砂上に落とす影 4
賑わいを見せる日中のウィルディの中では、打って変わって日当りの悪い一画。高い岩壁に挟まれた溝の底は、上方からの光が遮られている代わりに、発光性のサンゴや潮流を回して発電するネオンの如きランプのどぎつい明かりに照らされる。
ウィルディの中心部からは外れた、知る人ぞ知る街の裏の顔というべき場所。
一帯の建物にもあちこち綻びが見え、全体として寂れた雰囲気のあるそこでは、街ぐるみ、あるいは海域ぐるみで定められた規範を、破るか破らないかというグレーな範囲の娯楽が横行している。
つまりは常人が近づかない、アダルトな遊び場だった。
「ひい、ふう、みい、よお、いつ、むう……と。今回もまた期待通りの仕入れだ」
今、その場所で行われている取引は、数多くある後ろ暗い取引の一つに過ぎない。
小さな料理屋の中で、その店の男主人は受け取った布袋の中身を覗き込み、満足げに口もとを歪めていた。
「ほお、これだけあれば珍味好きのお客様たちも満足していただけるでしょう。今回も良い仕事だ。感謝します」
主人が礼を言うと、向かい合っていた男も歯を見せて笑う。だがその切れ長の目だけは微動だにせず、相手を小馬鹿にしているような雰囲気さえあった。
髪色のバリエーションが豊かな深海の住人の中でも、彼のオレンジ髪は特に目立つ。それを逆立てた針山のような髪型はどこか威嚇的だ。
「そりゃどうも。こっちからすりゃ、あんたはいつも
男は慣れた世辞で返す。幾度とも知れない顧客とのやり取りの中で自然と身に付いたものだ。
こうして彼は商品を提供し、金を貰う。
レストランの主人に袋詰めで渡した品は、本来なら入手自体も禁じられ、市場では出回ることのない魚介類だった。
「頼もしい商売仲間だ」
主人が言うと、男はすかさず「共犯者、の間違いだろ?」とニヤニヤしながら返した。
彼らが許可を得ずにこのやり取りをしている以上、見つかれば罰則を与えられ牢屋送り。これはそういう取引だ。
「共犯者か……。昔はこんなことは罪でもなんでもなかった。ただ美味な食事を口にしたいだけだというのに、どうしてこんなにコソコソしなければならないのでしょう」
「さあ。俺が生まれた頃には、数の少ない生物を捕ったり喰ったりするのは違法だったがね。ヒトの手で無闇に生物の在るべき形を変えてはいけない、とかなんとか? よく分かんねぇけどな。それに捕ってくるのだって、一応は命がけなんだぜ」
今回仕入れてきた魚は体内に潮流器官を持っている。そういうものを潮操種という。普段は大人しい生物でも、身に危険が迫れば潮流器官に
男としては、たかが食事。この取引も、多額の金が入るからやっているだけ。
もちろん、それを主人に言えば今後の商談に響くので、口は閉ざしておくが。
「それは分かっています。ですが、どうでしょう。研究者や、技師や、何をやっているか分からない調査機関には、これらの生物の血肉を扱う許可が与えられるというのに。ヒトにとって最も大事な食事に、その許可が与えられないなんて。私には意味が分かりませんね」
主人の言葉はにわかにヒートアップしていく。食事のこととなると口調が激しくなり、そして話が長くなる。彼の悪い癖だ。そんな彼の愚痴にも、男は触りの良い言葉を返す。
「そうだそうだ、ごもっともさ。俺はお魚を持ってダンナにお届け、ダンナはそれを使った旨い料理を、客に提供するだけ。何も悪い事なんかない」
「その通り。ただ美味しいものを食べたいだけ。禁止令が出されてからも、未だに食べたいと言ってくれるお客様がいる。美味しいものは、いつまでも残り続けるべきですよ」
「ダンナが金を払って、俺らが捕ってくる。そうすりゃ残り続けるさ。いつまでも。なあ、モウタ!」
