第32話 魔医(3)


         *


「申し訳ありません、ただいま戻りました」

「……」


 一生戻って着ないで欲しかったというのは、ノラーラの心の叫びである。ヤンは昼休憩を利用して、医館の外で伝信鳥デシトを受け取っていた。思ったより指定場所が遠く5分ほど遅刻してしまった次第だ。


「って謝るまでもなかったですね。まだ、5人も患者が残っているじゃありませんか。これでは、次の患者も入れられないです。私が手持ち無沙汰で、遅刻してもしなくても一緒なので謝罪は撤回しますね」

「す、すいません」


 のほほんと笑顔を浮かべるヤンに、シネバイイノニ、とノラーラは心の中で絶叫した。ということで、ノラーラが患者を治療する間、伝信鳥デシトの手紙の内容を読む。


 もちろん、前半は駄文なので、読むのは最後の方だけである。


 概ねの内容としては、そのノラーラという魔医を壊してもいいから、必ず悪穴あっけに魔力を流す方法を覚えさせろ。そして、ノウハウを掴んだら、スヴァン領の魔医たち全員に、スパルタでいいから覚えさせろとのことだった。


「はぁ……相変わらず物騒なスーね」


 ヤンは大きくため息をつく。壊してもいいだなんて、よくそんな台詞を平然と書けるものだ。ノラーラは自分のように優しい助手がいて、非常に運がいいと思った。

 そして、手紙を読み終えて返事を終えた時、未だにノラーラは患者を消化しきれてなかった。


「駄目じゃないですか、キチッと夜に修練してます? 医は仁って言ったじゃないですか。全然、口上が見られないんですが」

「……夜の修練はしていない」

「駄目じゃないですかやらなきゃ」

「別に、君の指示を聞く必要はない」


 と、無愛想にノラーラはつぶやく。

 どうやら、かなり不満が溜まっているようだ。いつの間にか、敬語ではなくなっている。なんて、面倒くさいおっさんなんだろうか。ついでに、酒臭いし。

 優しいとこんな風につけあがられるのか、と理解したヤンは、ノラーラにボソッと耳打ちする。


「法務司に訴えますよ?」

「……っ」


 天空宮殿の法務司は罪人・没落貴族の管理を行う部署である。彼らの派遣先、職業訓練、違反時の刑罰などを主に執り行う。

 ヤンはむしろ、犯罪者なのでそんなことできるはずもないのだが、ノラーラにはその事実がわかるはずもない。


「あなたは知ってますよね。平民の魔医は、最も身分の低い奴隷と同等の地位だって。このコシャ村では気づいている人はいないようですけど」


 通常、罪人や破産宣告した貴族は平民を飛ばして奴隷の地位に格下げされる。だから、逆に平民の命令は上の身分からの命令ということになる。

 仮にヤンが『医療従事者として不適格である』という訴えを起こすと、法務司がその権限を持ってノラーラを収監する。そして、二度とシャバの空気は味わうことができない。


 通常、魔医は平民から感謝され、敬われている。それに、この制度の存在を知る者が少ないため、今まで数件ほどしか訴えがないが、訴えられれば罪人に弁明の機会などない。ノラーラはヤンの状況を知らないので、震え上がる。


「お、俺は今まで頑張ってきた! 医は仁。その言葉を励みに、平民の治療を真摯にやってきたんだ! なぜ、そんなことを言われないといけない」

「あら? 帝国の血税で食べているのだから、民に奉仕するのは当たり前じゃないですか」

「……っ」


 のほほんと答えるヤンにノラーラは言葉を失う。しかし、ヤンにしてみれば、このおっさんは甘えている。可愛くもないのに、甘えている。

 そして、全然、可愛くない。早く帰って、イルナス様に甘えてもらいたいと切に願う少女である。


「別に難しいことを求めていませんよ。私の言うとおり、頑張るだけじゃありませんか。ことあるごとに、医は仁と高尚なことをおっしゃいますけど、行動が伴ってないんですよ。それに、週に一度休日を勝手に設けてますけど、法務司の職業規定では休みなんてとっては駄目なんですよ? そこら辺理解されてますよね?」

「……」


 ノラーラがだんまりを決め込んでしまったが、事実である。罪人や破産者などに、休日が必要ない。

 通常の平民だって休みなく働いているのに。それにも関わらず平民たちの命を人質にとって、好き放題やっているのだ。


「頼みますよ。と言うか、もう頼みません。やれないなら、変えるだけなので。法務司に新しい人を呼んでもらって、あなたは一生獄中で過ごせばいいと思います。やるかやらないかはあなたが決めてください」


 代わりの人は腐るほどいると、ヤンはほのめかす。実際、魔医には定員がある。他にも罪人、没落貴族の従事先はあるが、それこそ炭鉱奴隷などすさまじく厳しい仕事ばかりだ。

 その点、魔医の扱いは破格的に楽で人気も高い。ノラーラは涙目で少しすねながら熟考し最終的に『やります』とつぶやいた。


 ヤンは、なんて自分は優しいのだろうと思った。


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