皇太子 イルナス(3)


「ヘーゼン……頼むから説明してくれ」


 イルナスはあまりにも混乱しすぎてめまいがした。皇太子の地位を内定したことで、なぜ誘拐という言葉に繋がるのか。それは、あまりにも自分の理解を超えていた。


「……あなたが皇太子に内定されることは、宮殿内のほぼ全員を敵に回すことと同義だからです」

「ぜ、全員?」


 愕然とするイルナスの問いに、ヘーゼンは頷く。


「イルナス皇太子殿下。あなたは、普段から馬鹿にしていた者が自分の上に立つことを快く許せますか? 許せないでしょう」

「……」

「仮に皇帝となった時。あなたの尊厳を踏みにじった者を、宮殿の要職に就かせますか? あなたの子を嫁がせますか? なにか慈悲を与えようという気になりますか?」

「……は」


 イルナスは言い淀んだ。自分は皇族だ。今は想像すらつかないが、5歳までは皇帝となった時のことも思い浮かべたことはあった。その理想像は、私情に囚われることなく、適材適所の人材を配置することだった。


 揺れていた。自分のことを馬鹿にしていた者を徹底的にいたぶりたい気持ち。彼らと同じ行為に走るような愚かな自分を抑えたい気持ち。イルナスは、2つの相反する感情の板挟みにあっていた。


「そうですね。聡明なあなたならば、迷うかもしれません。許すこともできるかもしれません。しかし、彼らは違う。違うからこそ、そんなあなたのお気持ちが理解できない。彼らは全員こう思います『自分がした仕打ちと同じことをされる』と」

「……彼らがを認めないと?」

「それどころではないでしょう。彼らは、数が力であることを知っている。皇太子であるあなたを全員で亡き者にしようとするはずだ。だからこそ、グレース様はあなたに投票しなかった」

「……」


 イルナスは何も言えなかった。ただ、少しでも自分の境遇を変えたくてもがいて。土下座までして。懇願して。馬鹿にされてまで耐えて。それで、やっと出した結果が、殺されることだなんて。


「だから、身を隠すのです。幸い、星読みは他の候補者の情報を漏らしません。あなたが皇太子に内定したことは、真鍮の儀式までは秘匿にされるはずです。その間に、誰にも気づかれることなく、この宮殿から抜け出さなくてはいけません」

「……だから、誘拐か」


 イルナスの言葉にヘーゼンが頷く。亡命したと見なされれば、その時点で皇位継承権が剥奪されてしまうかもしれない。だから、行方不明になる。それが、バレたとしても、最悪誘拐されたことにして、決して逃げた訳ではないことにする。

 手段はそれしかないと、ヘーゼンは断言した。


「私は大師ダオスーという立場ですから、あなたと共に行方不明になるわけにはいかない」

「……それなら、もうについてきてくれる者なんているわけがない」


 イルナスの心に絶望が拡がる。今や、側近も護衛も皇子という肩書きだけで従ってくれているようなものだ。そんな彼らが自分を逃がすために、人生を懸けてくれるとは思わない。


「ご安心を。弟子にヤンという者がいます。彼女にあなたを誘拐させます」

「……馬鹿な、やってくれる訳がない」


 イルナスは自嘲気味につぶやいた。皇子の誘拐など、国家大逆罪の即死刑コースまっしぐらだ。見ず知らずの初対面の者に、そんなことをやらせられるはずはない。


「やります……と言うか、やってくれるくれないではなく、やらせます。師匠と弟子とはそう言う間柄です。師匠がやれと言えば、やる。死ねと言えば、死ぬ。そう言うものです」

「……」


 そう言うものだったっけ、とイルナスは思った。

 しかし、自分には信頼できる者はグレースと母のヴァナルナースしかいない。当然彼女たちにそんな役目などやらせられない。もはや、頼れるのはヘーゼンの弟子であるヤンという女だけだ。


「少し変わった少女ですが、私の弟子ですから優秀です。平民出身で、下々の生活にも慣れていますし、ちょっとやそっとじゃへこたれない根性もあります。煮るなり焼くなり好きにしてください」

「そ、それはあまりにも可愛そう過ぎはしないか?」


 ほぼ強制的に国家大逆人にさせられて、煮るなり焼くなりされるなんて。ハッキリ言って、イルナスの境遇よりも辛すぎる。

 しかし、ヘーゼンはそんなことは気にせずに話を続ける。


「……2時間後です。私はその間にヤンを呼び寄せて経緯を説明します。準備ができたら、私の部屋に来てください」


 そう言い残して、ヘーゼンは颯爽と部屋を去って行った。

 残されたイルナスはハッとヴァナルナースを見た。泣き虫な彼女は、すでに顔を覆ってシクシクと泣いている。


「母様……どうか泣かないでください」

「でも……でも……」

「……今生の別れかもしれません。どうか、いつもの優しい母様の笑顔を見せてください。の……の心に焼き付けておきたいのです」


 イルナスはそう言って寂しそうに笑った。




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