宙に花を 2
藍凪たちが暴食の痕跡を辿っていくうちに、周囲は色彩鮮やかなサンゴの景色となった。
「ひどい……」
本来は美しい花畑のようなその場所。だが藍凪が呟かずにいられなかったのは、その悲惨なさまだった。
自然の造形美は食い荒らされて、元の豊かさを大きく損なってしまっている。
そんな景色の中に、一際目立つ自然の舞台があった。
平坦な地面から唐突に突き出た台地。その独立した島からは、まるで大樹のような紅のサンゴが、幾筋にも広げられた樹枝でこちらを見下ろしている。
上昇して全貌を視界に収めると、その巨大サンゴの周囲には同じく血のような色合いのサンゴが平伏するように生える。
血色サンゴの園。
地上から差し込む日光を浴びた恐ろしいまでに鮮麗な園は、人知れずひっそりと、しかし華々しく海底世界に屹立していた。
巨大サンゴの根元にはラペル、そして倒れ伏したオクトノウトとムーナの姿があった。
「見つけた!」
ティーネが鋭く叫んで、サメを島の中へ進ませる。
降り立った二人をラペルが迎えた。
「おやおや、お二人さん。そうか、もう来ちまったか」
「できれば、あなたには会いたくなかったのですが……」
苦々しい口調でティーネが言うと、彼は肩をすくめてニヤニヤと笑みを浮かべた。
「俺は会いたくてたまらなかったがなぁ、怖い姉ちゃん。アンタにゃ借りがあるからな」
その言葉も、笑みも、喜々とした感情を示すものではない。宿っているのは恨み。寒々しさに鳥肌が立つくらいの。
彼のはだけた胸には、以前にティーネにしてやられた傷が生々しく残っている。
「さあて、化け物は暴れすぎた反動で倒れ、おっさんは止めようとして勝手に巻き添え喰らって自滅。親子愛ってのはうすら寒いばかりのものかと思っていたが、案外と悪くねえ。あいつらは俺に最高の舞台を与えてくれやがったからな」
腰のブーメランを静かに抜き取るラペルに、ティーネは呆れた溜息一つ。
「早々にそれですか。話が早いったらないですね」
「報酬も大事だが、それよりも優先しなきゃいけねえことが一つできちまった。これでも負けず嫌いなもんでね……アンタもなかなかに猛らせてくれる」
「今日は、加減できませんよ」
「言うじゃねえか。――さて」
ティーネが背中の長銃を取り出したのを認め、ラペルは戦闘の構えへと移行する。ティーネも受けて立つつもりだ。
高まりつつある緊張。既に戦いは成立している。
「アイナはオクトノウトさんをお願いします」
「分かったよ。……ティーネ」
「なんですか?」
「愛してるよ」
「ばっ……! こんな時に何言ってるんですか! アホですか!」
ティーネはわずかに赤らめた顔で叫ぶ。怒っているのかもしれない。いや、もしかすると照れているのかも。
そして帰ったら、また真面目な顔で自分をとっちめるのだろうな。あの冗談はなんだと、手厳しく叱りつけるのだ。
彼女は自分を許さないから。嘘をつくことも、死ぬことも、許さないと言ったから。
傍にいて許さないまま、一緒に生きてくれる。
「待ってるよ」
「ええ、待っててください。すぐに終わらせますから」
ティーネの言葉に、今は固く頷いて、倒れたオクトノウトの方を眺めやった。
オクトノウトを捕縛することは目的の一つ。そのためには彼に生きてもらわないといけない。
気を失っているらしいオクトノウトに治療を施せるといいのだが、装備も知識も備えていない藍凪には難しい。こういう時、藍凪は自身の無力を思い知らされる。
この件が落ち着いたら、自分もハンターになろう。ハンターとして経験を積めば、多くの場面でティーネを助けられる。
その中で、自分が生きられる道も、きっと――。
小さい方の妹が駆けてゆく。
相手が再び銃を構えたのを確認すると、わずかに腰を落として目を眇めた。何かやり取りをしていたようだが、それを邪魔するほどに野暮ではない。
むしろ悔いの残らないよう存分に言葉を交わすといい。どうせ最後になるのだから。
ラペルは胸の内で渦巻く昂りを押しこめていた。冷静を欠けば、最高の一手を打ち損じる。
強者を前にしての昂りを、一体いつから味わっていなかったろうか。
昔はもっと戦いに飢えていた気がする。一介のハンターとして活動していた頃は、より強い敵と遭遇することを楽しみとしていた。それだけが生きがいだった。
それが今のような、金稼ぎの方法を考えるばかりの暮らしぶりとなったのは、経年によって自分という人間性が熟したからだろう。
誰しも一つの生き方ばかりを貫き通すことはできない。
「終わったかぁ?」
「ええ。始めましょう」
邪魔者は去り、これで彼女と二人。
こちらを真っすぐと見据える、深紅の眼。思えばそれに怯えを感じてしまったのが、この執着の発端だ。
怯え、など。まるで根本からの敗北を認めたようなものではないか。
あちらは発砲の準備を終えた。こちらも構えた。ならば戦いの始まりに合図はいらない。
「シャアッ!」
