序章 新世界

第1話 保菌者(キャリア)

 六百年後の世界と聞いた僕は、壁のタイルさえも何か仕掛けがあるのではないか、と思ったけれど、やっぱり未来の建造物にしては何だか全体的に古めかしい。

 これは、どういうことなのだろう?


「目を開けて」


 医者がペンライトで両目をチェックしてくれた。まぶしくて目の奥が痛くなりかけたが、チェックはすぐに終わった。

 

「どこか、体が痛むかい? 吐き気は?」


「いいえ、少し頭がぼーっとして眠いですが、大丈夫そうです」


「なら良かった。コールドスリープから起きたときはみんなそうだよ。ゆっくりと手を動かしてごらん」


 指示通りにすると、関節が少し硬くなっていて、動かすのにさび付いたような抵抗感がある。それでもヒジを曲げ伸ばしして何度か動かすと、スムーズに動くようになった。


「問題無いな。軟骨も保存液で柔らかくしてあるから、すぐに歩けるぞ。初期のスリープ患者はとてもこうはいかないんだが、まあ、君は楽なタイプで良かった」


「はい」


「じゃ、君の氏名と職業を教えてくれるかい?」


 医者が立ったままで書けるアレ――そう用箋ようせんばさみだ――と羽根ペン?を持って聞く。お気に入りの羽根ペンなのだろうか? こんなのを使う人は初めて見た。


八島やしままもる、高校一年生です」


「うーん、マモル君は高校生か……まあ、若いとは思ったんだが、高校生かぁ……」


 医者が残念そうに顔をしかめた。


「ええと、高校生だと何か問題があるんでしょうか?」


「いや、問題があるとか、君が悪いわけじゃ無いんだ。ただね、スリープ患者は旧世界の失われた技術を持っていたりすることがあるから、とても貴重なんだよ。旧世界の技術者なら高い給料でどこでも引っ張りだこだ。君たちの時代には、鉄の大きな鳥が空を飛んでたりしたんだろう? 確か――そう、飛行機って言うんだったね」


「ええまあ……え? 今は飛行機が無いんですか?」


「無いなあ。今はスカイウォーカーってのがあるんだが、こいつは高く飛べないんだな。二人しか乗れないし」


 小型セスナ機のようなものはあるようだが、大量輸送は無理のようだ。

 その話を聞いて、僕は一番肝心なことに気づいた。


「あの、僕の病気の治療法なんですが……」


「ああ、ひょっとしたら治せる病気かもしれないが、あまり期待はしないでくれ。見ての通り、ここは田舎のしがない町医者だし、王都の大病院だって高い薬が買えなきゃどうしようもない」


「お金なら、クレジットが僕の口座に預けられているはずですが」


 将来の生活と治療費のために、両親が用意してくれたものだ。利息で将来はかなりの金額になると聞いている。


「それがね、今はもう電子マネーやクレジットなんて使えないんだよ。ま、旧世界が滅びるもっと前に、政府がコールドスリープ患者の口座を税金として全部取り上げてしまったらしいけどね。つまり君は文無しってことさ」


「そんな……」


 めまいがしてくる。


「いや、こいつがあったな。君と一緒にこのカプセルの中に入れてあった品だ。まあ、銀でもなさそうだし、宝石もイミテーションだろうから高値じゃ売れないと思うが、大事な物なんだろう?」


 医者が細いチェーンの付いたペンダントを渡してくれた。見覚えは無い。コールドスリープに入った時にはこんなもの無かったはずだが。それは銀の台座に赤い透き通ったルビーのような石をはめ込んだものだった。

 

「ええと……」


 母さんが形見のつもりで入れてくれたのだろうか? だが、母さんがイヤリングと指輪を大事にしていたのは僕も見た事があるのだが、ペンダントは持っていなかったと思う。裏返してみると、HMというイニシャルが彫り込まれていた。

 やはり母さんとは違う名前だ。ブランド名だろうか。


 僕はひとまずそれを受け取り、薄青色の手術服のポケットに入れておく。


「マモル君、こんな状況で君を解凍したのは、君のカプセルの原子力電池が切れかかっていたからなんだ。まあ、あと一年くらいはそのまま電力も持ったかもしれないが、一年やそこらじゃ世界の技術も大して変わりゃしない。

 コールドスリープのような大きな電力なんて旧世界の技術でしか賄えないし、電源のソケットだって今の技術者じゃ上手くつなげられないんだ。だから、放っておいても解凍が切れて君は死ぬことになっていた。そういうわけだから、悪く思わないでくれ」


「はあ。あ、僕の病気ですけど」


「ああ、そうだった。君の病名は?」


「VANP、ウイルス性ミトコンドリア活発過剰症です」


「うーん、その病名は初めて聞いたなあ。ミトコンドリアは分かるんだが、ウイルスとなるともうお手上げだ。今は電子顕微鏡が無いからね。おっと、まさか、空気感染したりしないよな? そんな表示は無かったぞ?」


 医者が身を引く。


「大丈夫です。この病気は、傷口から血液同士が接触しないかぎり、絶対に感染しません。感染率は低めだそうです」


「エイズみたいなモノかな」


「そうですね。性病ではないですが」


「そう。エイズも昔は治療できたらしいのだけどねえ。今のところ、君は健康に見えるが」


 医者が僕の手首を取ったり、聴診器を当ててきた。


「ええ。普段の日常生活には全然問題がないです。通院も治療というより検査だけでした。ただ、僕は牛乳を定期的に摂取する必要があるので。それで同じ病気の人が運悪く牛乳アレルギーだったり、病院から逃げ出したりして……

 それで他の健康な人まで――禁断症状で暴れて一般人に怪我をさせて感染させちゃったりする事件が何件かあって……政府が僕らを『要管理潜在保菌者(キャリア)』というのに指定したんです。それからVANP患者全員がコールドスリープに入ることが法律で義務づけられたわけなんですが」


「ふうん。ま、牛の乳なら、安心してくれ。今でもちゃんとあるよ」


 医者がニッコリと笑う。


「良かったです」


 僕も微笑んだ。


「さてと……じゃ、だいたいの状況は分かってくれたかな?」


「ええまあ」


「ジョージ! 患者さんを外に連れ出し――いや、丁重にお送りしてさしあげろ」


 町医者が叫ぶと、さっきの灰色のつなぎを着た男がムスッとした顔でやってきた。


「さあ立て」


 ジョージと呼ばれた体格の良い男が、僕を乱暴に立たせようとする。


「うわ」


 足の感覚が戻っていないので、ちょっと僕は慌てた。


「おいおい、ジョージ、丁重にと言っただろう。彼はたぶん、大丈夫だ。この歳にしては冷静でしっかりしているし、状況も納得しているからな。まあ、マモル君、君には色々とショックで大変なこともあるだろうが、くじけずに頑張ってくれ。

 ただし、悪いがここにはもう来ないでくれるかな。こちらも商売でやってるから、文無しで治療法も無い患者には何もできることがないんだよ。君が技術者なら違ったんだが。もちろん、こっちも今回の治療代は請求しない。それで納得してくれるかい?」


 医者が残念そうに眉間にしわを寄せて言う。


「わ、分かりました」


 何かあればオウ!いつでもつかみかかってやるぞ!という感じに身構えているジョージが怖いので、僕はすごすごと裸足のままで病院を出た。

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