男が背後へ声をかけた。そこにはもう一人、異様に太った坊主頭の男。担いだ袋をテーブル脇の床へ大胆に下ろすところだった。
「ああそうだね兄貴」
「コラ、モウタ。商品はそっと慎重に取り扱え。傷が入ったらどうする」
袋を床へぶつける前に声がかかり、中の商品は無事に下ろされた。坊主頭がしおしおと顔を伏せる。
「ごめんよぉ、ラペル兄貴ぃ」
大柄の男が、容姿の全く異なる男を兄貴と呼び、慕っている。この奇妙な光景も、もはや幾度もやり取りをした主人にとっては見慣れたものだ。
ラペルとモウタ。彼らは現在ウィルディに腰を据えている密漁者だ。金さえ払えば、どんな危険な潮操種であろうと仕入れてくる。たとえ捕獲を禁止されている種であろうと。
裏の世界ではこの二人組を知る者は多い。そして彼らと繋がりがあるということは、後ろ暗い事業に手を染めているということを意味する。レストランの主人もそれは自覚していた。
だが今の彼の関心は、モウタが下ろした大きな袋にある。
「それは何です?」
「いつも贔屓にしてもらっているダンナに、サービスだ」
針頭のラペルが袋に手を突っ込んで、中のものを一つ引っ張り出す。それを見た主人は驚愕した。
「これはもしや、サーペントの卵……!」
「その通り」
無色透明な玉の中央に、赤い点が浮き出た卵を手に、得意げにラペルが言う。
「サーペント級ホウカイトの卵、計二つ。作り物じゃないぜ。紛れもなく本物だ」
海洋生物の繁殖には、卵の有無や、それをどう孵すかを含め、様々な形態がある。ホウカイトの場合は受精した後に卵を巣穴へ放卵。大きく数の少ない卵は、親のサーペントに見守られながら孵ることになる。
ラペルが差し出した卵は、その巣穴から盗んだものだった。
そして竜の卵の無断盗用は、その種類を問わず懲罰対象である。
「こんなもの、一体どうやって……」
「さあ、どうやってだろうねぇ。そこはダンナといえど、教えられないなぁ」
「何でもいい! それを、譲ってくれるのですか?」
主人はもはや縋りつくように懇願している。断られれば何をしでかすか分からないほどに必死だ。
思い通りの反応にラペルは口の端が上がる。その希少性も価値も分からないモウタだけがぼうっと見ている。
「もちろん。もちろんだとも。俺とダンナの仲じゃないか。旨い料理を作るアンタにこそ、この卵は受け取ってもらいたいもんだ」
「じゃあ……!」
「ただ、ね。これを手に入れるのはとても苦労したんだ。分かってくれるだろ、ダンナ?」
「お金、ですか」
早々にこちらの求めるものを察する主人に、ラペルは満足げな表情を浮かべた。
「いくら払えば、この素晴らしい食材を譲ってもらえますか?」
「そうだな……」
そして、ラペルは知っている。この主人が希少な食材には目がないということを。特にホウカイトの卵は数十年も前に食された高級食材。それを是が非でも欲しがる主人は、ラペルにとって期待通り、実に良い客だった。
ラペルが提案した法外な値段を、主人は瞑目してその重みを噛みしめ、最後には頷いた。
「毎度ぉ」
性根の悪い笑みを浮かべるラペル。その後ろではモウタが、わーいわーい、と無邪気に喜んでいる。
そして当の主人は、精神を多大にすり減らして今にも放心しかけの、しかし念願かなって満足げな表情で佇んでいる。
裏の取引はまた一つ、両者とも円満に終わった。
だがその時、ラペルは既に、次に吹っ掛ける値段のことを考えていた。今回よりさらに高値でもいけるだろうと。
ホウカイトの卵を、次はいつ仕入れようか。
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