第86話 追想


 ──あれは数百年前のことです。


 神聖国セイグリードによって、異世界から召喚された1人の少女がいました。


 彼女の名は、海野 楓。


 いつも前向きで、底抜けに明るくて、ちょっとドジで、諦めることを知らない。そんな彼女が私もミリアーヌ様も大好きでした。


 カエデは勇者の天職だけではなく、女神ミリアーヌ様から授かった加護といわれる不思議な力を持っていました。


 歴代の召喚者は、全員もれなく加護を授かっていましたが、その中でもカエデの力は特別でした。


 カエデの加護の能力は『創造』


 この世界に存在していない、新たなモノを創りだせる神の如き力。


 カエデは加護と勇者の力を使って、幾多の困難を乗り越え、魔王の討伐に成功したのです。



 魔王討伐後。その日のうちにカエデは、神聖国セイグリードに報告に向かいました。


 きっとカエデは、魔王の脅威に日々不安を募らせていた住民に、少しでも早く安心を与えたかったのでしょう。


 私は魔王との戦闘で精霊力を使い果たしていたため、翌日カエデを迎えにいくはずでした。


 しかし翌日。約束の場所、約束の時間に彼女が現れることはありませんでした。


 ミリアーヌ様の助力を得て、私がセイグリード城内に辿り着いたときには、すでにカエデは息を引き取ったあとでした。


 苦労した末に彼女を待っていたのは『裏切り』と『死』だけだったんです……。



 そこからは私も記憶があやふやでよく覚えていません。どうやって妖精の里に戻ってきたのか。……それすらも分かりません。


 ただ、大好きなカエデのぬくもりがだんだんと冷たくなっていく感覚と、私の中で膨れあがっていく人間への憎悪と殺意だけは今でも鮮明に覚えてます。



 ……神聖国セイグリードでなにがあったのか、どうしてカエデを殺したのか、それはミリアーヌ様しか詳細を知りません。


 ただ確かなのは。あの日、神聖国セイグリードはミリアーヌ様の怒りに触れて、この世界から跡形もなく消滅することになりました。



 あとで聞いた話ですが、ミリアーヌ様曰く、魔王の討伐により彼女の運命に大きな変化が生じたとのことでした。


 ……本来、カエデはあそこで死ぬ運命じゃなかったんです。


 ミリアーヌ様も気付くのが遅れたことをとても悔やんでいました。


 カエデがいた頃のような、天真爛漫な明るさも、微笑みも、私の前で見せることは二度とありませんでした。



 ……そして、カエデのお墓の前でミリアーヌ様は私にこう言ったんです。


『こんな穢らわしい世界もう見たくもない。いっそ滅んでしまえばいいのに……』


 それが私が最後にみたミリアーヌ様の姿です。



 それ以降、ミリアーヌ様がこの世界に干渉することはなくなりました。


 召喚された勇者に加護を与えることも、この世界に顕現することも、神託を与えることも、二度とありませんでした。



 ◆◇◆◇



 静まりかえった食堂で、ティターニアは小さくため息をつくと、飲み物が入ったカップを口元に運んだ。


「だからありえないのよ。ミリアーヌ様がこの世界を見て楽しみたいなんて……ね」



 私は言葉がだせずにいた。

 

 私が知っているミリアーヌさんとティターニア様が語るミリアーヌさんがあまりにも違いすぎたからだ。


「だけど今日久しぶりにミリアーヌ様に会って驚いたわ。まるでカエデが生きてた頃みたいなんだもの。だから私聞いてみたの。チカちゃんをどうするつもりなのかってね」


「それでミリアーヌさんはなんて?」


「教えてくれなかったわ。……ふふふっ。むかしのように口元に両手の指でこうやって、バッテンを作ってね」


「あー」


 私もやられたやつだ。でもミリアーヌさんは一体なんで私をこの世界に連れてきたんだろう?


「チカちゃんはどう思う? ミリアーヌ様になにか言われたり、されたりしてない?」


「えっ? んー。異世界を楽しんでとかしか言われてないよ? 魔王はいるけど、勇者がいるから大丈夫って言ってたし」


「そう。楽しんでかぁ……」


 そう言うと、ティターニアには上空を見上げた。……その瞳には涙が滲んでいるように見えた。


 シィーはその様子をみて、ティターニアを心配そうに見つめながら、


「ティターニア様?」


「ふふふっ。ごめんなさいね。なんだか昔を想いだしちゃって……」


「何かあったの?」


「カエデと最後に約束してたのよ」


「約束?」


「えぇ。カエデがセイグリードに行く前に、私にね。こう言ったの」



『これからは平和になったこの世界を、ふたりで楽しんでいこうねっ!』



 ティターニアはカエデと一緒に過ごすはずだった楽しい時間を思い浮かべながら、嗚咽交じりに喉を震わせる。


「あぁ……。もっと……。もっと一緒にカエデといたかったなぁ……」



 ──カエデと過ごした日々、彼女の明るい笑顔と優しい声、別れ際の最後の姿が記憶から呼び起こされ、幸せに満ちていた過去を追想し、ティターニアは溢れでる涙も、口から漏れだす嗚咽も堪えることができなかった。

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