⑫2人
ロバートの肉体に命中した黄金の光芒は、彼を貫いてなお減衰しなかった。
ビームの主成分である不可思議な粒子は地球の磁場や電場・重力の影響を振り切り、寒冷の海風を破砕しながらセントローレンス湾を直進。
対岸にあるニューファンドランド島に到達し、ようやく人体に無害な放射線量に落ち込んだ。
ニューファンドランド島からは対岸であるラブラドル半島から一直線に伸びるビームが見えていた。
ただし対岸からの強烈な寒波により、ほとんどの住民は屋内へ退避していた。よってその光を目撃できた島の人間はほとんどいない。
ロバートの上半身が吹き飛ぶ。
心臓から下を丸ごと失い、黄色いY字物体に埋め尽くされた海岸へ転がる。
彼の他の肉体は別元素にされた後、ガンマ線バーストの爆発で粉微塵に吹き散っていた。
その別元素たちは数秒の半減期を経て元の元素に戻っていく。
ビームにより変異した大気のうち、窒素16もベータ崩壊して酸素へ戻る。
が、窒素が変異した炭素14は、そうはいかなかった。炭素14の半減期は5730年であるため、微弱なベータ線を放射し続けて宙を舞う。
ロバートの頭部にあった触手の塊が、どろっと溶解していく。
アンテナめいた突起もぐずぐずに崩れて散った。
それに合わせ、大触手が這い出ている空間の割れ目が縮む。
ロバートから妨害がなくなり、空間が正常な姿へ戻っていく。
――――大触手、葡萄に似た木、幹で割れた樹が、その割れ目の奥へ引き戻されていった。
黄色い怪しい光を漏らす空間の裂け目。
その向こうへ、異形の巨体がするすると消えていく。
そして空間が正常な姿へ帰る。
空気の熱量を奪い続けていた原因が消えた。
冷たく重い空気の拡散で薄くなった大気は逆巻き荒れ狂い、その後に平時の密度を取り戻す。ダイヤモンドダストが消え失せた。
異常寒波が終息する。
キギのビームも止まった。
海岸を覆っていた黄色のY字物体もいつの間にか消失。
その場には、串刺しにされたアリアナ、千切れたロバート、数多の枝に包まれたイヴだけが残された。
「………キギ」
イヴは自分を包む枝葉へ、ありがとう、と言おうとした。
が、樹木はその前に、暗黒色へ枯れて崩壊。目に見えない粉末となって消え去った。
一部のつる草だけが袖の中へ戻っていく。
なんの感情の波動も感じなかった。
左胸の傷は、癒えない。
「……」
ぼろぼろの衣服のまま、イヴは目を細め、そのままアリアナへ振り向く。
アリアナは鉄杭に貫かれていたが、消化用の触腕がその鉄杭へ取り付き瞬く間に食べ尽くす。
解放されたアリアナが地面に倒れた。Y字物体は既に無い。
そのアリアナの体が、青白く発光し始める。
核分裂のエネルギーと蓄えていた炭素化合物が、身体を高速で修復していく。
アリアナは心配ないことに胸を撫で下ろし、イヴは最後の者へと歩き始める。
「ロビン……」
ロバートの肉体は、海岸の地面に転がっていた。
心臓から下は消滅し、左腕も千切れ消し飛んでいる。
残されたのは胸の上半分と右腕のみ。
頭の触手群はどろどろのスライムになり、ふつふつと泡を出しながら崩壊を続けていた。
体の断面から血は流れず、真っ黒に炭化している。
「ロビン……」
イヴはそのロバートのもとへたどり着き、膝を折って彼の頭へ手を伸ばす。
「なんで、誓わなかったの……?」
溶けた触手を手で払い除け、ロバートの顔を空気に晒す。
死蝋のような顔。氷のように冷たい。
ただの物質に近づいているのが、イヴには分かった。
「アリアナと一緒に、キングスポートに行けば……」
ロバートの顔に、そっと手を当てた。
イヴの声が震える。
「犯したり犯されたり、殺したり殺されたりするために、あの街を出たんじゃないでしょ……?」
涙がこぼれる。
イヴは声をうまく作れない。
「なんで……私がロビンを、なんで? ロビンと、なんで、ねえ、誓わなかったの? ねえ、ロビン、なんで、なんでなの?」
頭の中と言葉の作り方が混乱していく。
熱と風が胸の中で暴れた。
心の温度を奪い、温度を与える混沌の風。
その風が、ロバートに問いかける。
「――――
イヴはロバートの顔にかかった、溶けかけの触手を掴む。
どろどろの物体は手の中から滑り落ち、地面へ広がった。
「これが、私達の旅を終わらせたの?」
イヴはスライム状の触手群を掴んでは払い飛ばす。
何度も何度も。
手に液化した触手がこびりついても構わず。
「だったら、それは――――私の敵だ」
憎悪を込めて。
「………ボビー」