ラペルはその両手の六枚刃ブーメランでもって、接近戦を仕掛けた。腕がすげ替えられ妙な能力を得てしまう前は、こちらが得意分野だ。
目にもとまらぬ泳ぎで彼女の懐へ。
だが深紅眼のティーネがそれを見逃そうはずもない。すぐさま照準を合わせて発砲。
彼女は狙い通り、視線が辿る通りの場所へ銃弾を撃ちこむ。その正確無比な弾はラペルも認めるところ。だからある種の信頼を持って、そこへ高硬度の腕を添えるのみ。
長銃の重い弾は拳銃とは違い、容易に弾けず腕に食い込む。しかしまだ、致命傷ではない。
「変わらねえ……まるで進歩がねえなぁ、おい!」
「くっ……」
挟みこむ斬撃を、ティーネは間一髪でのけぞるように避け、瞬間的に
狙いをつけない乱射は眼の負担を減らすためだろう。さらに発砲の衝撃で体を後方へ逃がすのは上手い。
銃弾はラペルの体をかすめることなく、互いにほぼ無傷。
二人の距離は離れた。
「深紅の眼……必中の構造が分かってきたぜ」
赤い目がぴくりと見開く。
二度目の
「要は、俺の腕と同じなんだよ。アンタはその視線の空間に、
「……前々から思っていましたが、ただの傭兵にしては鋭いですね。もしかして名のあるハンターでしたか?」
「おっと、俺の過去に興味があるかい?」
「失言でした。微塵も興味ありません、忘れてください」
過去など、現在の命のやり取りにおいては邪魔なものでしかない。それには同感だ。
今必死になって掘り起こすべきなのは、目の前の命を奪い取るまでの道筋。
腕を壁にした戦法は、あの長銃を相手にしては長くもたない。よって短期決戦が望ましい。
――癪だが、アレしかねえか……。
ラペルがズボンのポケットに手を突っ込み、一本の注射器を取り出した。
中に入った赤々とした液体は、移植した腕のマナ感度を異常な域にまで高める劇薬。それはオクトノウトから貰ったものだ。彼自身も実験の際、複雑な術式を操るため用いた。
ティーネが何か反応を見せる前に、躊躇なく首へ打ちこむ。
ドクン。心臓を槌で叩いたような衝撃と共に、効果はすぐに現れる。
赤黒い腕が充血によって真っ赤に染まる。体中の栄養素を腕に回すことで、腕のリミッターを解除した状態だ。
「オ……オオオォ……!」
触れば穴が空くほどに尖りきった感覚。周囲の流れを操るためのそれは、制御もままならず、外側へ乱流を作り出す。
それは、ほとんど嵐といっても過言ではない現象だった。
ティーネは頭にめがけて発砲したが、必中の軌道は乱流に飲みこまれて周囲を踊った。恐ろしいことに、軌道を乱されてなお銃弾は源の青を捻じ曲げてこちらに向かってきたのだが、途中でサンゴに当たることでようやく効果を失った。
この嵐。もはや鉛玉程度が近づくことは叶わない。
「こんなのは俺の才能じゃねえ。不細工な力だ。気に入らねえ……気に入らねえが、人生なんてそんなもんだ。そのはずだろう、なあ!?」
両手のブーメランをがちりと打ち合わせる。その武器は分解して扱うのみではなく、元々は一つの形だった。表面の紋様を噛み合わせることで完成する、十二刃の潮流武器。
さらに高められた感覚でマナを操り、流紋術式を形成する。その形は、本来ヒトの手では再現することが不可能な術式。
サーペント――ギョクライコウ由来の雷だ。
雷電が、眼前に浮かせたブーメランへと収束していく。
「カハハハハハハハハハはははははっ!!」
薬の影響か、自分の手に負えない力で火遊びをするのが楽しいのか、もう分からない。ハイになった気分のままに笑い、驚くほど冷たい中身がそんな自分を嗤っている。
気に入らない。その真っすぐな目が気に入らない。
自分さえ正しくあれば、世の理不尽さえ是正できるという思い上がりが許容できない。
自分が諦めたものを未だに捨てず持っていることが。
その目で向かい合ってくるティーネが、長銃に
「
〈
だが今、その隙間から、彼女の目と同じ深紅の光が漏れ出た。
薄い形状の光は伸び、広がる。それが彼女の身長をも超える規模になった時、もう一つの武器として姿を現わしていた。
――圧縮した魔力光の、ブレード……。
ラペルはため込んだ雷電と共にブーメランを射出する。岩を切り裂き山をも穿つ迅雷の凶弾が、凄まじい音を立ててティーネへと向かう。
常人では捉えられない速度を、ティーネは捉えて断罪の刃を降ろした。
巨人の光刃は大地を裂く。
故に、矮小な鉄の塊は拮抗すらも許されず、その光を前に塵と化した。
二度目の圧倒的な敗北にラペルは膝をつく。神経をすり減らしたとはいえ余力はある。だが武器は壊され、また立ち上がろうという気力もない。
真っ向勝負で勝てるはずもない、か。
何しろこっちは、あまりに曲がった道を行き過ぎた。
「気に入らねえんだよ……」
所詮は何も貫き通すことがなかった小者の口で不満をこぼす。
深紅の光が眩しいと、瞼を閉じた。
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