げられる攻防など、完全に無頓着だった。

 ひたすら上だけを目指していた。



 天へ。




 天から堕とされるアリアナ。イヴの視界の中に彼女が映る。




 イヴがわらう。




 そして、イヴは目を閉じた。




 全ての感覚が消える。


 痛みも寒さも何もかも。



 不安や恐怖はない。



 イヴは願いを叶えたのだ。





 イヴは落ちる。





















 聞こえないはずの声が、聞こえた。






「――――最後まで、お前の勝ちかよ」





 愉快げな苦笑い。



 プラズマジェットの音。


 覆うような抱擁。




 そして、衝撃を伴う深々とした口づけ。




 注がれる熱量。




 つながる2人。落ちる。







「あばよ、親父」









 彼女らは落ち、『彼』は天へ昇った。



























 12月25日。

 アメリカ合衆国・東海岸。

 マサチューセッツ州キングスポート。


 24時44分。




 天空へ突き刺さる逆十字状の光柱。


 それがオーロラに彩られる異常寒波のキングスポートから立ち上るのを、アーカムをはじめマサチューセッツ州の全ての街が目撃した。







 こうして。


 キングスポートのクリスマスが終わった。





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