ロバートの触手を払っているイヴの背後から、声がかかる。
イヴは振り返った。
アリアナだ。
かつてないほど憔悴し、あの荒々しい気配が感じられない。
腹部の大穴だけ青白く発光し、修復中。
その異色の双眸は、深く濃い悲しみを湛えていた。
アリアナがイヴの隣に腰を落とし、ロバートに顔を近づけ、。
「遺言を言え」
彼女は言った。
「お前の言葉を、永遠が記憶する」
あ、と音が鳴る。
ロバートの口から。
「………じゅ、じゅう、」
ロバートは目を開けらないまま、少しだけ開かれた口から声を出す。
心臓はなく、肺も大部分が失われ、血も酸素も巡っていない。
人間なら死んでいる。
何が彼を動かせているのか、イヴには分からなかった。
アリアナはそのか細い声を聞き逃さないよう、彼の顔へさらに耳を近づけた。
「じゅう、重水、ぶ、ぶん、分解、……キギに………」
「重水?」
「エ、エ、エキゾチック原子……キギは………」
「ボビー?」
「キギは――――」
そして、彼はそれを告げる。
アリアナはそれを、確かに耳にする。目を大きく瞠って。
「……マジか?」
アリアナの驚愕がロバートに伝わったのか、彼は口の形を僅かだか変形させる。
笑みの形へ。
「――――旅に、出よう………」
それが、ロバートの最期の言葉だった。
ボッ、と燃える。
緑に。
火の手が上がり、緑色の炎がロバートの体を包む。
「っ!」
イヴとアリアナはロバートから身を離す。
炎はロバートの体だけではなく、イヴが払い落とした触手の残骸も燃やしていた。
むしろそちらの方が火の勢いが強い。
地面が燃える。
奇妙な炎だった。
熱のない、光も鈍い暗緑色。
通常の炎のような、他者へ活力を与える要素は何一つなかった。
むしろ不安を与える奇異な炎が、膨れ上がる。
炎が上へ走った。
火柱。
ロバートの体から。
地面の触手の残骸から。
緑色の火柱が、夕闇の夜空に刺さった。
そして見えない天井に当たったかのように、ある高さで先端を拡散させる。
天と地をつなげる緑炎の柱。
炎は天にぶつかり、拡がり、そして薄まって消えた。
後にはロバートの残骸だけが残った。
「……ロビン」
イヴは再び膝をつく。
ロバートの体は、ただの骨と皮の物質だった。
作り物。物体。先ほどまで生きていたとは思えない、そんな塊にしか見えなかった。
「ロビン」
イヴは涙ぐむ。
「……地面に埋めたら、ロビンはどうなるの?」
「虫と菌が喰う。喰って、吸収しきれねえ養分が土にばら撒かれる」
アリアナが応える。
「土は肥えて草とかが育つ。それを他の畜生が喰う。その畜生を別の獣が喰うかもな。獣は消化しきんねえ分を糞にして土にばら撒く。土は肥える。いつまでも巡る」
「でも」
イヴは首を振る。
「でもロビンは、旅がしたいって言った」
「……」
「私達と、旅したいんだよ」
「放置しても、潮が満ちりゃ海がさらう。後は同じだ。魚が喰いやがる。誰がボビーを喰うかの違いでしかねえ。誰が喰っても同じ」
アリアナが言う。
「………私を除いて」
アリアナはロバートの死骸に手を伸ばそうとする。
その手が、うっすら発光していた。
ぞわりと手を這う内臓めいた触腕。
が、イヴが、それを止める。
「私達、って、言った」
イヴはロバートの右手を掴む。
枯れ木のような手を、自分の口元へ寄せ、
―――――彼の指を、噛み千切る。
人間の肉体とは思えないほど、彼の指は簡単に噛み切れた。
あの不可思議な緑の炎がどんな作用をもたらしたのか、皮膚も骨もその硬さを失っており、イヴの力でも噛み千切ることが出来た。
そしてそれを嚥下する。
不味い。苦い。悪臭がひどい。そもそも食物の食感ではない。
味覚が拒否反応を起こす。
喉の奥が痙攣し嘔吐しようとする。
無理やり飲み込む。
むせり、咳き込んで涙をこぼすイヴ。
無言のまま、ロバートの手を齧って食べる。
食べ続ける。
「イヴ………」
アリアナは息を呑んだ。
見惚れていた。
傷ついた服のまま、胸から血を流し、泣きながら人の手を口にするイヴに。
「……」
そして、アリアナはロバートの頭へ身を寄せた。
彼の頭を一度だけ撫で、そして齧り付く。
頭部も手と同様、骨の堅牢さは失われていた。
軟骨よりも柔らかく、かすかな歯応えがあるだけのそれを皮と肉ごと噛み千切る。血は出ない。体液らしきものもわずか。
アリアナは両手で頭を掴み、がつがつと食べる。
そのペースは圧倒的で、イヴが指一本をやっと食べ終えたとき、頭部の全てを胃の中に収めていた。
その勢いのまま、首から下を食べていくアリアナ。
全身を無理強いさせて痙攣しながら咀嚼を続けるイヴ。
冷たいセントローレンス湾で、彼女たちはロバートの残骸を食べ続けた。
明星の下で。
*****
イヴとアリアナは車内で愛し合った。
キャンピングカーのベッドを全て展開し、スペースの全てを寝床にして、2人は情事に耽った。
街道を外れた場所に駐められた車の中は、濃密な甘い匂いで満ちていた。
夜の帳が完全に降りている。
ロバートを食べ尽くした2人――結局アリアナが殆どの部分を食べた――はキャンピングカーまで戻り、誰にも見つからない場所へ移動すると、獣のようにお互いを貪りあった。
アリアナは当然だったが、イヴも初めて彼女に劣らない肉欲で交わった。
身体と心が半日前と明らかに異なっている。こみ上げては止まらない衝動と情動を、イヴはアリアナにぶつけた。アリアナはそれを全て受け止め、自らも同等以上の熱をイヴへ浴びせた。
核分裂を促進させて得たエネルギーはイヴに送られ、その力でイヴはアリアナと交わった。
放っても与えても恵まれても給っても、けして尽きることのない飢渇が、2人を互いに貪らせていた。
――――彼女らがそうやって力と熱と情を繰り返しぶつけ合うたびに、あの無人荒野に1本だけ生える樹木が生長した。
波打つ根やつる草が岩盤をくり抜き、粉砕し、深く広くその手を伸ばしていく。
幹は太くなり、枝も葉も増えて大きくなり、見事な大樹へ姿を変えた。
都市ほどの広さまで根を広げても、なおその樹は成長を続けた。
*****
そうして何度も何度も愛し合い、夜が明けた頃、やっと一息ついて横になったアリアナが告げた。
「お仲間を食べるのは、初めてじゃねえんだ」
アリアナはイヴの左胸をまさぐりながら言う。
「具体的には、これで2人目か」
イヴの左胸を掴み、アリアナはそこの傷跡を指でなぞる。
「誰を食べたの?」
イヴが自分で作った傷は、すでに塞がっている。
しかし白い傷跡が残り、雪のような白い肌を汚していた。
アリアナはその傷跡に口づけをし、
「親父」
と応えた。
「私を喰おうとした。だから、私が喰った」
「……」
「私に憑いてるあれを喰おうとしやがった。私ごと」
「なんで」
「知らねえよ。そのときの親父は、もう話が出来る状態じゃなかった」
イヴの胸を揉みながら、アリアナは笑う。
「私のいた場所はアイルズベリイ街道を西にいった、ラウンド山の麓あたりだ。辺鄙なとこで、一族のご多分に漏れず近親相姦ばかり。まともとは縁のねえ連中さ」
アリアナは言う。
「親父さえ、あの時はまともじゃなかった」
「……」
「力が増えるって思ったのかもな。力が全てだった。親父は。あのあたりじゃ動力も電力も弱すぎて、時間かけてエネルギーを蓄えることも出来やしねえ。だから、親父はどんどんおかしくなっちまった」
「アリー……」
イヴはアリアナの頭を自分の胸元へ抱え込む。アリアナのごわつく髪を撫でた。
「私の一家は、みんな死んだ。親父と私だけ。その親父も私が殺した。私は流れ流れて、アーカムに着いた」
アリアナがイヴを抱きしめる。
「ボビーとは、そこで出会った」
イヴも、アリアナを抱きしめた。
「ボビーは私の教義を笑わなかった。先生も、奥様さえいい顔しなかったけど、ボビーだけは協力した」
「……」
「そのボビーも、もういない」
「いるよ」
イヴは言う。
「私達が食べた。土でも虫でも草でもない、地球の循環を無視できる私達が。だから、ロビンはいつでも私達の中にいる」
イヴはアリアナのつむじにキスを落とす。
「私達が死ぬまで、ロビンは私達と旅をする」
「……イヴ、お前の願いはなんだ?」
アリアナはイヴから少しだけ身を離し、視線を彼女に合わせる。
青緑と薄緑の双眸が、熱とともにイヴを見詰める。
「望みを言えよ。お前が私を助けたのは2回、負かした数なら3回だ。私の望みを叶えたお前の、その望みを私は叶える」
アリアナは微笑み、
「お前は私の半身だよ」
イヴに口付けた。深く。熱く。
「―――……」
その熱が、イヴを熾す。
長い口付けの後、イヴは溶けた鉄塊のような温度を喉に感じながら、
「……私達に取り憑くあの生き物を、この世から追い出したい。一匹残らず」
アリアナへ言った。
炯と燃える瞳で。
「――――ロビンの敵を討つ」
こうして。
彼女たちは計画を練った。
キングスポートのクリスマスに向けて。
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